志賀直哉の「雨蛙」を大学院の授業で取り上げる。

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志賀直哉の「雨蛙」を大学院の授業で取り上げる。

 

 わたしは志賀直哉に関しては『志賀直哉ドストエフスキー』と『志賀直哉──自然と日常を描いた小説家』を刊行している。志賀直哉の代表的な作品に関してはほとんど批評したが、今まで授業で扱ったことはない。わたしが「文芸批評論」や「文芸特殊講義」で扱う作家はドストエフスキー宮沢賢治林芙美子などに限定されていた。「文芸批評論」などは『罪と罰』だけで一年間の授業が終えてしまう。

 今回、大学院の「日本文芸特論Ⅰ」の受講者は一人なので主に電話で授業を展開している。モーパッサンの『ベラミ』の最初の一行で一時間を費やすような講義を雑談風に展開しているが、先日は、『雨蛙』を取り上げることにした。志賀直哉は大正四年に我孫子に居を構え、大正十二年に我孫子を出ている。我孫子在住八年間に代表的な作品を書きあげている。『雨蛙』は我孫子在住最後の作品である。わたしはこの作品を志賀直哉の最高傑作とみなしている。授業のために久しぶりに自分の批評を読み返したが、この考えに揺らぎはない。

授業は『雨蛙』から、いつの間にか美空ひばりの歌謡論にとんだりしたが、この授業はアッという間に時が過ぎる。授業内容を文字に起こせば相当な分量になるだろう。具体的に紹介できないのは残念であるが、興味のあるかたは『志賀直哉』(2005年 D文学研究会)所収の「『雨蛙』を読む──志賀文学の可能性の極北──」をお読みいただきたい。

志賀直哉』カバー表紙 装丁・原孝夫

志賀直哉』裏カバー表紙 部分

 

我孫子天神坂 左側は三樹荘(柳宗悦が居住) 右側に嘉納治五郎別荘 わたしの父が別荘の植木を手入れしていた。この天神坂はかつてのわたしのジョギングコースであった。


  

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令和三年度「文芸研究Ⅱ」坂下将人ゼミ

発行日 2021年12月3日

発行人 坂下将人  編集人 田嶋俊慶

発行所 日本大学芸術学部文芸学科 〒176-8525 東京都練馬区旭丘2-42-1

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プーチンと『罪と罰』(連載32)

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プーチンと『罪と罰』(連載32)

清水正

 

 トルストイモーパッサンの『水の上』の文章を引用した後で次のように書いている。

 

  著者には戦争のあらゆる恐怖がわかっている。戦争の原因は政府が人々を欺き、彼らにとってなんの必要もないのに人を殺しに、そして自らも死にに行かせる点にあることもわかっている。軍隊を構成している人々が武器を政府に向け、説明を要求することがあるかもしれぬということもわかっている。だが、この著者は、そのようなことはけっして起こるまいと考える、したがってこの状態からの出口はないわけだ。彼の考えでは、戦争というものは恐ろしい、だがそれは避けられぬものであり、人々を兵役に就かせようとする政府の要求もまた、死と同じく避け難いものであり、しかも政府は常にそれを要求しつづけるだろうから、戦争も常に起こることになる、というのである。

  天賦の才に富み、誠実で、詩的才能の本質をなす対象の核心への透徹力に恵まれた作家はこう書いている。彼はわれらの前に人々の意識と活動との矛盾のきびしさを残らず並べたててみせてくれる。が、これを解決することはしないで、どうやらこの矛盾はあらねばならぬものであり、そこに人生の詩的な悲劇性があると認めているかのようである。(337)

 

  トルストイは人類がやがて戦争のない世界を実現できると考えていたのであろうか。もしそうだとすれば、それは大いなる驚きである。『戦争と平和』を書いて、現実に起きている戦争よりもリアルに戦争を描き出したのがトルストイだったのではないか。わたしは初めて『戦争と平和』を読んで、圧倒された。それはまさに作品世界の中に、現実の戦争以上の戦争を感じたからである。『アンナ・カレーニナ』を書いたトルストイは、まさかそれを書くことによって男と女は不倫から免れるなどと考えはしなかったであろう。戦争は各個人の意志を越えて必然性を持っている。それは起こるべくして起きるのであり、戦争の残酷と悲惨を眼前にした一人の人間の悲憤と抗議によって阻止できるものではない。

    モーパッサンの人間や自然に注ぐ眼差しは、個人の意志を越えたもの、被造物の人間の意志によってはどうすることもできない神秘的なものをとらえている。人間の意志が介入できない、自然のあるがままの姿に接して驚嘆し、悲憤し、抗議し、絶望することはできても、その世界の改造が可能などとはつゆ思うことはない。解決を望む精神にとって、戦争は〈矛盾〉であるかも知れないが、戦争もまた逃れぬことのできぬ必然と考えればそこになんらの矛盾もないということになる。

 作家の冷徹な眼差しは本来、介入を許さぬ自然の必然性に向けられるものだが、どういうものかトルストイは与えられた自然にそのまま従うことはできなかったらしい。トルストイは自然の、あるいは人間社会における様々な矛盾を暴き出し、それを解決しなければならないと真剣に大まじめに考えているらしい。

 作品の世界において人間の諸矛盾を描き出した文豪トルストイは、一人の人間としてコメントする時にはまるで小学校の学生指導の教師のような口のききかたをする。ひとつのおおいなるふしぎとしか言いようがない。トルストイは現実を直視し、現実の冷徹な自然性を認めざるを得なかった作家たちの、その世界に対する悲観的な、傍観者風の、あるいは絶望的な批評をそのまま認めることはできず、彼なりの徹底性を発揮して〈解決〉しようとするのである。

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発行日 2021年12月3日

発行人 坂下将人  編集人 田嶋俊慶

発行所 日本大学芸術学部文芸学科 〒176-8525 東京都練馬区旭丘2-42-1

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プーチンと『罪と罰』(連載31)

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プーチンと『罪と罰』(連載31)

清水正

 

 戦争の惨劇を目の当たりにすれば、良心のあるものなら人間そのものに嫌悪を抱くだろう。悲観と絶望のあまり自ら命を絶った者もある。人類が存続すること自体が計り知れぬ罪深いことのように思う人がいてもなんら不思議ではない。

 連日、ウクライナ関係の報道を見聞きしながら、わたしはマンション前の公園に集まる数匹の鳩を見つめていた。わたしは現在、神経痛で外に出るのも億劫で、たいてい一日中、仕事場にしているマンションの一室に寝起きしている。朝の食事は午前三時頃、小さな棒状のパン一本にネリウメをつけ海苔に巻いて食べている。野菜ジュースをコップに半分ほど、後は薬を八粒ほど呑んで飲んで横になっている。一年に二十回ほどしか外出しない。

 ある日、着替えて外に出て、公園の鳩にパンをちぎって与えた。鳩は十羽ほど集まってわれさきにとエサをついばむ。日光浴を兼ねて一時間ばかり公園のベンチに座っていた。公園に植えられた木々も大きく成長し、緑の枝葉を風に揺らせている。鳩に遠慮してか、雀たちは地に降り、木々の間をせわしく飛び交っている。

 その日から何日かして、マンションの窓を開けて、ちぎったパンくずを公園に向けて投げたら、気づいた鳩が何羽か集まってきた。三日もすると、窓のカーテンを開けるその音だけで、窓の周りを旋回する鳩も出てきた。

 ある日、エサを啄む鳩の群の中に、黒々とした烏が突然舞い降りてきた。烏は悠々と、歩き、大きめのエサを次々に口にくわえ、そしてなにごともなかったかのように飛去った。その間中、鳩たちはなすすべもなく、ただただ逃げ回っていた。烏がいなくなると、再びエサを捜してせわしなく動きまわっているが、目当てのエサはもはやない。

 翌日の昼、食事を運んできた妻が、烏が鳩を襲って食べていたと言った。エサが足りないとき、烏は鳩など自分より弱いものを襲っているらしい。庭の柘植の木に小さな鳥が巣を作って子育てしていたということだっが、こちらの方はだれにも襲われることなく巣立ちしていったらしい。

 マンションの窓から見える野の動物は、鳩や烏や雀に限っているが、彼らのつかの間の生態を観察しているだけでも、生きる自然の厳しさを感じずにはおれない。烏が舞い降りてこなければ、鳩同士ですさまじいつつき合いをしているし、雀は鳩たちの目を盗んでエサをすばやく口にして飛び去っていく。

 ある日、なんとはなしに鳩にエサをあげることを止めた。彼らが生きている自然の厳しさに、エサを与える行為が不自然な干渉のようにも思えてからである。

 トルストイが引用したモーバッサンの「水の上」の文章をわたしはすべて引用したが、それはトルストイが引用せずにはおれなかったようなリアリティがあったからである。モーパッサンは現実のありのままの姿を描写しているが、その現実に対する改変の意識はない。戦争の残虐非道を描いても、それを防ぐ手だてを考えたりはしない。そんな人間の考え自体の傲慢を知り尽くしているからである。

 残虐非道を嘆き悲しむのも人間だが、その残虐非道を行っているのも人間なのだ。モーパッサンは自分の目が見た現実の変更不可能性をも見ているのである。

 トルストイは現実にとどまることができず、なんとかしてこの現実からの超脱をはかろうとする。

 

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プーチンと『罪と罰』(連載30)

清水正

 

 トルストイは「神の王国は汝らのうちにあり」で次のように書いている。

 

 「書物やパンフレットによれば、平和はやがて、連盟や会議のおかげで樹立されるのだ。たから当分は、兵隊に行き、軍服を着て、われらの利益のために自分自身をいじめたり、苦しめたりする用意をしろ」と政府は言う。そして会議を開いたり論文を編集したりする学者たちも全面的にこれに同意している。

  この一つの態度は――政府にとっては最も有利な、したがってどこの賢明な政府によっても奨励されている態度である。

  もう一つの態度は――平和への憧憬と戦争の必要との矛盾は恐ろしいものだが、これが人間の運命なのだと思い込んでいる人々の悲劇的な態度である。これらの人々は多くは敏感な、才能豊かな人々で、戦争の恐怖、不合理、残忍さを残らず見、かつ理解しているが、どこか思想が妙にひねくれているために、この状態からの出口がまったく見えず、探そうともしないで、まるで自分の傷口を掻きむしりながら、人類の状態の絶望を楽しんでいるかのようである。

  戦争に対するかかる態度の注目すべき典型は、有名なフランスの作家(モーパッサン)のそれである。フランス兵の教練や射撃を自分のヨットから眺めているうちに彼には次のような考えが浮かぶ――

 「戦争! この言葉を考えただけで、私には、まるで魔法や宗教裁判の話でも聞かされたように一種の恐怖感と虚脱感が湧き、もうすんでしまった、遠い昔の、醜くいやらしい、自然に反することでも言われているかのようだ。

 「食人種の話を聞かされると、われわれはそんな野蛮人よりも自分の方が優れていると感じて得意になって笑う。だが、だれが野蛮人なのか? だれが本当の野蛮人なのか? 被征服者たちを食うために殺人を犯す人々か、それとも殺すために、ただ殺すために殺人を犯す者たちか?

 「いま、草原で散兵が号令に従って走ったり射撃したりしている。彼らがいずれも死を運命づけられていることは、あたかも路上を屠殺人に追われてゆく羊の群と変わらない。草原のどこかで頭を割られるか、弾丸で胸を射抜かれるかして倒れるだろう。しかもこれはみんな、労働も生産もできる有益な若者たちなのだ。

 「彼らの年老いた父親、二十年間、母親にしかできない愛をもって彼らを愛し、いつくしんできた哀れな母親は、半年か一年あとになって、あれだけ苦労し、あれだけ金をかけ、あれだけ愛をこめて育ててやった息子が、あの大きな息子が砲弾に裂かれ、馬蹄に踏みにじられ、のたれ死にした犬のように穴へ投げこまれたことを知らされるかもしれないのだ。すると母親は訊ねる――なぜ大事な息子は殺されたのです、私の望みであり、誇りであり、命でもある息子が? だれにもわかない。だが、なぜなのだろう?

 「戦争! 互いに闘う! 斬り合う! 人を殺す! そうだ現代には、われらの文明、われらの科学、われらの哲学と共に、なお特殊な学校の施設があって、そこでは人を殺すことを、遠方から完全に殺すことを、大勢を一どきに殺すことを、不幸な、哀れな人々を殺すことを、家族を抱えた、なんの罪もない人々を、それもなんの裁判もなしに殺すことを教えているのだ。

 「しかももっとも驚くべきは――国民が政府に反対して立ち上がらないことである。王国でも共和国でも同じことだ。もっとも驚くべきは、社会全体が、戦争の一語を聞いても反乱を起こさないことである。

 「そうだ。明らかに常にわれわれは古い、恐ろしい習慣、罪深い迷信、われわれの祖先の血なまぐさい観念によって生きて行くのだろう。われわれは、かつてそうであったように、これからも本能だけによって左右される獣のままで終始することは明らかなのだ。

 「ヴィクトル・ユーゴーを除いては、恐らくだれひとりとして、解放と真理の叫びを、罰せられずに絶叫し得るものはないであろう!

 「人々はすでに力を暴力と名づけて、これを批判しはじめている、と彼は言った。戦争が裁判に呼び出される。文明は人類の訴えによって裁きを行ない、すべての征服者や司令官に対して告訴状を提出する。

 「犯罪の増大はその減少であるはずのないことを、もし殺人が犯罪ならば、多くの人を殺すことが情状酌量になり得ないことを、もし盗みが恥ずべきことなら、掠奪など絶対に名誉の対象になるはずのないことを人々は理解しはじめているのだ」。

 「この疑いなき真理を宣言しよう、戦争の名誉を剥奪しよう。

 「無駄な怒りだ、――とモーパッサンはつづける――詩人の憤怒だ。今では戦争はかつてないほど尊重され、崇拝されている。この方面の名優であり、天才的殺人者たるフォン・モルトケ氏は、かつて平和団体の代表者たちに次の如き恐るべき言葉をもって答えたとがある――《戦争は神聖であり、神の定めたもうところである。戦争は世界の神聖なる法則の一つであり、人間のうちにあるすべての偉大にして高貴な感情――名誉、清廉、善行、勇気――を支持するものである。戦争の結果によってのみ人々は粗雑きわまる物質主義に陥らずにすむのである。》

 「四十万人が群をなして集まり、日夜不休で行軍し、なにも考えず、なにも研究せず、なにも学ばず、なにも読まず、だれにも利益をもたらさず、汚物の中にころがり、泥の中に夜を明かし、たえざる痴呆状態のうちに家畜の如く生き、町を掠め、村を焼き、国民を破産させ、やがて、同じような人間の集団に出会うと、それに襲いかかり、血の河を流し、断ち割られて泥や血ぬられた土にまみれた死体を戦場に撒きちらし、自らも手足を失い、頭を割られ、だれにもなんらの得にもならないのにどこかの果てで息をひきとってしまうのだが、そのころ諸君の年老いた両親や妻子は餓死しかけている――これが粗雑きわまる物質主義に堕ちぬための行為だと称されているのだ。

 「軍人は――世界の大きな厄介ものだ。われらは自らのみじめな存在を多少とも改善しようとして自然や無知と闘っている。学者たちは同胞の運命を助け、軽減する手段を見いだすために生涯を仕事に捧げている。そしてねばり強く研究をつづけ、発見に発見をかさねて、人知を豊富にし、科学をひろげ、毎日新たな知識を与え、毎日、国民の幸福や、富や、力を増大してゆく。

 「ところがそこへ戦争が始まる。わずか六ヶ月間で、将軍連は、二十年間にわたる努力、忍耐、才能によって創られたものをことごとく破壊しさってしまう。そして、これがすべて、粗雑きわまる物質主義に陥らぬための行為だと称されているのである。

 「われらはそれを、戦争を見たのだ。われらは人々がふたたび野獣になったのを見た。満足の故に、恐怖の故に、血気のために、高慢のために人を殺すのを見た。法律や権利の観念から自由になった彼らが、道で出会って怪しく思われた(それも彼らが驚いたからというだけの理由で)罪もない人々を射殺するのを見た。ただ新しいピストルを試すためにのみ、主人の戸口に繋がれていた犬を殺すのを見た。ただ慰みに射撃するためだけでなんの必要もないのに畑に寝ていた牡牛を射殺するのを見た。そしてこれが、粗雑きわまる物質主義に陥らぬための行為と称されているものなのだ。

 「敵国に進入し、わが家を守ろうとする人間を、彼が部屋着を着、頭に軍帽をかぶっていないからという理由で斬殺する。食うものもない貧乏人間の家を焼き払う、家具をこわし、盗む、他人の酒蔵の酒をあおり、街頭で婦女子を犯し、数百万フラン分火薬をもやし、自分の背後には廃墟と疾病を残す――これが粗雑きわまる物質主義に陥らぬための行為と称されている。

 「結局、これら軍人たちははたしてなにをしたことになるのだろう、彼らの功績はなんだろうか? なにもないのだ。彼らの考え出したものは何か? 大砲と小銃。それだけだ。

 「ギリシャは何をわれらに残したか? 書物と大理石である。ギリシャが偉大なのは、戦争に勝ったからだろうか、それともこれらのものを作り出したからだろうか? ギリシャ人が粗雑きわまる物質主義者に堕ちるのを妨げたものはペルシャ人の侵入ではない。またローマを救い、これを復興せしめたのも、そこへの蛮人たちの侵入ではないではないか! はたしてナポレオン一世は、前世期末の哲学者たちによって開始された偉大な知的運動を継続したであろうか?

 「否、もしすでに政府が国民を死へ送り出す権利を獲得しているとするなら、国民も時には自己の政府を死へ送り出す権利を得たからといってなんら驚くにはあたらないのである。

 「彼らは自己防衛をしているのだ。そしてそれは正しいことなのだ。だれも他人を支配する権利はもっていない。他人を支配し得るのは、被支配者の幸福のためだけである。そして支配を行なう者に戦争を避ける義務があるのは、あたかも船長に転覆を避ける義務があるのと同じである。

 「船長が自分の船の転覆に責任がある時には、彼は裁判にかけられて、もし彼が不注意とか、さらに無能力とかいう点で罪ありと判明すれば、有罪の宣告を下される。

 「ではなぜ宣戦布告ごとに政府をも裁かないのか? もし国民さえこれがわかったら、もし彼らが自分らを殺戮へと駆り立てる権力を裁きさえすれば、必要もない死地に赴くのを拒否しさえすれば、自分たちに与えられた武器をこれを与えた相手に向けて用いさえすれば――もしそんなことがいつか起こるとしたら、戦争は死滅してしまうのだが。

 「だが、こんなことは決して起こらないだろう」。(『水の上』Sur I ’eau 七一―八〇頁)(中村融訳。河出書房新社トルストイ全集」15巻。334~337)

 

 トルストイモーパッサンでなくても、つまりごく普通の人間であっても戦争がいかに非人道的な残酷な行為であるかぐらいは分かるだろう。にも拘わらず、人類は平和時においては愛やヒューマニズムを口にしながら、いざ国家が戦争を決断すると、国民の大半がその決断に従ってしまうのはなぜなのだろうか。

 国家権力の前に個人の力は余りにも脆弱である。徴集を拒めば逮捕、監禁、処刑が待っているとすれば、たいていの人間は無抵抗のまま徴集され、戦場に送られ、殺し殺される惨劇を演じなければならない。法律で、宗教で、人殺しを厳しく禁じておきながら、戦争ではそれが真っ先に許される。人道主義も愛も赦しも、平和時においてのみ通用するまやかしの幻想に過ぎない。しかし、人類は何度戦争を体験しても、戦争が終わればまたこの幻想を大まじめに信じているように振る舞っている。現実を直視する者であるなら、呆れかえってしまうような滑稽で愚かなことを人類は性懲りもなく繰り返していることになる。

 人類の現実と未来にいったいどんな希望を抱くことができるのだろうか。現実を直視すれば、人類は口先では愛や人道主義を唱えながら、実は果てしのない破壊願望を抱いている存在以外のなにものでもないように思える。

    戦争の惨劇を目の当たりにすれば、良心のあるものなら人間そのものに嫌悪を抱くだろう。悲観と絶望のあまり自ら命を絶った者もある。人類が存続すること自体が計り知れぬ罪深いことのように思う人がいてもなんら不思議ではない。

 

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愛するものを失った悲しみの叫び〈ピーッ!〉が聴こえるか!

清水正

 坂本龍一の「ぼくはあと何回、満月を見るだろう」(連載第2回「新潮」8月号)に次のような文章がある。

  生物学の分野でも哲学の分野でも「動物に感情はあるのか?」という議論を目にしたりするけど、ぼくに言わせれば「ふざけんじゃねえ、あるに決まっているじゃないか!」のひとことです。
  10年ほど前に、フランスで話題になった何枚かの連続写真があります。道端に燕の夫婦がいて、どうやら妻の方が少し前に交通事故に遭ってしまった。その怪我を負ってグッタリした妻のもとへ、夫の燕が何度も頑張って餌を運びながら、励まし続けるんですね。だけど最後には妻が力尽き、死んでしまう。すると、それを知った夫が大きな口を開けて「ピーッ!」と、全力で叫ぶ――その一連の様子がカメラで捉えられていました。本当に辛く、悲しい場面です。(199)

  愛する者を失った悲しみ、憤怒の叫び〈ピーッ!〉に感応する心のないものが文学や芸術に携わることはできないだろう。わたしはこの〈ピーッ!〉でドストエフスキーの作品を読み続け、宮沢賢治の作品を読み続けている。

 理屈を並べればどんなことでも言えるが、この〈ピーッ!〉に感応できない生物学者、科学者、哲学者は未だ世界の神秘に直面しているとは言えない。動物どころか、すべての昆虫、魚、植物にも、わたしは感情が備わっていると思っている。

 だから辛いのだ。この世界に生きるものは例外なく、他の生きものを食して生きている。燕も生きるためには虫を餌としなければならない。宮沢賢治の『よだかの星』や『フランドン農学校の豚』などを読めば、憤怒の一義の声を大きく発することはできず、深い沈黙の深淵にたたずむほかはなくなる。

 わたしは沈黙せざるを得ない深淵を抱え込みながら、それでも〈ピーッ!〉となきつづける。それがわたしの文学であり批評である。
 今、ウクライナの戦場で、いたるところで〈ピーッ!〉が叫ばれている。プーチンはこの叫びをどのように聴いているのか。
 

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清水正研究」No.1が坂下ゼミから刊行されましたので紹介します。

令和三年度「文芸研究Ⅱ」坂下将人ゼミ

発行日 2021年12月3日

発行人 坂下将人  編集人 田嶋俊慶

発行所 日本大学芸術学部文芸学科 〒176-8525 東京都練馬区旭丘2-42-1

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                清水正・画

 

プーチンと『罪と罰』(連載29)

清水正

 

 プーチンドストエフスキーの思想のどこに偉大さを感じているのかは不明だが、政治家が作家を評価する時は要注意である。ましてや今や独裁者として振る舞っているプーチンのことである、彼はロシア正教会と結託してウクライナ侵攻を正当化するだけでは足りずに、世界の文豪ドストエフスキーの〈思想〉までをも借りて自らの権威付けを果たそうとしているのであろうか。まさかドストエフスキーの〈思想〉がウクライナ侵攻を肯定するとでも思っているのであろうか。

    ドストエフスキーはイワン・カラマーゾフを通して世界に存在する不条理を暴き告発している。イワンは世界に存在する様々な不条理、悲惨で不公平な事柄を具体的に突きつけることで、創造神に抗議する。イワンの求めている神は、この地上世界において真理・公正・正義を体現する神であり、不条理に対して沈黙を守り続ける神ではない。イワンは父フョードルの「神は存在するのか」という問に対して、迷うことなく「神は存在しない」と答えた。これはイワンが単純に神の存在を否定しているのではなく、不条理満載の世界を造った神に抗議していたと見た方が納得が行く。

 イワンは神が自ら創造した世界において真理・公正・正義を体現するものでなければ認めない。見方を変えれば、イワンは創造神を否定するが、愛と赦しのキリストとして地上世界に現出したイエスを否定することはしない。イワンがアリョーシャに向かって具体的に取り上げた無辜な子供たちの残酷無惨な数々の仕打ちを前にすれば、どんなに信心深いキリスト者も不信と懐疑の念にとらわれるだろう。

 神が存在するとして、どうして神はこういった地上世界において絶え間なく起きている悲惨な現実に対して救いの手を差し伸べないのか。今、現にウクライナでは多くの子供たちが砲弾銃弾の犠牲になっている。こういった無辜な子供たちを犠牲にする戦争を、人類は性懲りなく繰り返している。ドストエフスキーが『カラマーゾフの兄弟』を書いた十九世紀以前も、そして二度にわたる世界大戦を経た、二十一世紀の今日においても世界各地で紛争や戦争が繰り返されている。

 こういった現実を直視すれば、宗教も哲学も思想も無力そのものに思える。キリストが世界に何人現出すれば、無辜な子供たちの犠牲を食い止めることができるのだろうか。愛と赦し、暴力を否定するキリストを信仰しているはずの、世界中のキリスト教会に所属している〈信者〉がキリストの教えに背いているとしか思えない。

 偉大な思想家ドストエフスキープーチンウクライナ侵攻を肯定するであろうか。作品においてディオニュソス的世界を描いたドストエフスキーは、現実を生きる一人の人間として戦争をどのように受け止めていたのか。

 わたしは先に、現実世界を生きるドストエフスキーはひとりのロシア正教徒であったと書いた。作品世界の中にはキリスト者も不信心な者も同等の存在として描いたドストエフスキーであるが、彼は現実世界の中でディオニュソス的分裂者として振る舞っていたわけではない。

 精神世界において一義的判断を下せない者が、現実世界においては一義的判断を迫られることがある。戦争を否定する者、肯定する者、その両者の主張を同等の価値を持つものとして描いても、現実を生きるドストエフスキーは一人の人間として一義的回答を求められる。「あなたは戦争に反対なのか、それとも賛成なのか」と問われて、ドストエフスキーはどのように答えるだろうか。

 キリストはいかなる暴力をも否定しているのであるから、もしドストエフスキーがキリストの教えに忠実なら、とうぜんのこととして戦争を否定するであろう。が、問題は単純てはない。ロシア正教会の総主教キリルがウクライナ侵攻のプーチンを支持しているのをどう理解すればいいのか。トルストイのようにキリストの教えを最重要視する者にとっては、総主教キリルがキリストを裏切る者であり、彼をトップに据えているロシア正教会自体が反キリストの巣窟ということになろう。

 はたして現実のドストエフスキーはキリストの教えに従う者なのか、それとも反キリストの巣窟であるロシア正教会の教義を受け入れる者なのか。

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清水正

 

 さて、プーチンドストエフスキーの思想の偉大さを讃えているが、問題はその〈思想〉をどのように認識しているかである。ドストエフスキーの文学や思想を賛美する者がはたしてウクライナ国際法を破ってまで侵略するであろうか。ドストエフスキーの〈偉大な思想〉を問題にする前に、ロジオンの〈非凡人〉思想を問題にした方がはるかにプーチンの今回の侵略行動を理解することができるように思える。

    プーチンウクライナの欧米接近に敏感に反応し、ウクライナNATO加盟はどんなことをしてでも阻止しなければならないと考えていた。ウクライナ東部・南部の親露派の人々がネオナチによって攻撃されていることなどを理由に、プーチンは躊躇なく軍事行動に出た。プーチンは軍事行動の正当化を主張しているが、ゼーレン大統領は断固戦う意志を国民及び全世界に向けて表明し、民主主義国家の欧米諸国もまた次々にロシア批判とウクライナ支援を表明した。プーチンは短期間のうちに首都キーウを陥落するという初期の目的を果たせず、戦いは長期戦の様相を呈している。

 ドストエフスキーの思想を一義的に簡単に言い表すことはできない。ドストエフスキーロシア正教徒として信心深いキリスト者であったと断定することもわたしにはできない。ドストエフスキー文学のポリフォニイ性をそのまま認めれば、彼の精神世界には〈キリスト者〉も〈反キリスト者〉も同等の資格をもって存在することになる。

 『罪と罰』の世界だけに限定しても、そこには〈思弁の人〉ロジオンがおり、〈キリスト者〉ソーニャがおり、〈すっかりおしまいになってしまった〉ポルフィーリイ予審判事がおり、海千山千の〈淫蕩漢〉スヴィドリガイロフがおり、熱くも冷たくもない神の口から吐き出されてしまう〈弁護士〉ルージンがおり、〈ロシア最新思想の信奉者〉レベジャートニコフ……がいる。

 しかも彼らは〈〉で括った一義性では捉えきれない複雑な性格を供えている。ロジオンは〈思弁の人〉で〈殺人者〉だが、一家の犠牲になって〈淫売婦〉に堕ちているソーニャに人類の全苦悩を背負って愛と赦しを体現しているキリストの姿を見て彼女の前に跪拝せずにはおれない。ポルフィーリイ予審判事はすっかりおしまいになってしまった男だが、ロジオンに復活の未来を視る預言者でもある。淫蕩漢スヴィドリガイロフはソーニャに三千ルーブリの債権を手渡す、現実的な次元で奇跡を起こすことのできる人(чудотворец)でもある。レベジャートニコフは浅薄な革命家の貌をもちながら、ルージンがソーニャに仕掛けた冤罪事件を公衆の面前で暴く〈キリスト〉のような役割も果たしている。

 要するに、『罪と罰』の人物に限っても多義的な性格を賦与されており、一義的に解釈することは危険である。ましてやドストエフスキーの全作品を対象にして人物の性格や思想、信仰を一義的に括ることは危険であり、ドストエフスキー文学のディオニュソス的性格を看過することになる。

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