「トルストイの「懺悔」をめぐって」2を掲載

 

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ドストエフスキー曼陀羅─松原寛&ドストエフスキー

(D文学研究会星雲社発売)

本書はドストエフスキー生誕200周年・日芸創設100周年を記念して刊行されます。

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表紙と帯

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今回はわたしの「苦悶と求道の哲人・松原寛をめぐる断想─トルストイの「懺悔」、松原寛のキリスト像柳宗悦の奇蹟観などに触れながら―」の中から

トルストイの「懺悔」をめぐって」の前半部分2を゜掲載します。

  いつか私は自分の青春時代のこの十年間の生活の話ーー感激と教訓に富んだーーをすることがあろう。多くの人々にもこれと同じような経験があることと思う。私はりっぱな人間になりたいと心から願っていた。が、年も若く、情欲があったし、美徳を探求していた頃は一人きりで、まったくの孤独だった。そして私が本心から願っていることを、つまり、道徳的にりっぱな人間になりたいということを口に出して言おうとするとかならずいつも軽蔑と嘲笑とに直面してしまうのだった、が、忌まわしい情欲に身を委すや否や、たちまち私は賞賛されたり、けしかけられたりした。
  功名心、権勢欲、貪欲、色欲、傲慢、憤怒、敵愾心、ーーそんなものがどれもたいせつに思われた。(6)


 松原寛はミッションスクール時代に抱いた世俗的な野心・功名心ambitiousを隠すことはなかった。松原寛の著作に韜晦はないし、虚勢もない。自分の心の動きを素直に表白している。松原寛がトルストイの『懺悔』に心の底から共感を抱いたことは間違いない。
 松原寛は処女論文「若き哲人の苦悶」で次のように書いている。

  私は丁度一昨年より昨年の初めにかけてあらゆる苦悶と戦った。其れは今言わんとするものでないから、余り内容には立ち入るまいが、自己不満や、従来把持していた確信の瓦解やによりて起った不可解論、懐疑主義を持つ様になって、全く生の暗黒の外知る事が出来なくなっていた。トルストイコンフェッションは其頃私の最も耽読せしものの一つであった様な有様で、華厳瀑布の岩頭に立った藤村操氏や、幾度か手に刃を握った吐伯や、又は毒杯をあおがんとしたファウスト等の心事や感情は、決して私には不可解のものではなかった。善く其気持や気分を知り得るものの一人であると自ら信じて居る。実際其頃の自分を省みて見ると、いたましくもあわれな悲しき限りなきものであった。どうして今頃こんなに生きて、こんな物を書いているのか不思議の様にも思われる。

 

 松原寛の全著作は懺悔の意味合いを持っている。彼は徹底して自分を内省し、確固たる永遠のものを求めて煩悶し続けた哲人である。トルストイもまた死ぬまで内なる格闘をし続けた作家である。
 わたしはトルストイの『アンナ・カレーニナ』や『クロイツェルソナタ』を高く評価する。特に後者は人間の嫉妬の問題を鋭く的確に描いた傑作である。わたしが妙な感じで面白いと思うのは、トルストイ自身の『クロイツェルソナタ』評の凡庸さである。どうして『クロイツェルソナタ』のような傑作を書き下ろしたトルストイが、同時にこんなにも凡庸な感想を書き記すことができるのか。トルストイの内には紛れもない天才と凡人以下の凡人が同居しているのかと思ったほどだ。小説を書いている時、トルストイには確かに或る神秘的でデモーニッシュなものが取り憑いている。が、書き終えてしまうと、そのデモーニッシュなものはさっさと退散し、それに代わって凡庸な常識人が登場してくる。
 『懺悔』の内容に関しても同じようなことが言える。ここには聖なるものを志向する天才と世俗的な野心にまみれた凡人が、作者に特別な断りもなく出たり入ったりしている。それでいてトルストイは自分の内に天才と凡人が同居していること自体の矛盾に苦しんでいるようには見えない。トルストイには、もう一人の天才ドストエフスキーには見られない、驚くほどの鈍感さがある。この鈍感さは、トルストイが貴族として生まれ育ったことと無関係ではないように思える。
 トルストイはどんなに努力して百姓の真似事をしても、所詮、本当の百姓にはなれないのだ。十九世紀ロシアの百姓は農奴である。農奴に自由はない。トルストイ農奴を所有する地主貴族である。地主貴族としての莫大な財産と、作家として世界的な名声をほしいままにしていたトルストイは、自分が所有していた農奴一人の内的外的世界を共有することはできない。トルストイの懺悔は、第一高等学校を現役で合格した知的青年松原寛の共感を得たが、はたして農奴の心の扉を叩くことができたであろうか。

   地主貴族と百姓との間に作られた溝を埋める事ができるのか。トルストイ農奴たちの教育活動を積極的に展開した。敷地内に学校を建設し、子供たちに教育をほどこした。トルストイ自身は地主貴族として、知識人として最大の努力を払って教育に専心した。トルストイの教育活動は個人的な事業としても高く評価されるだろう。しかし彼は死ぬまで地主貴族であることを貫いた。わたしは『戦争と平和』を読み、『アンナ・カレーニナ』を読み、トルストイの小説家としての天才に微塵の疑義を差し挟む者ではない。が、『復活』を読んで確信したのは、トルストイが復活を信じていないことであった。トルストイは死を異様に恐れている。彼が復活を信じていない一つの証である。
 トルストイの『懺悔』は確かに、正直に彼自身の内面を晒している。しかし、内面を正直に晒すことが、即神に対する懺悔となってはいない。トルストイキリスト教の教義から離れたと書き、が同時に神を否定してもいないと書いている。こういう曖昧な書き方を許していること自体が、彼が本当の信仰者でないことを暴露している。こういう、曖昧な態度をとる人を神は〈生温き人〉と呼んで自らの口から吐き出すのである。トルストイは自分を〈生温き人〉として自覚したことがあっただろうか。彼はいつも悩み苦しみ、必死になって救いを求めているかのように振る舞っている。残されたトルストイ肖像画は苦渋に満ちている。それは内部に始末に負えない怪物を抱え持ってしまった者の苦悶の顔にしか見えない。

 

池田大作の『人間革命』を語る──ドストエフスキー文学との関連において──」

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ドストエフスキー『罪と罰』における死と復活のドラマ(2015/11/17)【清水正チャンネル】 - YouTube

 

 

「トルストイの「懺悔」をめぐって」の前半部分を掲載

 

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 近況報告

相も変わらず神経痛の痛みと共にある生活で、横になって動画を観ることが多い。が、頭のなかでは常に『罪と罰』を考えている。動画でドストエフスキーを取り上げているものもあるので聴いたりもするが、まだまだ表面的な次元にとどまっている。『罪と罰』のテキストの深層に踏み込んだものは皆無と言っていい。作品を読むことは大事だが、同時に作品論にも目を通すことが必要だろう。

ドストエフスキー曼陀羅─松原寛&ドストエフスキー

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 おしなべて松原寛はロシア文学に強い関心を示したとは言えない。プーシキンゴーゴリツルゲーネフチェーホフなどについては名前さえ出していない。トルストイに関しては『懺悔』と『幼年時代』を熟読したことを記しているが、『戦争と平和』『アンナ・カレーニナ』『復活』に関してはまったく触れていない。
 松原寛が『懺悔』をどのように読んだのか、詳しくは語られていない。が、この『懺悔』はトルストイの全作品中もっとも重要な位置を示すと言ってもいいのではなかろうか。
 『懺悔』は次のような告白から始まる(引用は中村融訳・河出書房新社版『トルストイ全集14』昭和37年8月に拠る)。

  私はギリシャ正教キリスト教で洗礼を受け、育てられた。幼年時代から少年、青年時代までずっとこの信仰を教えこまれた。が、十八歳で大学の二年から中退した頃には、私は教えこまれたことはもはや一つとして信じてはいなかった。(4)

 長崎で小学校を終えた松原寛は父・佐一を説得してミッションスクール東山学院へ編入学し、教師に勧められてキリスト教の洗礼を受けた。松原家は日連宗で、佐一は息子寛平のキリスト教入信に反対した。しかし一度言い出したら、絶対に方針を曲げない寛平は自分の意志を貫いた。主席で学業を終えた寛平は、卒業時には「知られざる神」(The Unknown God)というタイトルで英語で講演している。家業を継がせたいと考えていた佐一の考えに逆らって、寛平は落ちたら死ぬ覚悟で第一高等学校受験をめざし猛勉強していた。見事、寛平は現役で合格した。が、佐一は頑として寛平の入学を認めない。寛平は佐一に勘当され、ひとり東京へと出立する。が、高等学校での授業に失望した寛平は、学校に見切りをつけ、図書館に通い詰めて古今東西哲学書文学書を乱読する。学校に行かなくなった寛平は、とうぜん成績は下がり、教師や同期生からは低能児扱いされる。が、この〈低能児〉寛平は、真剣に人生の謎に挑戦して、その成果を論文にまとめていた。寛平の処女論文「若き哲人の苦悶」は当時、有力な教育雑誌であった「教育学術界」第二九巻第二号(大正三年五月十日 同文館)に掲載された。当時はまだ本名の松原寛平で論文を発表している。
 当時の松原寛はミッションスクールでキリスト教の洗礼を受けた初な寛平ではない。古今東西哲学書を読みあさるにつけ、信仰に対する懐疑が心の深部からたちあがってくる。松原寛は信仰から離れつつある自分を強く感じ、信仰を知性の次元で根拠付けるためにと哲学を志すことにする。信仰と哲学(思弁)は決して交わることはない。それはソーニャの信仰とロジオン・ロマーノヴィチ・ラスコーリニコフの思弁が一致しないことで証明される。松原寛の求道精神は哲学から宗教哲学へ、宗教哲学から総合芸術へと発展していくが、そこへと至るまでのプロセスは煩悶苦悶の連続であった。
 第一高等学校時代、松原寛は信仰への懐疑に煩悶したが、彼の生身の実存を死の危機に晒したのは失恋であった。哲学上の苦悶と失恋上の苦悶が何重にも絡み合って、松原寛の処女論文は成っている。観念上の苦悶ではない。松原寛の論文はまさにヨブの「わが魂のふるえ」をもって書かれている。が、松原寛はこの恋愛と失恋に関して、相手の名前を明かして具体的に語ることはついになかった。だれと、どこで、どのように出会い、どのような関係があったのか、裏切りとはどういうことなのか、何度も自殺を試みるほどの失恋に対して、松原寛はいつも言いよどんでいる。

  幼少の頃から知らされた教理は、他の人々の場合と同じく私のなかでも消えつつあったが、ただその相違は、私の場合は十五歳の時から哲学書を読みはじめていたので、私の教理放棄はかなり早く自覚されていたことである。私は十六歳の時から祈祷もやめたし、教会がよいや精進も自発的にやめてしまった。それは幼児から教えられていたことを信じていなかったからではなくて、あることを信じていたからだった。が、それは何かと言われても、とても返事はできなかったろう。私は神も信じていた、というより、神を否定はしなかった、が、どういう神かと聞かれても答えられなかったろう。私はキリストやその教えをも否定はしなかった、が、その教えはどういうものであるかは、やはり返答に窮したであろう。(6)

  いま、当時を追想してみると、私には自分の信仰ーー動物的な本能以外に私の生活を動かしていたものーーつまり、当時の私の唯一の真の信仰は完成への信仰であったことが、はっきり分かるのである。(略)最初は、もちろん道徳的完成にあったが、やがてそれは一般的な完成に、つまり自分自身とか神に対してよりよくありたいという希望よりは、他人に対してよりよくありたいという願望に代わってしまった。そしてさらに他人に対してよりよくありたいという願望はたちまちにして他人よりも有力に、つまり他人よりも名誉も、地位も、富もある者になりたいという願望に代わってしまったのである。(6)

 松原寛はトルストイの『懺悔』にまるで自分の内心の声を聞いた思いであったろう。松原寛はミッションスクール時代に、世俗的な巧妙心ambitious があったことを正直に書いている。父親と争ってまでキリスト教に入信した松原寛は、同時に世俗的な野心家でもあった。こういった松原寛が哲学を専攻して、古今東西哲学書に触れれば、とうぜんトルストイと同様、教会通いや精進もやめてしまうことになる。
 おもしろいのは、トルストイが教理放棄をしたにもかかわらず、依然として神を、キリストを否定しなかったことである。トルストイはこういった一見矛盾と思えることをそのまま素直に認めている。松原寛の信仰と哲学(懐疑)にも、トルストイと同様の曖昧さが潜んでいる。信仰にも全的に充足できず、哲学にも全的に充足できない。ドミートリイ・カラマーゾフではないが、まさに人間の心の世界は広い、広すぎる。トルストイは正直に告白しようとして、言葉が矛盾する心の世界に直面することになる。整合性のある、論理的な言葉で人間の謎に迫ることはできない。謎に迫るとは、言葉の混沌へと降り立つことなのである。
 

 

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松原寛とドストエフスキー

近況報告

本日は朝から西村俊彦の朗読ノート『罪と罰』1を聴いていた。『罪と罰』は米川正夫訳、江川卓訳の日本語訳とアカデミア版全集で読み続けているが、この朗読は米川訳。

神経痛でほぼ一日横になっている身にとっては朗読はありがたい。読んでも聴いても面白い。五十年読み続けてもいまだに新たな発見があることがすごい。アメリカ大統領選挙で正義も民主主義もたわいもない幻想であったことが世界中に晒されたが、それでも未だに地上メディアの偏向愚劣に気づいていない者も多いようだ。今やアメリカには正義の味方スーパーマンは存在しない。アメリカのヒーロー、スーパーマンは一度もロダンの「考える人」になることなく世界から消えた。ドストエフスキー文学の深さに踏み込むことなく一生を終えてしまう人々のなんと多いことか。

https://www.youtube.com/watch?v=u-4aWdqfUmI&t=21354s

松原寛とドストエフスキー

松原寛の苦悶と求道の宗教哲学は、ドストエフスキーの文学世界と重なる。にもかかわらず松原寛はドストエフスキーの文学の世界に関してはいっさい踏み込んでいくことはなかった。『現代人の藝術』(大正十年三月 民文社)で「何れでも良いからドストエフスキーの作一部を讀め」と書いた松原寛は、二十冊に及ぶ著作の中でも、また遺稿(未発表原稿・ノート)においてもドストエフスキーの作品については一言も触れることはなかった。わたしが発見したのは『哲學への思慕』(昭和二十六年十一月 新紀元社)の中に記された「ドストエフスキーやシエストフは『罪を犯さない罪人』といつた言葉をよく用いる。その何を意味するかは知らないが、私などは正しくこの『罪を犯さない罪人』なのではなかろうか」(103)と「ドストエフスキーは『才能は嫌うべき特権』だといつている。彼の口吻をかりて、私は『愛は怖ろしい特権』であるといいたい」(105)だけである。ちなみに松原寛と共著で『文化人の藝術と宗教』(大正十一年十一月 太陽堂)を出した小原國芳はこの本の中で「西洋物ではゼヒ一生の中よまねばなりぬものは、否、味ふべきはものは」(170)として「ゲーテの「フアスト」」「バンヤン天路歴程」「ドストエフスキーの罪に罰」「カラマーゾの兄弟」を挙げている(『罪と罰』を意図的に『罪に罰』にしているのか、それとも校正ミスなのか。同じく「カラマーゾの兄弟」もフが抜けている。校正ミスだとすれば著者小原のドストエフスキーに対する思いはその程度だったということになろうか)。  松原寛の苦悶・求道の哲学は不可避的にドストエフスキーの文学と結びつくディオニュソス的性質を備えている。にもかかわらず、なぜ松原寛はドストエフスキーの世界へと踏み込んでいかなかったのか。ここには大いなる謎が秘められている。

 二〇一五年十二月、わたしは全身の痒みと痛みに襲われながら『現代人の藝術』を読み終え、松原寛との出会いに神秘的な運命を感じた。日大芸術学部文芸学科受験のために初めて江古田駅北口の階段を降りた時、すぐに、背後からふいに何ものかに触れられたように感じた。後ろを振り向いても誰もいなかった。以来四十五年にわたって、江古田駅に降りるたびに不思議な思いを密かに反芻していた。その不思議が松原寛の『現代人の藝術』を読み終えて一挙に氷解した。わたしのドストエフスキー論は江古田に降り立った昭和四十三年から半世紀以上にわたって書き継がれることになった。ドストエフスキー文学に関して完璧に一言も語らなかった松原寛から、わたしは何かを託されていたのだと勝手に受け止めることにした。

「入院中に松原寛論を執筆」を掲載

 

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 近況報告

受講生の課題レポートの採点と『ドストエフスキー曼陀羅──松原寛&ドストエフスキー』の校正で追われる毎日であった。ようやく校正も終わり、後は刊行を待つまでとなった。予定通り二月末までには全国の大型書店に並ぶはずである。直接D文学研究会宛に申し込みの場合は上記のメール宛にお願いします。定価2000円+税 A5判並製342頁

 

ドストエフスキー曼陀羅─松原寛&ドストエフスキー

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今回はわたしの「苦悶と求道の哲人・松原寛をめぐる断想─トルストイの「懺悔」、松原寛のキリスト像柳宗悦の奇蹟観などに触れながら―」の中から

「入院中に松原寛論を執筆」を掲載します。

 二〇一五年十二月七日、日大病院に入院。十二月十四日、皮膚科主任教授により難病指定の「水泡性類天疱瘡」と診断され、即治療に入る。二〇一六年一月十五日深夜から、突然背中から左腹部にかけて鋭い痛みと痒みに襲われる。朝、帯状疱疹と診断され、点滴治療開始、同時に麻酔科のペインでレザー治療。帯状疱疹は徐々に治まったが、後遺症として神経痛が発症。当初は左脇腹から腹部にかけて電流が走るような鋭い痛みが五、六秒の間隔を置いて襲ってきた。やがてそれは内蔵を強くつかまれるような痛みにかわった。五秒くらいの間をおいて痛みがあったが、今はその間隔がせばまり、しょっちゅう痛みが続いている。
 二〇一六年二月二十九日に退院するまで、治療の他は大学の仕事(雑誌「ドストエフスキー曼荼羅」六号の校正・編集。『日本のマンガ家 畑中純』『日藝ライブラリー』に掲載の論文執筆と編集。卒業論文修士論文の講評と面接。業績審査など)と、読書(松原寛の著作二十冊ほど)、原稿執筆に明け暮れた。運動不足を補うため、病院内の廊下、特に座談室の狭い空間を利用して旋回歩行した。この旋回歩行は思考力を異様に高め、覚りの境位へと導く効果がある。わが使命に生きることを改めて確認する。
 入院当初は林芙美子の『浮雲』論の延長として『罪と罰』におけるラザロの復活について批評し続けた。一段落ついたので、二〇一六年一月十五日より松原寛論を書き始め、二月十九日に書き上げた。これは四百五十枚ほど書いたが、まさに帯状疱疹の後遺症、神経痛の不断の痛みと共に仕上げた原稿であった。
 今回の入院と松原寛との出会いには運命を感じた。わたしは松原寛を実存的に検証した。当然のこととして私自身の生そのものを振り返った。松原寛の本は現在そのすべてが絶版状態にある。『日藝ライブラリー』三号の松原寛特集を一契機にして復活蘇生させたいものである。松原寛は苦悶し求道する哲人としても、野心に満ちた人間としてもかなり奔放自在で魅力に富んでいる。松原寛の著作は特に日芸出身者、現役の日芸生にはぜひ読んでほしい。日芸創設者の日芸魂の熱い激流に直にふれてほしい。魂が火傷する、そんな体験があってもいい。

 

池田大作の『人間革命』を語る──ドストエフスキー文学との関連において──」

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目次
苦悶と求道の哲人・松原寛をめぐる断想……清水正
トルストイの「懺悔」、松原寛のキリスト像柳宗悦の奇蹟観などに触れながら―

 入院中に松原寛論を執筆/  松原寛とドストエフスキー/  トルストイの「懺悔」をめぐって/  柳宗悦トルストイ観/  松原寛のキリスト像/  キリストと松原寛の決定的な違い/  柳宗悦の奇蹟をめぐって/  小室直樹の『日本人のための宗教原論』をめぐって/  「かのように」の哲学/  十字架上で奇蹟を起こさなかったイエス・キリスト/ 「死せるキリスト」をめぐって/  

ニーチェと松原寛……岩崎純一
 ――東西の哲人の共通点と相違点――

 序/  一、ニーチェ、松原寛との邂逅/  二、哲人たちの哲学の根底/  三、様式美としての哲人の生涯/  

理念(テクスト)と現実(コンテクスト)……此経啓助
 ――松原寛著『親鸞の哲学』を読む――

松原寛と日芸精神……伊藤景
 松原寛との出会い/  『芸術の門』と「苦悶」/ 

松原寛「随想録」から……戸田浩司/ 
  
松原寛とその周辺の年譜(町田直規編)/


ドストエフスキー文学の形而下学……清水正

マルメラードフの告白に秘められた形而下学――〈哀れみ〉とカチェリーナの〈踏み越え〉――/ ■性愛描写・省略の効果/ ■描かれざる場面・スヴィドリガイロフの場合/ ■〈奇跡〉の立会人から〈実際に奇跡を起こす人〉となったスヴィドリガイロフ/ ■〈実際に奇跡を起こす神〉スヴィドリガイロフとソーニャの〈神〉/ ■スヴィドリガイロフとソーニャの〈性愛場面〉をめぐって/ ■『貧しき人々』における描かれざる〈性愛場面〉/ ■『地下生活者の手記』における〈描かれざる性愛場面〉/ ■四十年ぶりに『地下室の手記』を批評する――〈描かれざる性愛場面〉をめぐって/ ■地下男と娼婦リーザの性愛関係/ ■地下男とリーザの〈描かれざるセックス〉後の場面/ ■《洋品店》でのセックス/■地下男の形而下的側面/ ■「べつに……」(Так…)の女リーザとソーニャ/ ■厄介極まる地下男/ ■地下男のリーザ征服の巧妙な手口――闇の中で〈似たもの同士〉がしゃべりあう――/ ■狂信者でも聖女でもない、人間としてのリーザ――地下男の〈たぶらかし〉――/ ■リーザが心の扉を開いた時――リーザの絶望と地下男の怖じ気――/ ■地下男とリーザの新たな関係――「リーザ、訪ねてきておくれ」/ ■〈さよなら〉(прощай)と〈またね〉(до свидания)/■魂の繋がりを求めるリーザ――〈いまわしい真実〉の露呈――/ ■地下男を訪れたリーザ――地下男とリーザの〈描かれざる第二回目のセックス場面〉――/ ■ロジオンの〈打ち明け〉と〈跪拝〉――殺意と〈嵐〉(буря)――/ ■リーザと地下男の〈嵐〉(情欲の発作)/ ■〈眉唾〉(невероятно)/ ■「さようなら」(прощайте)をめぐって/ ■三つの神/ ■地下男の〈冷酷な仕打ち〉/ ■〈すべて=всё〉(リーザ)を〈十字路〉まで追っていく地下男/ ■地下男とロジオンの類縁性と差異――〈踏み越え〉たロジオンは新たな〈キリスト〉となり得るか――/ ■〈すべて=всё〉を見失った地下男――大いなる〈Так〉の女リーザ――/ ■姿を見せない二人の女/ ■アンチ・ヒーローの全特徴/ ■《生きた生活》から乖離してしまった地下男との異質性/ ■〈淫蕩〉にふける地下男/ ■地下男の後継者ロジオンの〈淫蕩〉/ ■地下男、ロジオン、ドストエフスキーとキリストとの関係/ ■深く分裂したロジオン(〈瀆神者〉か〈狂信者〉か)/ ■ロジオンの革命家としての挫折/ ■『罪と罰』の〈踏み越え〉と現代の〈踏み越え〉――〈斧の振り下ろし〉と〈原爆投下〉(核ミサイル発射)――/ ■議会制民主主義と屋根裏部屋の〈単独者〉/ ■ロジオンの不徹底な〈非凡人思想〉――卑小な非凡人の〈アレ〉/ ■近・現代の〈独裁者〉の〈斧〉とロジオンの〈斧〉/ ■〈思弁〉と〈信仰〉――〈ラザロの復活〉をイエスに問う/ ■人類滅亡の夢と〈理性と意志〉の両義性――ロジオンの描かれざる〈新生活〉と新たな使命――/ ■〈思弁家〉から〈観照家〉へ――第五福音書としての『罪と罰』――/ ■スヴィドリガイロフの〈性愛〉をめぐって/ ■スヴィドリガイロフとソーニャの描かれざる〈性愛場面〉――〈同じ森の獣〉たちの対話――/ ■スヴィドリガイロフの〈奇跡〉/ ■ロジオンを支配する〈突然〉と描かれざる淫売婦ソーニャの実態/ ■ソーニャとキリスト/ ■ケンジ童話における数字の神秘的象徴性(三、六、九、五)とソーニャの部屋(九号室)/ ■〈ラザロの復活〉と聞き耳を立てていた〈立会人〉スヴィドリガイロフ/ ■ソーニャの部屋におけるロジオンの〈死と復活〉の秘儀/ ■ソーニャの住まいを巡る断想/ ■ロジオンがソーニャの部屋を訪ねた時の〈奇妙さ〉――〈何か戸のようなもの〉をめぐって――/ ■ソーニャの〈不安の秘密〉と〈時間の歪曲〉/ ■ソーニャとスヴィドリガイロフの〈秘密の時〉/ ■〈歪なもの〉が置かれた玄関とソーニャの不具的な部屋/ ■自ら罪を犯した〈キリスト〉としてのロジオン――ゲッセマネの〈キリスト〉に関連付けて――/ ■描かれざる日常のディティール ――ソーニャの部屋の間取りから〈トイレ事情〉〈水事情〉をさぐる――/ ■ソーニャの部屋と〈ラザロの復活〉朗読場面――ロジオンの眼差しで捕らえられたソーニャの部屋――/ ■〈この人も、この人も〉を巡って――人称代名詞に要注意――/ ■〈この人=スヴィドリガイロフ〉とソーニャの関係/ ■ソーニャの視る〈幻〉(видение)とスヴィドリガイロフが見る〈幽霊〉(привидение)/

清水正著『ウラ読みドストエフスキー』を読む……坂下将人

ドストエフスキー曼陀羅 目次(伊藤景編)/

 

池田大作の『人間革命』を語る──ドストエフスキー文学との関連において──」

動画「清水正チャンネル」で観ることができます。3回に分けてありますので是非最後までご覧ください。

https://www.youtube.com/watch?v=bKlpsJTBPhc 

https://www.youtube.com/watch?v=I-qg45NxyKQ

https://www.youtube.com/watch?v=B1grbVxCc0o

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D文学研究会刊行著書広告

   清水正への講演依頼、清水正の著作の購読申込、課題レポートなどは下記のメールにご連絡ください。
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https://auctions.yahoo.co.jp/seller/msxyh0208

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清水正ドストエフスキー論全集

 

    ドストエフスキー文学に関心のあるひとはぜひご覧ください。

清水正先生大勤労感謝祭」の記念講演会の録画です。

https://www.youtube.com/watch?v=_a6TPEBWvmw&t=1s

 

www.youtube.com

 

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これを観ると清水正ドストエフスキー論の神髄の一端がうかがえます。日芸文芸学科の専門科目「文芸批評論」の平成二十七年度の授業より録画したものです。是非ごらんください。

ドストエフスキー『罪と罰』における死と復活のドラマ(2015/11/17)【清水正チャンネル】 - YouTube

 

 

アフリカの少女ティッピ

「雑誌研究」の受講者は下記の動画二本を観てください。

https://www.youtube.com/watch?v=3sZ9Vz_hJ34&t=4s

https://www.youtube.com/watch?v=rVftHVOeF8g

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池田大作の『人間革命』を語る──ドストエフスキー文学との関連において──」

動画「清水正チャンネル」で観ることができます。3回に分けてありますので是非最後までご覧ください。

https://www.youtube.com/watch?v=bKlpsJTBPhc 

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ドストエフスキー曼陀羅─松原寛&ドストエフスキー

(D文学研究会星雲社発売)

本書はドストエフスキー生誕200周年・日芸創設100周年を記念して刊行されます。

目次
苦悶と求道の哲人・松原寛をめぐる断想……清水正
トルストイの「懺悔」、松原寛のキリスト像柳宗悦の奇蹟観などに触れながら―

 入院中に松原寛論を執筆/  松原寛とドストエフスキー/  トルストイの「懺悔」をめぐって/  柳宗悦トルストイ観/  松原寛のキリスト像/  キリストと松原寛の決定的な違い/  柳宗悦の奇蹟をめぐって/  小室直樹の『日本人のための宗教原論』をめぐって/  「かのように」の哲学/  十字架上で奇蹟を起こさなかったイエス・キリスト/ 「死せるキリスト」をめぐって/  

ニーチェと松原寛……岩崎純一
 ――東西の哲人の共通点と相違点――

 序/  一、ニーチェ、松原寛との邂逅/  二、哲人たちの哲学の根底/  三、様式美としての哲人の生涯/  

理念(テクスト)と現実(コンテクスト)……此経啓助
 ――松原寛著『親鸞の哲学』を読む――

松原寛と日芸精神……伊藤景
 松原寛との出会い/  『芸術の門』と「苦悶」/ 

松原寛「随想録」から……戸田浩司/ 
  
松原寛とその周辺の年譜(町田直規編)/


ドストエフスキー文学の形而下学……清水正

マルメラードフの告白に秘められた形而下学――〈哀れみ〉とカチェリーナの〈踏み越え〉――/ ■性愛描写・省略の効果/ ■描かれざる場面・スヴィドリガイロフの場合/ ■〈奇跡〉の立会人から〈実際に奇跡を起こす人〉となったスヴィドリガイロフ/ ■〈実際に奇跡を起こす神〉スヴィドリガイロフとソーニャの〈神〉/ ■スヴィドリガイロフとソーニャの〈性愛場面〉をめぐって/ ■『貧しき人々』における描かれざる〈性愛場面〉/ ■『地下生活者の手記』における〈描かれざる性愛場面〉/ ■四十年ぶりに『地下室の手記』を批評する――〈描かれざる性愛場面〉をめぐって/ ■地下男と娼婦リーザの性愛関係/ ■地下男とリーザの〈描かれざるセックス〉後の場面/ ■《洋品店》でのセックス/■地下男の形而下的側面/ ■「べつに……」(Так…)の女リーザとソーニャ/ ■厄介極まる地下男/ ■地下男のリーザ征服の巧妙な手口――闇の中で〈似たもの同士〉がしゃべりあう――/ ■狂信者でも聖女でもない、人間としてのリーザ――地下男の〈たぶらかし〉――/ ■リーザが心の扉を開いた時――リーザの絶望と地下男の怖じ気――/ ■地下男とリーザの新たな関係――「リーザ、訪ねてきておくれ」/ ■〈さよなら〉(прощай)と〈またね〉(до свидания)/■魂の繋がりを求めるリーザ――〈いまわしい真実〉の露呈――/ ■地下男を訪れたリーザ――地下男とリーザの〈描かれざる第二回目のセックス場面〉――/ ■ロジオンの〈打ち明け〉と〈跪拝〉――殺意と〈嵐〉(буря)――/ ■リーザと地下男の〈嵐〉(情欲の発作)/ ■〈眉唾〉(невероятно)/ ■「さようなら」(прощайте)をめぐって/ ■三つの神/ ■地下男の〈冷酷な仕打ち〉/ ■〈すべて=всё〉(リーザ)を〈十字路〉まで追っていく地下男/ ■地下男とロジオンの類縁性と差異――〈踏み越え〉たロジオンは新たな〈キリスト〉となり得るか――/ ■〈すべて=всё〉を見失った地下男――大いなる〈Так〉の女リーザ――/ ■姿を見せない二人の女/ ■アンチ・ヒーローの全特徴/ ■《生きた生活》から乖離してしまった地下男との異質性/ ■〈淫蕩〉にふける地下男/ ■地下男の後継者ロジオンの〈淫蕩〉/ ■地下男、ロジオン、ドストエフスキーとキリストとの関係/ ■深く分裂したロジオン(〈瀆神者〉か〈狂信者〉か)/ ■ロジオンの革命家としての挫折/ ■『罪と罰』の〈踏み越え〉と現代の〈踏み越え〉――〈斧の振り下ろし〉と〈原爆投下〉(核ミサイル発射)――/ ■議会制民主主義と屋根裏部屋の〈単独者〉/ ■ロジオンの不徹底な〈非凡人思想〉――卑小な非凡人の〈アレ〉/ ■近・現代の〈独裁者〉の〈斧〉とロジオンの〈斧〉/ ■〈思弁〉と〈信仰〉――〈ラザロの復活〉をイエスに問う/ ■人類滅亡の夢と〈理性と意志〉の両義性――ロジオンの描かれざる〈新生活〉と新たな使命――/ ■〈思弁家〉から〈観照家〉へ――第五福音書としての『罪と罰』――/ ■スヴィドリガイロフの〈性愛〉をめぐって/ ■スヴィドリガイロフとソーニャの描かれざる〈性愛場面〉――〈同じ森の獣〉たちの対話――/ ■スヴィドリガイロフの〈奇跡〉/ ■ロジオンを支配する〈突然〉と描かれざる淫売婦ソーニャの実態/ ■ソーニャとキリスト/ ■ケンジ童話における数字の神秘的象徴性(三、六、九、五)とソーニャの部屋(九号室)/ ■〈ラザロの復活〉と聞き耳を立てていた〈立会人〉スヴィドリガイロフ/ ■ソーニャの部屋におけるロジオンの〈死と復活〉の秘儀/ ■ソーニャの住まいを巡る断想/ ■ロジオンがソーニャの部屋を訪ねた時の〈奇妙さ〉――〈何か戸のようなもの〉をめぐって――/ ■ソーニャの〈不安の秘密〉と〈時間の歪曲〉/ ■ソーニャとスヴィドリガイロフの〈秘密の時〉/ ■〈歪なもの〉が置かれた玄関とソーニャの不具的な部屋/ ■自ら罪を犯した〈キリスト〉としてのロジオン――ゲッセマネの〈キリスト〉に関連付けて――/ ■描かれざる日常のディティール ――ソーニャの部屋の間取りから〈トイレ事情〉〈水事情〉をさぐる――/ ■ソーニャの部屋と〈ラザロの復活〉朗読場面――ロジオンの眼差しで捕らえられたソーニャの部屋――/ ■〈この人も、この人も〉を巡って――人称代名詞に要注意――/ ■〈この人=スヴィドリガイロフ〉とソーニャの関係/ ■ソーニャの視る〈幻〉(видение)とスヴィドリガイロフが見る〈幽霊〉(привидение)/

清水正著『ウラ読みドストエフスキー』を読む……坂下将人

ドストエフスキー曼陀羅 目次(伊藤景編)/

 

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清水正ドストエフスキー論全集

 

    ドストエフスキー文学に関心のあるひとはぜひご覧ください。

清水正先生大勤労感謝祭」の記念講演会の録画です。

https://www.youtube.com/watch?v=_a6TPEBWvmw&t=1s

 

www.youtube.com

 

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これを観ると清水正ドストエフスキー論の神髄の一端がうかがえます。日芸文芸学科の専門科目「文芸批評論」の平成二十七年度の授業より録画したものです。是非ごらんください。

ドストエフスキー『罪と罰』における死と復活のドラマ(2015/11/17)【清水正チャンネル】 - YouTube

 

 

ドストエフスキーの『悪霊』『未成年』推薦。

「雑誌研究」の受講者は下の動画を観てください。

https://www.youtube.com/watch?v=xRrlzoGykB8&t=594s

https://www.youtube.com/watch?v=KxRfnrIohXo

https://www.youtube.com/watch?v=g-YPgLfLdp4&t=439s

清水正への講演依頼、清水正の著作の購読申込、課題レポートなどは下記のメールにご連絡ください。
shimizumasashi20@gmail.com

近況報告

わたしの一日は一日23時間ぐらいは横になっている。神経痛が間断なく襲ってくるのでまともに睡眠はとれない。神経痛は左腹部を襲ってくるので、そこに枕を強くあてたりして痛みを紛らわせている。大半は動画を観ている。今、アメリカ大統領選で盛り上がっているので、その関連動画を観ることが多い。部屋にテレビはなく、新聞も読まないので情報はもっぱらネットでということになる。

トランプとバイデンの戦いは単なる一国の大統領選という枠組みを越えて、今や自由と独裁の戦いとまで言われている。選挙不正を連日報道するネットと、それをいっさい報道しない地上メディア。わたしは一日の大半を使ってネットから情報を得ているが、これはごくまれな例であって、多くの人たちはテレビなどのニュース番組などで一方的な偏向報道を鵜呑みにしている可能性が強い。

それにしても現在のアメリ自由社会が根底から脅かされているような実態を見ると、改めて共産主義とは何か、を考えてみる必要があろう。今こそドストエフスキーの『悪霊』を読みなさいと言いたいところである。人間全体の幸福を実現しようとして、結果的には一部の少数者による多数者の支配という全体主義的な国家が成立してしまうという逆説、ここに至って革命運動から去っていったのがシガリョフである。

革命家は革命を実現するためにはあらゆる手段を正当化する。ネチャーエフの革命家教理問答を読めば納得がいくだろう。革命家は革命のために命を投げ出す覚悟があるが、革命後の社会ヴィジョンがなっていない。人間とは社会体制が変われば幸福になれるというほど単純にできていない。自由社会にあっても、共産主義体制にあっても、権力や金力をほしいままにする支配層は存在する。

『未成年』のアルカージイ・ドルゴルーキイは人生の目的をロスチャイルドになることだと明言する。しかし彼の目的は世界一の金持ちになることにあるのではない。彼は次のように言っている「おれは金なんかいりやしない。といって悪ければ、おれに必要なのは金ではない、強大な力でさえもないのだ。おれが必要とするものは、強大な力によって獲得されるもの、強大な力なしには絶対に手に入れることのできないものだけである。それは孤独でしかも平静な力の意識なのだ! これこそは全世界の人間がなんとかして手に入れようともがいている自由の、最も完全な定義である」と。

ドストエフスキーの文学の凄さは、自由を求める人間の本質に肉薄していることである。絶大な権力を手にしてすら、人間は死すべき存在であることを免れることはできない。政界財界のトップに立つ人間の孤独にまで照明を与えなければ、喧しい議論の数々もおしなべて時局的おしゃべりの次元にとどまらざるを得ない。

わたしは今も『罪と罰』を批評し続けているが、今回は『悪霊』と『未成年』を薦めておく。ドストエフスキーは「人間とは何か」を徹底して追究した作家である。

池田大作の『人間革命』を語る──ドストエフスキー文学との関連において──」

動画「清水正チャンネル」で観ることができます。3回に分けてありますので是非最後までご覧ください。

https://www.youtube.com/watch?v=bKlpsJTBPhc 

https://www.youtube.com/watch?v=I-qg45NxyKQ

https://www.youtube.com/watch?v=B1grbVxCc0o

ドストエフスキー曼陀羅─松原寛&ドストエフスキー

(D文学研究会星雲社発売)

本書はドストエフスキー生誕200周年・日芸創設100周年を記念して刊行されます。

目次
苦悶と求道の哲人・松原寛をめぐる断想……清水正
トルストイの「懺悔」、松原寛のキリスト像柳宗悦の奇蹟観などに触れながら―

 入院中に松原寛論を執筆/  松原寛とドストエフスキー/  トルストイの「懺悔」をめぐって/  柳宗悦トルストイ観/  松原寛のキリスト像/  キリストと松原寛の決定的な違い/  柳宗悦の奇蹟をめぐって/  小室直樹の『日本人のための宗教原論』をめぐって/  「かのように」の哲学/  十字架上で奇蹟を起こさなかったイエス・キリスト/ 「死せるキリスト」をめぐって/  

ニーチェと松原寛……岩崎純一
 ――東西の哲人の共通点と相違点――

 序/  一、ニーチェ、松原寛との邂逅/  二、哲人たちの哲学の根底/  三、様式美としての哲人の生涯/  

理念(テクスト)と現実(コンテクスト)……此経啓助
 ――松原寛著『親鸞の哲学』を読む――

松原寛と日芸精神……伊藤景
 松原寛との出会い/  『芸術の門』と「苦悶」/ 

松原寛「随想録」から……戸田浩司/ 
  
松原寛とその周辺の年譜(町田直規編)/


ドストエフスキー文学の形而下学……清水正

マルメラードフの告白に秘められた形而下学――〈哀れみ〉とカチェリーナの〈踏み越え〉――/ ■性愛描写・省略の効果/ ■描かれざる場面・スヴィドリガイロフの場合/ ■〈奇跡〉の立会人から〈実際に奇跡を起こす人〉となったスヴィドリガイロフ/ ■〈実際に奇跡を起こす神〉スヴィドリガイロフとソーニャの〈神〉/ ■スヴィドリガイロフとソーニャの〈性愛場面〉をめぐって/ ■『貧しき人々』における描かれざる〈性愛場面〉/ ■『地下生活者の手記』における〈描かれざる性愛場面〉/ ■四十年ぶりに『地下室の手記』を批評する――〈描かれざる性愛場面〉をめぐって/ ■地下男と娼婦リーザの性愛関係/ ■地下男とリーザの〈描かれざるセックス〉後の場面/ ■《洋品店》でのセックス/■地下男の形而下的側面/ ■「べつに……」(Так…)の女リーザとソーニャ/ ■厄介極まる地下男/ ■地下男のリーザ征服の巧妙な手口――闇の中で〈似たもの同士〉がしゃべりあう――/ ■狂信者でも聖女でもない、人間としてのリーザ――地下男の〈たぶらかし〉――/ ■リーザが心の扉を開いた時――リーザの絶望と地下男の怖じ気――/ ■地下男とリーザの新たな関係――「リーザ、訪ねてきておくれ」/ ■〈さよなら〉(прощай)と〈またね〉(до свидания)/■魂の繋がりを求めるリーザ――〈いまわしい真実〉の露呈――/ ■地下男を訪れたリーザ――地下男とリーザの〈描かれざる第二回目のセックス場面〉――/ ■ロジオンの〈打ち明け〉と〈跪拝〉――殺意と〈嵐〉(буря)――/ ■リーザと地下男の〈嵐〉(情欲の発作)/ ■〈眉唾〉(невероятно)/ ■「さようなら」(прощайте)をめぐって/ ■三つの神/ ■地下男の〈冷酷な仕打ち〉/ ■〈すべて=всё〉(リーザ)を〈十字路〉まで追っていく地下男/ ■地下男とロジオンの類縁性と差異――〈踏み越え〉たロジオンは新たな〈キリスト〉となり得るか――/ ■〈すべて=всё〉を見失った地下男――大いなる〈Так〉の女リーザ――/ ■姿を見せない二人の女/ ■アンチ・ヒーローの全特徴/ ■《生きた生活》から乖離してしまった地下男との異質性/ ■〈淫蕩〉にふける地下男/ ■地下男の後継者ロジオンの〈淫蕩〉/ ■地下男、ロジオン、ドストエフスキーとキリストとの関係/ ■深く分裂したロジオン(〈瀆神者〉か〈狂信者〉か)/ ■ロジオンの革命家としての挫折/ ■『罪と罰』の〈踏み越え〉と現代の〈踏み越え〉――〈斧の振り下ろし〉と〈原爆投下〉(核ミサイル発射)――/ ■議会制民主主義と屋根裏部屋の〈単独者〉/ ■ロジオンの不徹底な〈非凡人思想〉――卑小な非凡人の〈アレ〉/ ■近・現代の〈独裁者〉の〈斧〉とロジオンの〈斧〉/ ■〈思弁〉と〈信仰〉――〈ラザロの復活〉をイエスに問う/ ■人類滅亡の夢と〈理性と意志〉の両義性――ロジオンの描かれざる〈新生活〉と新たな使命――/ ■〈思弁家〉から〈観照家〉へ――第五福音書としての『罪と罰』――/ ■スヴィドリガイロフの〈性愛〉をめぐって/ ■スヴィドリガイロフとソーニャの描かれざる〈性愛場面〉――〈同じ森の獣〉たちの対話――/ ■スヴィドリガイロフの〈奇跡〉/ ■ロジオンを支配する〈突然〉と描かれざる淫売婦ソーニャの実態/ ■ソーニャとキリスト/ ■ケンジ童話における数字の神秘的象徴性(三、六、九、五)とソーニャの部屋(九号室)/ ■〈ラザロの復活〉と聞き耳を立てていた〈立会人〉スヴィドリガイロフ/ ■ソーニャの部屋におけるロジオンの〈死と復活〉の秘儀/ ■ソーニャの住まいを巡る断想/ ■ロジオンがソーニャの部屋を訪ねた時の〈奇妙さ〉――〈何か戸のようなもの〉をめぐって――/ ■ソーニャの〈不安の秘密〉と〈時間の歪曲〉/ ■ソーニャとスヴィドリガイロフの〈秘密の時〉/ ■〈歪なもの〉が置かれた玄関とソーニャの不具的な部屋/ ■自ら罪を犯した〈キリスト〉としてのロジオン――ゲッセマネの〈キリスト〉に関連付けて――/ ■描かれざる日常のディティール ――ソーニャの部屋の間取りから〈トイレ事情〉〈水事情〉をさぐる――/ ■ソーニャの部屋と〈ラザロの復活〉朗読場面――ロジオンの眼差しで捕らえられたソーニャの部屋――/ ■〈この人も、この人も〉を巡って――人称代名詞に要注意――/ ■〈この人=スヴィドリガイロフ〉とソーニャの関係/ ■ソーニャの視る〈幻〉(видение)とスヴィドリガイロフが見る〈幽霊〉(привидение)/

清水正著『ウラ読みドストエフスキー』を読む……坂下将人

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清水正ドストエフスキー論全集

 

    ドストエフスキー文学に関心のあるひとはぜひご覧ください。

清水正先生大勤労感謝祭」の記念講演会の録画です。

https://www.youtube.com/watch?v=_a6TPEBWvmw&t=1s

 

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これを観ると清水正ドストエフスキー論の神髄の一端がうかがえます。日芸文芸学科の専門科目「文芸批評論」の平成二十七年度の授業より録画したものです。是非ごらんください。

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