プーチンと『罪と罰』(連載10) 清水正

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プーチンと『罪と罰』(連載10)

清水正

 

 ここでロジオンの〈踏み越え〉におけるリザヴェータの予期せぬ出現を想起しておこう。  ロジオンにおけるリザヴェータとは、彼の〈非凡人〉思想に隠された〈すべては許されている〉の具象的存在である。ロジオンが意識的に計画していたのは高利貸しのアリョーナ殺しであり、それは〈良心〉に照らして許されていた。が、リザヴェータ殺しはその範疇から逸脱している。ロジオンはリザヴェータを社会のシラミ、不要物と見なしてはいない。しかし、目撃者リザヴェータを見逃すことはできない。ロジオンは斧を振り下ろした。

 プーチンにおける〈アリョーナ殺し〉を〈クリミア侵攻〉と見れば、〈ウクライナ侵攻〉は〈リザヴェータ殺し〉と見ることができる。第一回目の〈踏み越え〉は第二回目の〈踏み越え〉を不可避的に招き寄せる。だが、ロジオンが〈リザヴェータ殺し〉に成功したようには、プーチンの〈ウクライナ侵攻〉は成功しない。ウクライナ大統領ゼレンスキーはアメリカからの国外脱出の申し出を拒み、徹底抗戦を国民に呼びかけた。プーチンのロシア・ウクライナ同一民族説は、ゼレンスキーの毅然とした戦う精神の前に拒絶された。

 プーチンの野望(新ロシア世界の建設)を達成するためにはゼレンスキー政権を打倒しなければならない。が、ゼレンスキーの背後には、アメリカ、NATO諸国が控えている。自由主義と民主主義を標榜する国家は、ウクライナを侵攻したプーチンを激しく非難攻撃し、ゼレンスキーを全面的に支持する姿勢を貫いている。今のところ、プーチンウクライナ侵略の正当性を支持する者は限られている。国際世論は、いかなる理由があれ、先に軍事的侵略を開始したプーチンを〈悪〉と断定し、彼の言い分に冷静に耳を傾けようとはしない。

 国際法に則ればプーチンウクライナ侵攻は違反であり、プーチンがいくら正当化をはかっても民主主義陣営を十分に納得させることはできない。動画でウクライナ関係の番組を見ても、その大半の報道はプーチンは〈悪〉、ゼレンスキーは〈善〉という前提に立っており、善悪二元論を脱却した報道はごく少ない。善悪二元論に立脚すれば、プーチンを〈善〉、ゼレンスキーを〈悪〉とすることもできるわけで、いずれにしても〈戦争〉の根元に迫ることはできない。

 地上波のメディアにしても動画にしても、〈戦争〉の闇に大胆に踏み込んでいくことは許されていない。報道される戦争の現場は、戦車から砲弾が発射される場面であったり、また砲弾によって戦車が炎上している場面であったりする。こういった報道を映像を通して観ている多くの視聴者の頭に、戦車内で死んでいく兵士の苦悶の姿は浮かんでこない。瞬時に、あるいは苦しみもがいて死んでいく兵士や、その家族や友人や恋人の身になって、想像力を豊かに発揮できる者は、戦争などで殺し殺されることの理不尽を強く感じるに違いない。

 戦場で使われる様々な最新式兵器によって、その交戦の現場が報道されても、カメラの視線は戦う兵士の一人一人の姿や、ましてやその内部世界を捉えたりはしない。兵士は戦車と同等の、戦うモノとして扱われている。戦争にかり出された兵士には、人間としての自由意志は奪われている。戦場において上官の命令は絶対であり、それに離反すれば厳しく裁かれるか、ただちに処刑される。戦場において人間は人間であることが許されない。上官の命令に従ってその使命をはたすことだけが求められている。

 戦場においてキリストの教え(汝の敵を愛せ)を全うすることは、自らの死を甘受することなのである。原理的に言えば、戦場において生き延びたキリスト者など一人もいない。無抵抗を信条とするキリスト者は戦争にかり出される前に、兵役を拒否して、法的に処罰されることになる。

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プーチンと『罪と罰』(連載9) 清水正

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プーチンと『罪と罰』(連載9)

清水正

 

 ロジオンは思想の自立性を生きていない。ロジオンの〈非凡人〉の思想と、それに基づく犯行はまさに神秘的、デモーニッシュな力の作用によって起こされている。ロジオンが冷静に周到に〈非凡人〉の思想を検証し、同時に自らが〈非凡人〉であるかどうかを考えれば、ロジオンは〈踏み越え〉を回避し得たはずである。が、作者は〈非凡人〉としての能力を備えていない〈弱い心〉の持ち主に、〈非凡人〉としての行動を要求し、しかも彼に重要な思想上の秘密を賦与した。秘密の一つが〈アレ=皇帝殺し〉である。ロジオンは革命家(テロリスト)としての顔を作者によって隠されている。

 ドストエフスキーはイワン・カラマーゾフに端的に「神がなければすべてが許されている」と言わせている。ロジオンの犯罪に関する論文を読んで、ポルフィーリイが読みとったのは革命家の論理、すなわち〈非凡人〉(革命家)には〈すべてが許されている〉ということだった。しかし、ドストエフスキーはロジオンの〈非凡人〉思想の内に隠した革命家の論理を、ポルフィーリイの言葉、およびロジオンとポルフィーリイの対話によって浮上することを恐れた。元政治犯ドストエフスキーは、主人公ロジオンが〈皇帝殺し〉を謀るようなテロリストであることを看破されないために、さまざまな叙述上の工夫を施している。ポルフィーリイはロジオンの〈非凡人〉思想に関して、作者が隠した秘密を暴露するようなことはしない。

 「神がなければすべてが許される」という思想を抱いた者は、神を否定して自らが神になることを願っている。ロジオンは〈非凡人=神〉と見なして、自らの絶対化(神格化)をはかってもよかった。神が創造した地上世界の不条理を是正するために自らが新しき神となってもよかったはずである。そのためには現に地上の世界に君臨している皇帝を殺し、自らが皇帝となる。こういった野望を前面に押し出すためには、ロジオンを屋根裏部屋の空想家の領域に押しとどめておいてはならない。ロジオンを屋根裏部屋の唯一者から革命組織の指導者へと変身させなければならない。ロジオンが革命家として積極的に発言し、行動すれば、彼の抱いた〈非凡人〉思想は明確に読者に伝わったはずである。が、見ての通り、ロジオンは一人のテロリストとしても行動することはできなかった。

 ロジオンは革命家としての言動を封じられ、ソーニャのキリスト者としての道へと踏み込んでいくが、これは作者の指示に従ったまでのことであり、わたしたちはキリスト者ロジオンの具体的な生活を何一つ知らされていない。作者は、「思弁の代わりに生活(命)が到来したのだ」と書いてロジオンの回心を決定付けたが、しかしわたしの内で〈思弁〉は生き続けている。ロジオンは回心してさえ、二人の女を殺したそのことに〈罪〉の意識を感じてはいないことを忘れてはならない。  その意味で、『罪と罰』においては〈革命〉と〈信仰〉の問題は依然として決着がついていない。

 プーチンの場合、現実世界における一国の大統領であり、彼の政治的方針は明確な一義性を備えている。ウクライナ侵攻の理由は様々に解釈されるとしても、侵攻したことは事実である。プーチンはクリミア侵攻から八年後、再びウクライナ侵攻を開始した。当初、首都キエフを短期間の内に征服し、ウクライナ全土を併合しようと謀ったが、ウクライナ軍の徹底的な防戦によって終戦の見込みはつかなくなった。

 アメリカ、NATOEU諸国のロシアに対する経済制裁、およびウクライナに向けての武器提供によって、プーチンが侵攻当初抱いていたであろう短期間での決着は根本的な見直しを迫られている。戦局は予断を許さないが、しかしプーチンの思想信条、政治的野望に揺るぎは見られない。プーチンはロジオンと違って屋根裏部屋の空想家でも観念的絶対者でもない。プーチンは現実の世界において独裁者になり仰せた〈理性と意志〉の人であり、自分の野望を現実に達成できる強大な権力を持っている。途中で引き下がることは、独裁者としてのアイデンティテイを失うことになる。目的を達するためには手段を選ばず、政敵や自分に不利な情報を伝えるジャーナリストを情け容赦なく抹殺することで、独裁者としての盤石の地位を築き上げてきたプーチンは、一度〈踏み越え〉てしまった以上、その道を歩み通すしかないのである。

 

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プーチンと『罪と罰』(連載8) 清水正

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プーチンと『罪と罰』(連載8)

清水正

 

 ロジオンの〈踏み越え〉の計画はあくまでも彼一人によって遂行されなければならなかった。プーチンの場合は、国家の指導者であり、今や独裁者として振る舞っているから、彼の計画は世界に晒されており、国内外のメディアはウクライナ侵攻の今現在を刻々と伝えている。核保有国ロシアの〈独裁者〉として、事の成り行き次第では核ミサイルを発射しかねない緊迫した状況にある。

    報道番組に招かれた政治・経済・軍事の専門家は各の意見を披露するが、肝心のプーチンの胸の内を的確に伺い知ることはできない。なにしろプーチンの今回のウクライナ侵攻を予め正確に予知していたジャーナリストや軍事専門家はいなかった。知っていたのはプーチンと彼の側近、およびロシア中枢部の秘密条項を握っていた工作員ぐらいのものであろう。が、プーチンの〈踏み越え〉の狙いは彼の内部にドローンを飛ばすまでもなく明白である。

 プーチンソ連邦崩壊以前の全領土の奪回を目指し、そのためにロシア正教会との一体化をはかってきたのである。プーチンは神の名において新ロシア帝国の建設を計画し、そのためにはあらゆる手段が許されていると考えている。ロシア帝国の歴代の皇帝、その専制君主制度の転覆を謀った革命家たち(ネチャーエフ、レーニンスターリンなど)が〈革命〉のためにあらゆる暴力的手段も許容したように、プーチンの考えも基本的には同じである。

 ロジオンの〈非凡人〉思想の内には、未だ〈良心〉が生きており、〈踏み越え〉にあたっては「非凡人は良心に照らして血を流すことが許されている」とポルフィーリイに説明していた。さて、プーチンには〈良心〉があるのだろうか。何万人ものウクライナ人の命を奪うことにプーチンの〈良心〉はなんら疼くことがないのであろうか。

 ネチャーエフの革命家教理問答のうちに〈良心〉などはいっさい問題にされていない。革命家にとって革命は絶対正義であり、この絶対正義に向けての不信と懐疑を抱く者はその時点で革命家としての資格を剥奪される。絶対正義としての革命を実現するためには、自らの命はもとより他人の命を犠牲にすることに全く躊躇しないというのが革命家のあるべき姿として捉えられている。プーチンは絶対正義を実現する独裁者として、戦争で何万人の犠牲者が出ようと、そのことで〈良心〉がとがめられたり、動揺したりすることは許されないのである。

 ロジオンの犯行後の懊悩を良心の仮借に求めるよりは、〈アレ〉に耐えることのできなかった能力の欠如と見た方が納得がいくが、ソーニャはロジオンのこの懊悩自体に彼の人間的本質を見る。痩せ馬殺しの夢の中で、少年ロジオンは殴り殺される痩せ馬に激しく心を揺さぶられている。ロジオンは心優しい、同情心溢れる子供だった。この心優しいロジオンがよりによって二人の女の頭上に斧を振り下ろすことになる。悪魔がとりついてロジオンを試みたとしか言いようがない。

 悪魔は屋根裏部屋の貧しい大学生の頭に、〈非凡人〉の思想を吹き込む。ロジオンの書いた犯罪に関する論文を読んだポルフィーリイは「非凡人はすべてが許されている」と解釈した。ロジオンはそれを訂正し、そんな論文は発表ることさえ許されなかったであろうと言っている。ロジオンのこの言葉を信じれば、彼は良心に照らして老婆アリョーナを殺したことになる。

 問題は、犯行現場を目撃したリザヴェータの殺害である。ロジオンはアリョーナだけを殺して彼女がため込んだ金品を奪い、それを元手にして事業を興し、成功した暁に恵まれない者たちに善行を施せば、自ら犯した一つの犯罪はあがなわれると考えた。つまり第二の犯行、リザヴェータ殺しを全く予期していなかった。ロジオンは殺したリザヴェータに関して、〈非凡人〉論に関係づけて考えることはなかった。ふしぎなことに、あれほど残酷な殺し方をしておいて、ロジオンはリザヴェータに関して良心に苦しめられることはなかった。老婆殺害の現場にぐうぜん訪れた、そのリザヴェータのぐうぜんの出現に謎めいたものを感じただけである。

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プーチンと『罪と罰』(連載7) 清水正

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プーチンと『罪と罰』(連載7)

清水正

 

 十九世紀ロシアにおいて書かれた『罪と罰』と現在のロシア大統領プーチンの起こした戦争について少しばかり考えてみることにしたい。『罪と罰』の主人公ロジオン・ロマーノヴィチ・ラスコーリニコフ(Родион Романович Раскольников)は「Разве я способен на этο?」(わたしにアレができるだろうか?)と考えていた。このロジオンの〈アレ〉(原文ではэтοのイタリック体)はタイトルの『преступление и наказание』(『罪と罰』)の〈преступление〉(直訳すれば〈犯罪〉〈踏み越え〉)と密接に繋がっている。

    表層的テキストにおいて〈アレ〉は高利貸しの老婆アリョーナ殺しを意味しているが、実は〈皇帝殺し〉や〈復活〉を意味していることはすでに何回も指摘している通りである。ロジオンの父称は〈ロマーノヴィチ〉(Рοманович)で〈ロマノフ王朝の〉と解釈することもできる。つまりロジオンはロマノフ王朝の血筋を引く〈薔薇〉(родион)であり〈英雄〉(иродион)であり、〈分離派教徒〉(раскольники)ということになる。

 ロジオンは二人の女を殺した後、四日間も意識不明に陥るほど苦しみと恐怖に襲われるが、この殺人者の懊悩を多くの読者は〈殺人に対する良心の仮借〉と受け止めてしまう。が、テキストを忠実に読めば、ロジオンは殺した二人のことで悩んだり恐怖にかられたりしているのではない。ロジオンは殺害事件の犯人として摘発されることを恐れているのであり、彼は一度として殺したアリョーナやリザヴェータのことで苦しんではいない。

 極端な言い方であることを承知の上で言えば、ロジオンは〈アレ〉を犯した後で、自分には〈アレ〉を犯す〈才能〉がないことをはっきりと認識せざるを得なかったこと、まずはそのことに苦しんでいることを忘れてはならない。しかもロジオンは〈アレ〉をなす能力がなかったことを自覚してすら、自分の犯した〈アレ〉(преступление)に〈罪〉(грех)意識を覚えることはただの一度もなかったのである。この点を読み間違えると『罪と罰』という〈小説〉(虚構・幻想)の凄さ、恐ろしさに肉薄することはできない。

  『罪と罰』が発表されてから百五十六年後、ウラジーミル・ウラジーミロヴイチ・プーチン(Владимир Владимирович Путин)はウクライナに侵攻した。ロジオンの〈преступление〉(踏み越え)にプーチンのそれを重ねてみるとどうなるか。ロジオンは〈アレ〉(этο=アリョーナ殺し)に対して戸惑いと躊躇があったが、プーチンにはそれが見られない。プーチンにはロジオンのような事をなすにあたっての迷いが見られない。

 ロジオンは「Разве я способен на этο?」と呟いて、事をなすに当たって自分の能力に疑問を抱いていたが、プーチンに〈アレ〉(ウクライナ侵攻)に対して自分の〈能力〉(способный)を疑っているは形跡はない。プーチンの信念は不条理にも崩壊させられてしまった〈ロシア帝国〉の奪回(再構築)にあり、その信念によればウクライナは独立した国家というより、ロシアの一領土でしかない。二千十四年に武力をもって占領したクリミアはもとよりベラルーシなども、プーチンの構想の中では本来〈ロシア〉なのである。

 プーチンの政治哲学は皇帝による独裁専制主義の肯定であり、国家とロシア正教会は一体化している。政教分離などという考えは、民主主義社会の能天気な欺瞞であり、国家は宗教と一体化してこそ強靱な国家足り得るというのがプーチンの揺らぎなき国家観をなしている。

 ロジオンの独白にはまず最初に〈Разве〉(はたして)という迷いの言葉があった。対してプーチンにはこの〈Разве〉がない。もしプーチンに〈Разве〉があれば、彼の内心の揺らぎや苦悩も露わになったに違いない。プーチンの信念(新しいロシア世界の構築)を暴力(戦争)によって達成しようとすれば、当然のこととして相互に多数の犠牲者が出る。安逸と平和の秩序は瞬く間に破壊され、兵士ばかりか一般の人々の血も流されることになる。

 殺し殺されの修羅場にあって〈愛と赦し〉はお花畑のつかの間の夢と化してしまう。戦場にあって兵士は「歯には歯を」の教えに忠実にならざるを得ない。もしキリストの教えに従うなら、その場で射殺されることを覚悟しなければならない。国家がいったん戦争に突入すれば、暴力に対する無抵抗、非戦論を貫くことは逮捕、拘禁、処刑を免れない。人間のすべてが同時に〈愛と赦し〉を体現できれば、人間は戦争を免れることもできよう。しかし現実にはそんなことはありえない。キリストの教えはすべての教会組織に乖離する。教会組織は時の国家権力と妥協し、自らも権威・権力をわがものとして存続してきたのである。

 ロジオンには〈アレ〉を成し遂げる〈才能〉が備わってはいなかった。ロジオンの〈踏み越え〉(преступление)は高利貸しの老婆とその腹違いの妹を殺すだけに終わった。作品展開においてロジオンの恐るべき〈思弁〉は揺るぎの中で停止し、ロジオンは〈キリスト教〉的愛と赦しへの世界へと誘致されて行った。

 ロジオンの思弁、そのナポレオンを崇拝する非凡人思想を安易にキリスト教思想へと誘致されてはならない。『罪と罰』のロジオンは様々な制約をかけられた人物であり、自分の思想さえ編集者、批評家、検閲官の目を意識しなければならなかった。

 ロジオンの〈アレ〉は彼個人の胸の内に完璧に納められていなければならなかった。ロジオンは自らの〈革命〉に関する思想を、唯一の友人ラズミーヒンにさえ内密にしていた。その意味でロジオンの〈踏み越え〉はきわめて個人的な行為であった。描かれた限りでみれば、ロジオンは他者と組んで〈踏み越え〉をなそうと思ったことは一度もない。ロジオンの特徴は観念的唯一者のそれであって、組織をつくり、その組織の指導者として自らの思想を実行化する者のそれではない。

 

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プーチンと『罪と罰』(連載6) 清水正

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プーチンと『罪と罰』(連載6)

清水正

 

 プーチンウクライナ侵攻によって、改めて人間とは何か、を考えさせられる。人類は万物の霊長とか言っても、未だに戦争を回避できないでいる。今や、アメリカとロシアの持っている核兵器だけでも、戦争で使用すれば人類が滅亡すると言われている。核兵器が戦争を回避し、平和を維持することができるという神話が壊れようとしている。人類が核兵器をどんなことがあっても使用しないとはもはや誰も確言できなくなっている。

    なぜ人間は人類全体を滅ぼすほどの核兵器を開発してしまったか。人間は本当に平和を願っているのだろうか。否、人間心理の底には自らの滅亡を願う欲求も潜んでいる。本当に人間が平和だけを望んでいるのなら、残虐非道な戦争など起こすはずはない。人類が繰り返し繰り返し戦争を起こしてきたのは、人類が戦わずにはおれない本能を持っているからにほかならないであろう。人類はこの地上世界において、永遠の平和を維持することができない、破壊願望を満たさずには生きておれない存在なのである。

 他民族ばかりでなく同族に向けても銃弾を発することができるのが人間であるということ、現に起きている戦争はそのことを端的に証明している。人間はどんなに残虐なこともできるし、そうした上で人道主義者にもキリスト者にもなり得るのである。戦争は人間とは何かを、負の領域から把捉し直すことができる。そのことによってまた平和、人道主義を標榜する者の根深い欺瞞を晒すこともできるだろう。

 プーチンウクライナ侵攻に対して今、キリストの教え(汝の敵を愛せ)を大まじめに説くことのできる者がはたして何人いるだろうか。自分の愛する親や兄弟を残虐なやり方で殺した相手をどのように愛し赦せるのか。やられたらやり返す。まさにキリストが否定した〈歯には歯を〉を実行しているのがロシア・ウクライナ戦争である。

 この〈歯には歯を〉には様々な解釈があるが、要するに報復主義の肯定であってキリストの教えには反している。暴力に対する無抵抗が相手の暴力を抑制するよりは助長させることがある。個人間の場合も、国家間の場合も事情は同じである。異なったイデオロギー、宗教、民族で構成された国家間で平和を維持することがどんなに困難であるかは歴史が証明している。

 モーセが厳しく〈殺し〉〈盗み〉〈姦淫〉〈偽証〉などを禁じたかと言えば、人間がそれを不断に犯す存在だからである。もし人間が〈愛〉と〈赦し〉を揺るぎなく備えた存在であれば、戒律などを神の名において設ける必要はない。キリストの教えが永遠性を持っているのは、人間がどこまで行っても様々な欲望から解放され得ない存在だからこそである。

 政治家や宗教家は自らの内に根深い覇権欲を隠しており、その欲望を満たすためにはあらゆる手段を正当化し、国民や信者をたぶらかそうと抜け目なく企んでいる。人間がその構成する組織において、一段でもほかの者より上の位階につきたい、金や権力を持ちたいという欲望が滅却されない限り、人類社会は〈戦争〉を免れることはできない。

 ドストエフスキーは「人間はなんにでも慣れる」と言ったが、換言すれば「人間はなんでもする」ということである。殺人も陵辱もするし、そうした後で平気な顔で民主主義や人道主義も標榜することができるのである。証拠がほしければ、今現在、人間がしていることを見ればいい。

 

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清水正研究」No.1が坂下ゼミから刊行されましたので紹介します。

令和三年度「文芸研究Ⅱ」坂下将人ゼミ

発行日 2021年12月3日

発行人 坂下将人  編集人 田嶋俊慶

発行所 日本大学芸術学部文芸学科 〒176-8525 東京都練馬区旭丘2-42-1

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表紙

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目次

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プーチンと『罪と罰』(連載5) 清水正

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                清水正・画

 

プーチンと『罪と罰』(連載5)

清水正

 

 わたしはドストエフスキーを半世紀以上にわたって読み続けているが、キリスト教徒になろうと思ったことはない。わたしの菩提寺曹洞宗である。仏事はすべて曹洞宗の行事に則っている。御盆には提灯を下げて祖先の御霊をわが家に招き入れ供養している。わたしはなんの疑問も抱かずに迎え盆、送り盆の仏事をなしてきた。わたしが誕生する前に兄の三人が死んでおり、盂蘭盆の仏事を疑問に思ったことはない。死者の御霊が来世に存在し、御盆の時だけ今生に蘇ってくるという〈考え〉をごく自然に受け入れているので、そのことを理屈で改めて考えようとしたことはない。御盆の時に、死者と親しく交わるという仏事がひとに迷惑をかけるわではないし、わたしは今日に至るまで御盆を否定的に考えたことは一度もない。わたしはこういった観点からキリスト教圏内のひとびとの〈信仰〉を受け止めている。ドストエフスキーが文学作品において、神の存在をめぐってどんなに解決不可能な深刻な議論を展開していても、現実世界を生きていたドストエフスキーの〈信仰〉は素朴に、理屈なしに認めるのも、わたし自身の〈信仰体験〉に基づいているのである。〈信仰〉を理屈でいくら考えても決着はつかない。

 人間は神の存在に関して考えなくても生きていける。たしかアルベール・カミュが作品のなかで一老人に「人生なんか単純なもんだ」というセリフを吐かせていた。わたしはこのセリフを若い時に読んで、その通りだと思った。今、七十三歳となって〈人生=単純〉を実感している。ハイデッガーの『有と時』を読んだ時も人生の単純さを思い知った。

 ハイデッガーのこの著書は読みづらい部類に入るのかもしれないが、わたしには実に分かりやすいものであった。現存在(人間)は訳も分からずにこの世界に誕生し、訳も分からずに死んでいく。その人間がこの世界でどのように生きているか、その諸様態を現象学的方法によって記述しているだけのことで、この膨大な量の論文には、人間はいかに生きるべきかについての問題が提起されていないし、従ってその回答もない。ハイデッガーは現存在諸様態を非本来的(好奇心・おしゃべり・曖昧に生きる世界に頽落した様態)と本来的(死を予め覚悟して生きる様態)に分けているが、後者に価値を置いているわけではない。〈本来的〉という言葉自体が〈非本来的〉という言葉に対する優位的価値を予め付与されているように思えるが、現象学的態度においては価値判断は永遠にあるいは慎重に回避されている。

 ハイデッガーは人間を死すべき存在としてとらえているが、死後の世界に関する言及はしていない。前世や来世は宗教においては不可避の重要問題であるが、哲学は理性や知性に則って構築される限りにおいて、その機能を超越した言説はいっさい許されない。その限りにおいて、ハイデッガーの哲学は、キリスト教神学の領域に立ち入ることができない。キリストが発した言葉「わたしは命であり復活である、生きてわたしを信じる者は死ぬことはない」に対してハイデッガーの哲学は肯定することができない。

 『有と時』をどんなに精密に読み通しても、〈救済〉ということに関してはなんらの力も得ることはできない。哲学的思弁をどんなに緻密に展開しても、畢竟〈信仰〉に至りつくことはできない。それはロジオン・ラスコーリニコフの〈思弁〉の結果をみれば明白である。逆にソーニャの〈信仰〉はなんら思弁の力を借りていない。否、思弁の対極にあるからこそソーニャの〈信仰〉は成り立つ。もし読者がソーニャの〈信仰〉を共にしようとするなら思弁的態度を放擲しなければならないだろう。

 わたしはドストエフスキーの文学に関しては思弁的姿勢を貫くことによってソーニャの〈信仰〉と共に生きることはできない。わたしは〈十字架に掛けられた者〉よりは〈ディオニユソス〉を選ぶ者である。わたしはドストエフスキーのように熱狂的にキリストを信奉する者ではない。キリストの言葉を全面的に受け入れていたなら、とっくの昔に殺されていただろう。

 わたしの信仰の対象は、熱いか冷たいかを人間に求め、そのどちらでもない生ぬるき者を口から吐き出してしまう、容赦のないユダヤキリスト教の神ではない。〈生温い〉と形容するからよくないのであって、熱くもない冷たくもない適温を選ぶのが大半の日本人の心性であり、そこから世界に誇るべき温泉文化が発達してきたのではないかと思っている。

 わたしは温泉における適温のような、暮らしに基づく中庸思想を改めて見直す必要があると思っている。一神教の教義は自らの絶対性に対して微塵の妥協もない。従って一神教の宗教間において、どんなに対話を繰り返しても解決を見いだすことはできない。人道主義に基づく宗教間の対話による解決は〈幻想〉でしかない。〈幻想〉に酔える時間を与えられているあいだだけは架空の平和を満喫できるが、いざという時が訪れればその〈幻想〉が弾け飛ぶ瞬間を味わわなければならない。

 

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プーチンと『罪と罰』(連載4) 清水正

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プーチンと『罪と罰』(連載4)

清水正

 

 『カラマーゾフの兄弟』におけるアリョーシャを囲んだ子供たちの「カラマーゾフ万歳」は、「ディオニュソス万歳」と解釈はできても「キリスト万歳」と一義的に受け止めることはできない。ドストエフスキーは生涯の最後においても、作品の世界で絶対的な、つまり不信と懐疑を完璧に超克した信仰を表明することはできなかったとわたしは考えている。

 ドストエフスキーは『白痴』のムイシュキン公爵において真実美しい人間の造形を目指したが、その目論見に成功したとはとうてい思えない。ムイシュキン公爵は現実世界を生きる人間たちが抱え込んでいる欺瞞を無邪気に容赦なく暴き出す人物であり、過剰な同情心あふれる人物であるが、決してひとに安泰と幸福をもたらす人物ではない。彼は秩序を無秩序に、安泰の日常を悲劇的な非日常に変える異様な力を備えた異人的存在であり、自意識の届かぬ内部世界の深奥に自他共に破壊せずにはおかないし毒物を抱え持った人物であった。

 ムイシュキン公爵という人物は、シベリアで〈思弁〉(диалектика)の代わりに〈命〉(жизнь)が到来した、と作者ドストエフスキーによって保証されたロジオン・ラスコーリニコフの直々の後継者とは言いかねる。ムイシュキン公爵ラスコーリニコフよりはむしろスヴィドリガイロフの血を多分に受け継いでいる。キリスト教に対する不信と懐疑の念はスヴィドリガイロフに鬱積している。その意味では、ムイシュキン公爵はスイスの療養所からではなく、蜘蛛の巣のかかった田舎の〈永遠の湯殿〉からペテルブルグへとやってきたと言った方が納得がいく。

 『未成年』のヴェルシーロフは神を信じようとして様々な苦行までするが、ついに信仰することができない。ヴエルシーロフは自分には神を信仰する能力がないのだと思わざるを得ない。『カラマーゾフの兄弟』のゾシマ長老は清廉潔白な高僧と思われているが、実はスメルジャコフの父親の顔を隠している。ゾシマ長老の闇の秘密を知っているのは、スメルジャコフの父親だと噂されているフョードルだが、彼は最後までこの秘密を誰にも晒すことなく墓場へと持ち去った。

 ゾシマ長老が死んで悪臭を放ったことは、いつも悪臭にまみれていた乞食女リザヴェータとの繋がりを暗示していたが、作者はこの秘密を封印し、またこの秘密に肉薄する批評家、読者もいなかった。わたしはスメルジャコフはゾシマ長老がリザヴェータに秘密裡に孕ませた子供、スネギリョフ退役二等大尉の息子と思われているイリューシャ少年は、実はフョードル・カラマーゾフの子供だと思っている。ゾシマ長老とフョードル・カラマーゾフは世間から隠された〈実子〉を持っていることでも共通している。ゾシマ長老の抱え込んでいる闇は深く、一種独特の眼差しを獲得した者にしか彼の秘密をのぞき見ることはできない。

 『カラマーゾフの兄弟』は未完の小説であり、この小説は死期を予感していたドストエフスキーによって書き急がれている。ゾシマ長老とフョードル・カラマーゾフの秘密、アリョーシャの内部に潜んだ〈悪魔の子供〉は未だその成長を停止されたままである。アリョーシャの描かれざる未来に〈革命家〉の相貌を見る者があるが、たとえそうだとしてもこの〈革命家〉はピョートル・ヴェルホヴェーンスキーの悪魔の長い赤い舌を口中に隠し持っていることを忘れてはならない。ドストエフスキーにおける〈革命家〉の実体を的確に把捉するためには、ピョートル・ヴェルホヴェーンスキーにおける〈キリスト〉が見えていなければならない。が、未だ『悪霊』に秘め隠された多くの点が知られていない。ドストエフスキーの文学は百年や二百年ぐらい経過しても、容易にその姿を晒すことはない。

 いずれにしても、世界的な小説家であるトルストイドストエフスキーが真剣に真摯に〈人間とは何か〉を問い続け、〈神の問題〉を追究し続けたことを忘れてはならないだろう。わたしはドストエフスキー宮沢賢治の文学を通して、生きてあることの謎の前に立ち続けている。七十歳を越えて三年目になるが、分かったことと言えば〈分からない〉ということだけである。なんのために生まれてきたのか、死んだらどうなるのか、まったく分からない。が、分からないことに苛立ちはない。それでいいと思っている。運命に身をゆだねている。〈諦め〉と言ってもいいが、別に人生に絶望しているわけではない。〈諦念〉〈絶望〉をニーチェ風に〈積極的ニヒリズム〉と換言してもいい。

 わたしは十四の時から〈必然者〉となったので、すべての事象に〈必然〉をみる。この〈必然〉は即〈自由〉でもあるので、〈必然〉と〈偶然〉が対立概念となることはない。ドストエフスキーは『地下生活者の手記』で、すべての事象は〈必然=二×二=四〉であると見なしながら、人間の〈気まぐれ〉は〈必然〉の網の目から抜け出して〈自由〉の範疇に属するものと認めた。

 創世記の全能の神が人間を自由な意志を持つ存在として創造したということを、キリスト教圏内のドストエフスキーもまた忠実に継承している。ドストエフスキーの人物たち、特に人神論として設定された人物たちは、自らの〈自由〉を徹底的に余すところなく駆使して、創造主〈神〉をも〈否定する自由〉を放棄せずに闘い続ける。ドストエフスキーの人物の内に、仏教的な〈無〉や〈空〉を体現する人物は登場してこない。

 

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