ドストエフスキーの『悪霊』『未成年』推薦。

「雑誌研究」の受講者は下の動画を観てください。

https://www.youtube.com/watch?v=xRrlzoGykB8&t=594s

https://www.youtube.com/watch?v=KxRfnrIohXo

https://www.youtube.com/watch?v=g-YPgLfLdp4&t=439s

清水正への講演依頼、清水正の著作の購読申込、課題レポートなどは下記のメールにご連絡ください。
shimizumasashi20@gmail.com

近況報告

わたしの一日は一日23時間ぐらいは横になっている。神経痛が間断なく襲ってくるのでまともに睡眠はとれない。神経痛は左腹部を襲ってくるので、そこに枕を強くあてたりして痛みを紛らわせている。大半は動画を観ている。今、アメリカ大統領選で盛り上がっているので、その関連動画を観ることが多い。部屋にテレビはなく、新聞も読まないので情報はもっぱらネットでということになる。

トランプとバイデンの戦いは単なる一国の大統領選という枠組みを越えて、今や自由と独裁の戦いとまで言われている。選挙不正を連日報道するネットと、それをいっさい報道しない地上メディア。わたしは一日の大半を使ってネットから情報を得ているが、これはごくまれな例であって、多くの人たちはテレビなどのニュース番組などで一方的な偏向報道を鵜呑みにしている可能性が強い。

それにしても現在のアメリ自由社会が根底から脅かされているような実態を見ると、改めて共産主義とは何か、を考えてみる必要があろう。今こそドストエフスキーの『悪霊』を読みなさいと言いたいところである。人間全体の幸福を実現しようとして、結果的には一部の少数者による多数者の支配という全体主義的な国家が成立してしまうという逆説、ここに至って革命運動から去っていったのがシガリョフである。

革命家は革命を実現するためにはあらゆる手段を正当化する。ネチャーエフの革命家教理問答を読めば納得がいくだろう。革命家は革命のために命を投げ出す覚悟があるが、革命後の社会ヴィジョンがなっていない。人間とは社会体制が変われば幸福になれるというほど単純にできていない。自由社会にあっても、共産主義体制にあっても、権力や金力をほしいままにする支配層は存在する。

『未成年』のアルカージイ・ドルゴルーキイは人生の目的をロスチャイルドになることだと明言する。しかし彼の目的は世界一の金持ちになることにあるのではない。彼は次のように言っている「おれは金なんかいりやしない。といって悪ければ、おれに必要なのは金ではない、強大な力でさえもないのだ。おれが必要とするものは、強大な力によって獲得されるもの、強大な力なしには絶対に手に入れることのできないものだけである。それは孤独でしかも平静な力の意識なのだ! これこそは全世界の人間がなんとかして手に入れようともがいている自由の、最も完全な定義である」と。

ドストエフスキーの文学の凄さは、自由を求める人間の本質に肉薄していることである。絶大な権力を手にしてすら、人間は死すべき存在であることを免れることはできない。政界財界のトップに立つ人間の孤独にまで照明を与えなければ、喧しい議論の数々もおしなべて時局的おしゃべりの次元にとどまらざるを得ない。

わたしは今も『罪と罰』を批評し続けているが、今回は『悪霊』と『未成年』を薦めておく。ドストエフスキーは「人間とは何か」を徹底して追究した作家である。

池田大作の『人間革命』を語る──ドストエフスキー文学との関連において──」

動画「清水正チャンネル」で観ることができます。3回に分けてありますので是非最後までご覧ください。

https://www.youtube.com/watch?v=bKlpsJTBPhc 

https://www.youtube.com/watch?v=I-qg45NxyKQ

https://www.youtube.com/watch?v=B1grbVxCc0o

ドストエフスキー曼陀羅─松原寛&ドストエフスキー

(D文学研究会星雲社発売)

本書はドストエフスキー生誕200周年・日芸創設100周年を記念して刊行されます。

目次
苦悶と求道の哲人・松原寛をめぐる断想……清水正
トルストイの「懺悔」、松原寛のキリスト像柳宗悦の奇蹟観などに触れながら―

 入院中に松原寛論を執筆/  松原寛とドストエフスキー/  トルストイの「懺悔」をめぐって/  柳宗悦トルストイ観/  松原寛のキリスト像/  キリストと松原寛の決定的な違い/  柳宗悦の奇蹟をめぐって/  小室直樹の『日本人のための宗教原論』をめぐって/  「かのように」の哲学/  十字架上で奇蹟を起こさなかったイエス・キリスト/ 「死せるキリスト」をめぐって/  

ニーチェと松原寛……岩崎純一
 ――東西の哲人の共通点と相違点――

 序/  一、ニーチェ、松原寛との邂逅/  二、哲人たちの哲学の根底/  三、様式美としての哲人の生涯/  

理念(テクスト)と現実(コンテクスト)……此経啓助
 ――松原寛著『親鸞の哲学』を読む――

松原寛と日芸精神……伊藤景
 松原寛との出会い/  『芸術の門』と「苦悶」/ 

松原寛「随想録」から……戸田浩司/ 
  
松原寛とその周辺の年譜(町田直規編)/


ドストエフスキー文学の形而下学……清水正

マルメラードフの告白に秘められた形而下学――〈哀れみ〉とカチェリーナの〈踏み越え〉――/ ■性愛描写・省略の効果/ ■描かれざる場面・スヴィドリガイロフの場合/ ■〈奇跡〉の立会人から〈実際に奇跡を起こす人〉となったスヴィドリガイロフ/ ■〈実際に奇跡を起こす神〉スヴィドリガイロフとソーニャの〈神〉/ ■スヴィドリガイロフとソーニャの〈性愛場面〉をめぐって/ ■『貧しき人々』における描かれざる〈性愛場面〉/ ■『地下生活者の手記』における〈描かれざる性愛場面〉/ ■四十年ぶりに『地下室の手記』を批評する――〈描かれざる性愛場面〉をめぐって/ ■地下男と娼婦リーザの性愛関係/ ■地下男とリーザの〈描かれざるセックス〉後の場面/ ■《洋品店》でのセックス/■地下男の形而下的側面/ ■「べつに……」(Так…)の女リーザとソーニャ/ ■厄介極まる地下男/ ■地下男のリーザ征服の巧妙な手口――闇の中で〈似たもの同士〉がしゃべりあう――/ ■狂信者でも聖女でもない、人間としてのリーザ――地下男の〈たぶらかし〉――/ ■リーザが心の扉を開いた時――リーザの絶望と地下男の怖じ気――/ ■地下男とリーザの新たな関係――「リーザ、訪ねてきておくれ」/ ■〈さよなら〉(прощай)と〈またね〉(до свидания)/■魂の繋がりを求めるリーザ――〈いまわしい真実〉の露呈――/ ■地下男を訪れたリーザ――地下男とリーザの〈描かれざる第二回目のセックス場面〉――/ ■ロジオンの〈打ち明け〉と〈跪拝〉――殺意と〈嵐〉(буря)――/ ■リーザと地下男の〈嵐〉(情欲の発作)/ ■〈眉唾〉(невероятно)/ ■「さようなら」(прощайте)をめぐって/ ■三つの神/ ■地下男の〈冷酷な仕打ち〉/ ■〈すべて=всё〉(リーザ)を〈十字路〉まで追っていく地下男/ ■地下男とロジオンの類縁性と差異――〈踏み越え〉たロジオンは新たな〈キリスト〉となり得るか――/ ■〈すべて=всё〉を見失った地下男――大いなる〈Так〉の女リーザ――/ ■姿を見せない二人の女/ ■アンチ・ヒーローの全特徴/ ■《生きた生活》から乖離してしまった地下男との異質性/ ■〈淫蕩〉にふける地下男/ ■地下男の後継者ロジオンの〈淫蕩〉/ ■地下男、ロジオン、ドストエフスキーとキリストとの関係/ ■深く分裂したロジオン(〈瀆神者〉か〈狂信者〉か)/ ■ロジオンの革命家としての挫折/ ■『罪と罰』の〈踏み越え〉と現代の〈踏み越え〉――〈斧の振り下ろし〉と〈原爆投下〉(核ミサイル発射)――/ ■議会制民主主義と屋根裏部屋の〈単独者〉/ ■ロジオンの不徹底な〈非凡人思想〉――卑小な非凡人の〈アレ〉/ ■近・現代の〈独裁者〉の〈斧〉とロジオンの〈斧〉/ ■〈思弁〉と〈信仰〉――〈ラザロの復活〉をイエスに問う/ ■人類滅亡の夢と〈理性と意志〉の両義性――ロジオンの描かれざる〈新生活〉と新たな使命――/ ■〈思弁家〉から〈観照家〉へ――第五福音書としての『罪と罰』――/ ■スヴィドリガイロフの〈性愛〉をめぐって/ ■スヴィドリガイロフとソーニャの描かれざる〈性愛場面〉――〈同じ森の獣〉たちの対話――/ ■スヴィドリガイロフの〈奇跡〉/ ■ロジオンを支配する〈突然〉と描かれざる淫売婦ソーニャの実態/ ■ソーニャとキリスト/ ■ケンジ童話における数字の神秘的象徴性(三、六、九、五)とソーニャの部屋(九号室)/ ■〈ラザロの復活〉と聞き耳を立てていた〈立会人〉スヴィドリガイロフ/ ■ソーニャの部屋におけるロジオンの〈死と復活〉の秘儀/ ■ソーニャの住まいを巡る断想/ ■ロジオンがソーニャの部屋を訪ねた時の〈奇妙さ〉――〈何か戸のようなもの〉をめぐって――/ ■ソーニャの〈不安の秘密〉と〈時間の歪曲〉/ ■ソーニャとスヴィドリガイロフの〈秘密の時〉/ ■〈歪なもの〉が置かれた玄関とソーニャの不具的な部屋/ ■自ら罪を犯した〈キリスト〉としてのロジオン――ゲッセマネの〈キリスト〉に関連付けて――/ ■描かれざる日常のディティール ――ソーニャの部屋の間取りから〈トイレ事情〉〈水事情〉をさぐる――/ ■ソーニャの部屋と〈ラザロの復活〉朗読場面――ロジオンの眼差しで捕らえられたソーニャの部屋――/ ■〈この人も、この人も〉を巡って――人称代名詞に要注意――/ ■〈この人=スヴィドリガイロフ〉とソーニャの関係/ ■ソーニャの視る〈幻〉(видение)とスヴィドリガイロフが見る〈幽霊〉(привидение)/

清水正著『ウラ読みドストエフスキー』を読む……坂下将人

ドストエフスキー曼陀羅 目次(伊藤景編)/

 

f:id:shimizumasashi:20201017163459j:plain

D文学研究会刊行著書広告

   清水正への講演依頼、清水正の著作の購読申込、課題レポートなどは下記のメールにご連絡ください。
shimizumasashi20@gmail.com

  清水正の著作はアマゾンまたはヤフオクで購読してください。

https://auctions.yahoo.co.jp/seller/msxyh0208

f:id:shimizumasashi:20181228105220j:plain

清水正ドストエフスキー論全集

 

    ドストエフスキー文学に関心のあるひとはぜひご覧ください。

清水正先生大勤労感謝祭」の記念講演会の録画です。

https://www.youtube.com/watch?v=_a6TPEBWvmw&t=1s

 

www.youtube.com

 

f:id:shimizumasashi:20181228105251j:plain

 清水正の著作はアマゾンまたはヤフオクで購読してください。https://auctions.yahoo.co.jp/seller/msxyh0208

 

(人気ブログランキングに参加しています。よろしければクリックお願いします)

これを観ると清水正ドストエフスキー論の神髄の一端がうかがえます。日芸文芸学科の専門科目「文芸批評論」の平成二十七年度の授業より録画したものです。是非ごらんください。

ドストエフスキー『罪と罰』における死と復活のドラマ(2015/11/17)【清水正チャンネル】 - YouTube

 

 

清水正編著『ドストエフスキー曼陀羅─松原寛&ドストエフスキー』 (D文学研究会・星雲社発売)

「マンガ論」受講者は下の動画を観てください。

https://www.youtube.com/watch?v=jhG9NjO3_s8

 

清水正への講演依頼、清水正の著作の購読申込、課題レポートなどは下記のメールにご連絡ください。
shimizumasashi20@gmail.com

 

池田大作の『人間革命』を語る──ドストエフスキー文学との関連において──」

動画「清水正チャンネル」で観ることができます。3回に分けてありますので是非最後までご覧ください。

https://www.youtube.com/watch?v=bKlpsJTBPhc 

https://www.youtube.com/watch?v=I-qg45NxyKQ

https://www.youtube.com/watch?v=B1grbVxCc0o

ドストエフスキー曼陀羅─松原寛&ドストエフスキー

(D文学研究会星雲社発売)

本書はドストエフスキー生誕200周年・日芸創設100周年を記念して刊行されます。

目次
苦悶と求道の哲人・松原寛をめぐる断想……清水正
トルストイの「懺悔」、松原寛のキリスト像柳宗悦の奇蹟観などに触れながら―

 入院中に松原寛論を執筆/  松原寛とドストエフスキー/  トルストイの「懺悔」をめぐって/  柳宗悦トルストイ観/  松原寛のキリスト像/  キリストと松原寛の決定的な違い/  柳宗悦の奇蹟をめぐって/  小室直樹の『日本人のための宗教原論』をめぐって/  「かのように」の哲学/  十字架上で奇蹟を起こさなかったイエス・キリスト/ 「死せるキリスト」をめぐって/  

ニーチェと松原寛……岩崎純一
 ――東西の哲人の共通点と相違点――

 序/  一、ニーチェ、松原寛との邂逅/  二、哲人たちの哲学の根底/  三、様式美としての哲人の生涯/  

理念(テクスト)と現実(コンテクスト)……此経啓助
 ――松原寛著『親鸞の哲学』を読む――

松原寛と日芸精神……伊藤景
 松原寛との出会い/  『芸術の門』と「苦悶」/ 

松原寛「随想録」から……戸田浩司/ 
  
松原寛とその周辺の年譜(町田直規編)/


ドストエフスキー文学の形而下学……清水正

マルメラードフの告白に秘められた形而下学――〈哀れみ〉とカチェリーナの〈踏み越え〉――/ ■性愛描写・省略の効果/ ■描かれざる場面・スヴィドリガイロフの場合/ ■〈奇跡〉の立会人から〈実際に奇跡を起こす人〉となったスヴィドリガイロフ/ ■〈実際に奇跡を起こす神〉スヴィドリガイロフとソーニャの〈神〉/ ■スヴィドリガイロフとソーニャの〈性愛場面〉をめぐって/ ■『貧しき人々』における描かれざる〈性愛場面〉/ ■『地下生活者の手記』における〈描かれざる性愛場面〉/ ■四十年ぶりに『地下室の手記』を批評する――〈描かれざる性愛場面〉をめぐって/ ■地下男と娼婦リーザの性愛関係/ ■地下男とリーザの〈描かれざるセックス〉後の場面/ ■《洋品店》でのセックス/■地下男の形而下的側面/ ■「べつに……」(Так…)の女リーザとソーニャ/ ■厄介極まる地下男/ ■地下男のリーザ征服の巧妙な手口――闇の中で〈似たもの同士〉がしゃべりあう――/ ■狂信者でも聖女でもない、人間としてのリーザ――地下男の〈たぶらかし〉――/ ■リーザが心の扉を開いた時――リーザの絶望と地下男の怖じ気――/ ■地下男とリーザの新たな関係――「リーザ、訪ねてきておくれ」/ ■〈さよなら〉(прощай)と〈またね〉(до свидания)/■魂の繋がりを求めるリーザ――〈いまわしい真実〉の露呈――/ ■地下男を訪れたリーザ――地下男とリーザの〈描かれざる第二回目のセックス場面〉――/ ■ロジオンの〈打ち明け〉と〈跪拝〉――殺意と〈嵐〉(буря)――/ ■リーザと地下男の〈嵐〉(情欲の発作)/ ■〈眉唾〉(невероятно)/ ■「さようなら」(прощайте)をめぐって/ ■三つの神/ ■地下男の〈冷酷な仕打ち〉/ ■〈すべて=всё〉(リーザ)を〈十字路〉まで追っていく地下男/ ■地下男とロジオンの類縁性と差異――〈踏み越え〉たロジオンは新たな〈キリスト〉となり得るか――/ ■〈すべて=всё〉を見失った地下男――大いなる〈Так〉の女リーザ――/ ■姿を見せない二人の女/ ■アンチ・ヒーローの全特徴/ ■《生きた生活》から乖離してしまった地下男との異質性/ ■〈淫蕩〉にふける地下男/ ■地下男の後継者ロジオンの〈淫蕩〉/ ■地下男、ロジオン、ドストエフスキーとキリストとの関係/ ■深く分裂したロジオン(〈瀆神者〉か〈狂信者〉か)/ ■ロジオンの革命家としての挫折/ ■『罪と罰』の〈踏み越え〉と現代の〈踏み越え〉――〈斧の振り下ろし〉と〈原爆投下〉(核ミサイル発射)――/ ■議会制民主主義と屋根裏部屋の〈単独者〉/ ■ロジオンの不徹底な〈非凡人思想〉――卑小な非凡人の〈アレ〉/ ■近・現代の〈独裁者〉の〈斧〉とロジオンの〈斧〉/ ■〈思弁〉と〈信仰〉――〈ラザロの復活〉をイエスに問う/ ■人類滅亡の夢と〈理性と意志〉の両義性――ロジオンの描かれざる〈新生活〉と新たな使命――/ ■〈思弁家〉から〈観照家〉へ――第五福音書としての『罪と罰』――/ ■スヴィドリガイロフの〈性愛〉をめぐって/ ■スヴィドリガイロフとソーニャの描かれざる〈性愛場面〉――〈同じ森の獣〉たちの対話――/ ■スヴィドリガイロフの〈奇跡〉/ ■ロジオンを支配する〈突然〉と描かれざる淫売婦ソーニャの実態/ ■ソーニャとキリスト/ ■ケンジ童話における数字の神秘的象徴性(三、六、九、五)とソーニャの部屋(九号室)/ ■〈ラザロの復活〉と聞き耳を立てていた〈立会人〉スヴィドリガイロフ/ ■ソーニャの部屋におけるロジオンの〈死と復活〉の秘儀/ ■ソーニャの住まいを巡る断想/ ■ロジオンがソーニャの部屋を訪ねた時の〈奇妙さ〉――〈何か戸のようなもの〉をめぐって――/ ■ソーニャの〈不安の秘密〉と〈時間の歪曲〉/ ■ソーニャとスヴィドリガイロフの〈秘密の時〉/ ■〈歪なもの〉が置かれた玄関とソーニャの不具的な部屋/ ■自ら罪を犯した〈キリスト〉としてのロジオン――ゲッセマネの〈キリスト〉に関連付けて――/ ■描かれざる日常のディティール ――ソーニャの部屋の間取りから〈トイレ事情〉〈水事情〉をさぐる――/ ■ソーニャの部屋と〈ラザロの復活〉朗読場面――ロジオンの眼差しで捕らえられたソーニャの部屋――/ ■〈この人も、この人も〉を巡って――人称代名詞に要注意――/ ■〈この人=スヴィドリガイロフ〉とソーニャの関係/ ■ソーニャの視る〈幻〉(видение)とスヴィドリガイロフが見る〈幽霊〉(привидение)/

清水正著『ウラ読みドストエフスキー』を読む……坂下将人

ドストエフスキー曼陀羅 目次(伊藤景編)/

 

f:id:shimizumasashi:20201017163459j:plain

D文学研究会刊行著書広告

   清水正への講演依頼、清水正の著作の購読申込、課題レポートなどは下記のメールにご連絡ください。
shimizumasashi20@gmail.com

  清水正の著作はアマゾンまたはヤフオクで購読してください。

https://auctions.yahoo.co.jp/seller/msxyh0208

f:id:shimizumasashi:20181228105220j:plain

清水正ドストエフスキー論全集

 

    ドストエフスキー文学に関心のあるひとはぜひご覧ください。

清水正先生大勤労感謝祭」の記念講演会の録画です。

https://www.youtube.com/watch?v=_a6TPEBWvmw&t=1s

 

www.youtube.com

 

f:id:shimizumasashi:20181228105251j:plain

 清水正の著作はアマゾンまたはヤフオクで購読してください。https://auctions.yahoo.co.jp/seller/msxyh0208

 

(人気ブログランキングに参加しています。よろしければクリックお願いします)

これを観ると清水正ドストエフスキー論の神髄の一端がうかがえます。日芸文芸学科の専門科目「文芸批評論」の平成二十七年度の授業より録画したものです。是非ごらんください。

ドストエフスキー『罪と罰』における死と復活のドラマ(2015/11/17)【清水正チャンネル】 - YouTube

 

 

伊藤景「松原寛と日芸精神」松原寛との出会い

 

清水正への講演依頼、清水正の著作の購読申込、課題レポートなどは下記のメールにご連絡ください。
shimizumasashi20@gmail.com

清水正編著『ドストエフスキー曼陀羅──松原寛とドストエフスキー──』D文学研究会星雲社発売)は来年二月には刊行する予定だが、各執筆者の掲載原稿の一部を何回かにわたって本ブログで紹介することにした。興味と関心を持った方はぜひ購読してください。

今回は伊藤景さんの論文の一部を紹介します。

松原寛と日芸精神

伊藤景日大芸術学部文芸学科助手) 

松原寛との出会い

  私がはじめて松原寛と出会ったのは、大学三年生の芸祭だった。当時、私は「日芸マスコミ研究会」に所属しており、ブログに掲載するためのネタ探しをしていた。賑やかなお祭りを一人でぶらぶらと巡ることにも飽き、一度文芸学科に戻るかと西棟のエレベーターホールに向かおうとしたとき、何者かの視線を感じた。エレベーターホールまでのちょっとした空間に、その人はいた。芸祭の喧騒とは切り離された、日も当たらないような薄暗い空間の奥に日芸創始者・松原寛の胸像が鎮座していたのだ。

 惹かれるがまま、眼前へと足を運ぶ。芸祭期間ということもあって、胸像には紙でできたシルクハットがちょこんと置かれている。少し斜めになっているシルクハットが少しおとぼけた雰囲気を醸し出している。松原寛のなんとも言えない悲しげな表情が印象に残り、その姿をカメラに収めた。芸祭中に心惹かれた装飾の一つとして、この胸像を紹介しようと思ったのだ。しかし、写真を見返してみると台座の「松原寛」の文字が逆光のため潰れてしまっており読み取れず、この写真が陽の目を見ることはなかった。その後、大学院に進学するまで胸像のことは一度も気にかけたことはなかった。

 松原寛と再会することになったのは、大学院での講義であった。当時の指導教授の清水正先生から「松原寛」の名前を聞いたときは、誰のことだか全くわからなかった。まさか、日芸創始者であり、大学三年生のときに遭遇した胸像の本人だとは思いもしなかったものだ。

 清水先生の口から語られる松原寛は、私が想像していたような人物とは異なっていた。胸像からは頼りなげな肩に、少し下がり気味の眉毛、知性の宿った瞳から、病弱な文学者といったイメージを抱いていた。しかし、実際の松原寛は陰気な人ではなかったようだ。私の想像した松原寛像とは真逆といってもよいかもしれない。彼は、実に向上心の高い人物であった。

 クラーク博士が札幌農学校生との別れ際に告げたとされる有名な格言に「Boys be ambitious」がある。私はこの訳を「少年よ、大志を抱け」と教わった。しかし、松原寛はこれを「少年よ、功名心を抱け」という意味で受け止めていた。このことに対して清水先生は彼のことを次のように分析している。

 

    〈大志〉と〈功名心〉ではだいぶニュアンスが異なるが、あえてそういう訳語にするところに松原寛たる面白味がある。大志などというご立派な、社会的に有意義なきれいごとの野心ではなく、政治的にも経済的にも、つまり名誉も金銭欲も存分に満足させる個人的な欲望の獲得を目指すということである。(略)少年期の時点で、人間が持つ利己的な個人的な欲望を認めた上で自分の将来を考えている。(1)

 

 また、松原寛の甥である松原博一氏は彼のことを「象牙の塔の中で、安住のできない人」と語っている。博一氏は「叔父寛の思い出」(『日藝ライブラリー 日本大学芸術学部図書館活動誌 No.3 特集日本大学創設者 松原寛』日本大学芸術学部図書館)において、次のように叔父のことを振り返っている。

 

  怒る時は烈火の如く怒った。感傷に沈湎する時は眼を泣きはらして泣いた。舌鋒鋭く人の急所を突くかと思えば、痛飲して呵呵大笑、憂悶を吹っ飛ばす風があった。はげしい感情の起伏を自ら統御することができなかったのであろう。象牙の塔の中で、安住のできない人であった。啓示を得れば直ちに実践に移すという現実的行動力があった。総合芸術大学を、この地上に打ち樹てようとする夢を、常に語り続けていたし、後半生のエネルギーを、これに傾注した。(2)

 

 松原寛は現実的に物事を考え、大地を踏みしめて生きていた。彼は、私たちと同じように笑い、そしてときには涙を流しながらも、自身の夢に向かってひた走ったのだろう。博一氏の言葉からは、胸像だけでは知ることのできなかった人間らしい「松原寛」を知ることができた。

 彼を知ることで、自分が抱いていた哲学者像は見事に崩れた。哲学者のことを一般庶民とは隔絶された環境で、ぬくぬくと教育を貪る高等な学者様と皮肉的な眼差しを向けていたが、そうではなかったのだ。彼らも社会の中で自分の理想と思想を追究するためにもがき苦しむただの隣人であった。そのことに気がつけたのは、松原寛のおかげである。

 私は日芸マスコミ研究会の一員であり、清水先生の講義を受けていた学生であったから、「松原寛」のことを知ることができた。しかし、そうではない日芸生はどれだけ彼のことを知っていたのだろうか。このような疑問を抱いたとき、私は在学中に誰かと「日芸」について語り合った経験がないことに気がついた。所属学科である「文芸学科」については、友人とも話したことがあったし、講義の中で文芸学科の成り立ちについても聞いたことがあった。また、「日本大学」については、日本大学豊山女子高等学校に在学していたときに毎年のように特別集会などで学んだ。特に、「学祖・山田顕義」という言葉は耳にこびりつく程に繰り返し聞いたものだ。しかし、「松原寛」の名は大学院生になるまで聞いたことがなかったし、「日芸」の歴史については学ぼうと思ったことすらなかった。自分の大学の歴史も知らずに、またそれに興味すら持たずにいた自分のことを恥じた。私は自分のことを「日芸生」だと自負しながらも、その本質を知ろうともしていなかったのだ。私は日芸に憧れを抱いて、日本大学の付属校に入学し、日芸を受験したはずなのに、日芸のことを何一つ知ろうとしていなかった。

 

 松原寛の闘争意識と崇高なる創造精神なくして今日の日本大学芸術学部の存在はない。研究と創造の精神がなくなれば大学はその生命を終えることになる。(3)

 

 松原寛がいなければ、今日の日芸は存在していない。特に、文芸学科は「文学部」とは異なる。文芸学科は、研究だけではなく、自分の言葉で物語ることに重きを置いた学科である。その文芸表現は、人によって異なる。それは小説であり、詩であり、批評であり、マンガといったように、言葉で自分の創造した世界を語ることが重要なのだ。私は、松原寛のことを知り、そして学んだ日から改めて「日芸生」として生きていくこととなった。

 

池田大作の『人間革命』を語る──ドストエフスキー文学との関連において──」

動画「清水正チャンネル」で観ることができます。3回に分けてありますので是非最後までご覧ください。

https://www.youtube.com/watch?v=bKlpsJTBPhc 

https://www.youtube.com/watch?v=I-qg45NxyKQ

https://www.youtube.com/watch?v=B1grbVxCc0o

ドストエフスキー曼陀羅─松原寛&ドストエフスキー

(D文学研究会星雲社発売)

本書はドストエフスキー生誕200周年・日芸創設100周年を記念して刊行されます。

目次
苦悶と求道の哲人・松原寛をめぐる断想……清水正
トルストイの「懺悔」、松原寛のキリスト像柳宗悦の奇蹟観などに触れながら―

 入院中に松原寛論を執筆/  松原寛とドストエフスキー/  トルストイの「懺悔」をめぐって/  柳宗悦トルストイ観/  松原寛のキリスト像/  キリストと松原寛の決定的な違い/  柳宗悦の奇蹟をめぐって/  小室直樹の『日本人のための宗教原論』をめぐって/  「かのように」の哲学/  十字架上で奇蹟を起こさなかったイエス・キリスト/ 「死せるキリスト」をめぐって/  

ニーチェと松原寛……岩崎純一
 ――東西の哲人の共通点と相違点――

 序/  一、ニーチェ、松原寛との邂逅/  二、哲人たちの哲学の根底/  三、様式美としての哲人の生涯/  

理念(テクスト)と現実(コンテクスト)……此経啓助
 ――松原寛著『親鸞の哲学』を読む――

松原寛と日芸精神……伊藤景
 松原寛との出会い/  『芸術の門』と「苦悶」/ 

松原寛「随想録」から……戸田浩司/ 
  
松原寛とその周辺の年譜(町田直規編)/


ドストエフスキー文学の形而下学……清水正

マルメラードフの告白に秘められた形而下学――〈哀れみ〉とカチェリーナの〈踏み越え〉――/ ■性愛描写・省略の効果/ ■描かれざる場面・スヴィドリガイロフの場合/ ■〈奇跡〉の立会人から〈実際に奇跡を起こす人〉となったスヴィドリガイロフ/ ■〈実際に奇跡を起こす神〉スヴィドリガイロフとソーニャの〈神〉/ ■スヴィドリガイロフとソーニャの〈性愛場面〉をめぐって/ ■『貧しき人々』における描かれざる〈性愛場面〉/ ■『地下生活者の手記』における〈描かれざる性愛場面〉/ ■四十年ぶりに『地下室の手記』を批評する――〈描かれざる性愛場面〉をめぐって/ ■地下男と娼婦リーザの性愛関係/ ■地下男とリーザの〈描かれざるセックス〉後の場面/ ■《洋品店》でのセックス/■地下男の形而下的側面/ ■「べつに……」(Так…)の女リーザとソーニャ/ ■厄介極まる地下男/ ■地下男のリーザ征服の巧妙な手口――闇の中で〈似たもの同士〉がしゃべりあう――/ ■狂信者でも聖女でもない、人間としてのリーザ――地下男の〈たぶらかし〉――/ ■リーザが心の扉を開いた時――リーザの絶望と地下男の怖じ気――/ ■地下男とリーザの新たな関係――「リーザ、訪ねてきておくれ」/ ■〈さよなら〉(прощай)と〈またね〉(до свидания)/■魂の繋がりを求めるリーザ――〈いまわしい真実〉の露呈――/ ■地下男を訪れたリーザ――地下男とリーザの〈描かれざる第二回目のセックス場面〉――/ ■ロジオンの〈打ち明け〉と〈跪拝〉――殺意と〈嵐〉(буря)――/ ■リーザと地下男の〈嵐〉(情欲の発作)/ ■〈眉唾〉(невероятно)/ ■「さようなら」(прощайте)をめぐって/ ■三つの神/ ■地下男の〈冷酷な仕打ち〉/ ■〈すべて=всё〉(リーザ)を〈十字路〉まで追っていく地下男/ ■地下男とロジオンの類縁性と差異――〈踏み越え〉たロジオンは新たな〈キリスト〉となり得るか――/ ■〈すべて=всё〉を見失った地下男――大いなる〈Так〉の女リーザ――/ ■姿を見せない二人の女/ ■アンチ・ヒーローの全特徴/ ■《生きた生活》から乖離してしまった地下男との異質性/ ■〈淫蕩〉にふける地下男/ ■地下男の後継者ロジオンの〈淫蕩〉/ ■地下男、ロジオン、ドストエフスキーとキリストとの関係/ ■深く分裂したロジオン(〈瀆神者〉か〈狂信者〉か)/ ■ロジオンの革命家としての挫折/ ■『罪と罰』の〈踏み越え〉と現代の〈踏み越え〉――〈斧の振り下ろし〉と〈原爆投下〉(核ミサイル発射)――/ ■議会制民主主義と屋根裏部屋の〈単独者〉/ ■ロジオンの不徹底な〈非凡人思想〉――卑小な非凡人の〈アレ〉/ ■近・現代の〈独裁者〉の〈斧〉とロジオンの〈斧〉/ ■〈思弁〉と〈信仰〉――〈ラザロの復活〉をイエスに問う/ ■人類滅亡の夢と〈理性と意志〉の両義性――ロジオンの描かれざる〈新生活〉と新たな使命――/ ■〈思弁家〉から〈観照家〉へ――第五福音書としての『罪と罰』――/ ■スヴィドリガイロフの〈性愛〉をめぐって/ ■スヴィドリガイロフとソーニャの描かれざる〈性愛場面〉――〈同じ森の獣〉たちの対話――/ ■スヴィドリガイロフの〈奇跡〉/ ■ロジオンを支配する〈突然〉と描かれざる淫売婦ソーニャの実態/ ■ソーニャとキリスト/ ■ケンジ童話における数字の神秘的象徴性(三、六、九、五)とソーニャの部屋(九号室)/ ■〈ラザロの復活〉と聞き耳を立てていた〈立会人〉スヴィドリガイロフ/ ■ソーニャの部屋におけるロジオンの〈死と復活〉の秘儀/ ■ソーニャの住まいを巡る断想/ ■ロジオンがソーニャの部屋を訪ねた時の〈奇妙さ〉――〈何か戸のようなもの〉をめぐって――/ ■ソーニャの〈不安の秘密〉と〈時間の歪曲〉/ ■ソーニャとスヴィドリガイロフの〈秘密の時〉/ ■〈歪なもの〉が置かれた玄関とソーニャの不具的な部屋/ ■自ら罪を犯した〈キリスト〉としてのロジオン――ゲッセマネの〈キリスト〉に関連付けて――/ ■描かれざる日常のディティール ――ソーニャの部屋の間取りから〈トイレ事情〉〈水事情〉をさぐる――/ ■ソーニャの部屋と〈ラザロの復活〉朗読場面――ロジオンの眼差しで捕らえられたソーニャの部屋――/ ■〈この人も、この人も〉を巡って――人称代名詞に要注意――/ ■〈この人=スヴィドリガイロフ〉とソーニャの関係/ ■ソーニャの視る〈幻〉(видение)とスヴィドリガイロフが見る〈幽霊〉(привидение)/

清水正著『ウラ読みドストエフスキー』を読む……坂下将人

ドストエフスキー曼陀羅 目次(伊藤景編)/

 

f:id:shimizumasashi:20201017163459j:plain

D文学研究会刊行著書広告

   清水正への講演依頼、清水正の著作の購読申込、課題レポートなどは下記のメールにご連絡ください。
shimizumasashi20@gmail.com

  清水正の著作はアマゾンまたはヤフオクで購読してください。

https://auctions.yahoo.co.jp/seller/msxyh0208

f:id:shimizumasashi:20181228105220j:plain

清水正ドストエフスキー論全集

 

    ドストエフスキー文学に関心のあるひとはぜひご覧ください。

清水正先生大勤労感謝祭」の記念講演会の録画です。

https://www.youtube.com/watch?v=_a6TPEBWvmw&t=1s

 

www.youtube.com

 

 「池田大作の『人間革命』を語る──ドストエフスキー文学との関連において──」

動画「清水正チャンネル」で観ることができます。3回に分けてありますので是非最後までご覧ください。

https://www.youtube.com/watch?v=bKlpsJTBPhc 

https://www.youtube.com/watch?v=I-qg45NxyKQ

https://www.youtube.com/watch?v=B1grbVxCc0o

f:id:shimizumasashi:20181228105251j:plain

 清水正の著作はアマゾンまたはヤフオクで購読してください。https://auctions.yahoo.co.jp/seller/msxyh0208

 

(人気ブログランキングに参加しています。よろしければクリックお願いします)

これを観ると清水正ドストエフスキー論の神髄の一端がうかがえます。日芸文芸学科の専門科目「文芸批評論」の平成二十七年度の授業より録画したものです。是非ごらんください。

ドストエフスキー『罪と罰』における死と復活のドラマ(2015/11/17)【清水正チャンネル】 - YouTube

 

 https://www.youtube.com/watch?v=KuHtXhOqA5g&t=901s

https://www.youtube.com/watch?v=b7TWOEW1yV4

ヒカルの動画を観る

「雑誌研究」の受講者は下記の動画を観て感想をメールで送ってください。  https://www.youtube.com/watch?v=uLfb7GowFSk

清水正の著作の購読申込、課題レポートなどは下記のメールにご連絡ください。
shimizumasashi20@gmail.com

 

ドストエフスキー文学に関心のあるひとはぜひご覧ください。

清水正先生大勤労感謝祭」の記念講演会の録画です。

https://www.youtube.com/watch?v=_a6TPEBWvmw&t=1s

 

www.youtube.com

 

 「池田大作の『人間革命』を語る──ドストエフスキー文学との関連において──」

動画「清水正チャンネル」で観ることができます。

https://www.youtube.com/watch?v=bKlpsJTBPhc

 

f:id:shimizumasashi:20181228105251j:plain

 清水正の著作はアマゾンまたはヤフオクで購読してください。https://auctions.yahoo.co.jp/seller/msxyh0208

 

(人気ブログランキングに参加しています。よろしければクリックお願いします)

これを観ると清水正ドストエフスキー論の神髄の一端がうかがえます。日芸文芸学科の専門科目「文芸批評論」の平成二十七年度の授業より録画したものです。是非ごらんください。

ドストエフスキー『罪と罰』における死と復活のドラマ(2015/11/17)【清水正チャンネル】 - YouTube

 

此経啓助「理念(テクスト)と現実(コンテクスト) 」 連載2

「マンガ論」の受講者は下記の動画を観てください。

日野日出志のマンガ「蔵六の奇病」に関する授業の一部。 

https://www.youtube.com/watch?v=a67lpJ72kK8

 

 

清水正の著作の購読申込、課題レポートなどは下記のメールにご連絡ください。
shimizumasashi20@gmail.com

清水正編著『ドストエフスキー曼陀羅──松原寛とドストエフスキー──』D文学研究会星雲社発売)は来年二月には刊行する予定だが、各執筆者の掲載原稿の一部を何回かにわたって本ブログで紹介することにした。興味と関心を持った方はぜひ購読してください。

理念(テクスト)と現実(コンテクスト)

――松原寛著『親鸞の哲学』を読む―― 連載2

此経啓助(元日大芸術学部文芸学科教授)

 

 鎌倉時代の代表的な仏教者の一人である親鸞は、現代日本人にもよく親しまれた存在です。しかしながら、私たちが親鸞についてよく知っているかと問えば、ノーでしょう。仏教にまつわる諺に、「知らぬが仏、知るが煩悩」というものがあります。ものごとの真実を知らないほうが苦しまず、平安な心でいられる、といった意味の諺です。とくに親鸞の哲学的な言葉には、そうした傾向が見られます。

 大澤絢子著『親鸞「六つの顔」はなぜ生まれたのか』(筑摩選書)で、著者は私たちが親鸞に何かしらのイメージを抱いている理由についてこう説明しています。

 「私たちは親鸞のことをよく知らなくても、彼について何かしらイメージすることができる。例えばそれは、浄土真宗を開いた祖としての親鸞であったり、僧侶でありながら妻帯した親鸞であったり、『歎異抄』の親鸞であったり、民衆とともに歩んだ親鸞であったりすることだろう。これらは歴史上の親鸞とは別の、人々にイメージされた親鸞である。そうした親鸞にまつわるイメージの総体(親鸞像)を作り上げたのは、浄土信仰を信仰する者だけでなく、歴史家や文学者、思想家、哲学者、研究者そしてその他多くの日本人である」

 とりわけ大正時代の親鸞ブームが「イメージの総体(親鸞像)」作りに貢献したといっていいでしょう。松原先生はこうした時代を背景にして先生自身の親鸞像を育んで行かれたと想像します。とくに親鸞の哲学的な言葉(思想)に強い関心を抱いて、後年それを松原哲学の核心に据えた『親鸞の哲学』を書いたのだと思います。この松原著を含めて、知識人たちの数多くの親鸞論があります。前出の大澤著は、彼らが「なぜ親鸞のことが気になるのか」について、以下のように述べています。

 「まず考えられるのが、その思想の独自性である。親鸞の思想は念仏すれば誰でも極楽浄土へ行くことができるという、シンプルなものである。しかし念仏しようという気持ちは自発的に起こるものではなく、阿弥陀仏によってもたらされるものとされる。念仏を称えれば称えるほどいいのではなく、極楽浄土へ行くことが阿弥陀仏によって既に誓われているからこそ、念仏が称えられるのだという。信じる気持ちが起こった時に、極楽に往生することも決まるのだともいう。こうした思想の複雑さが、多くの知識人を惹きつけてきたのではないか」

 多くの親鸞論がこうした親鸞の思想のシンプルさと複雑さをどのように織り込んでいくかに、論の工夫や苦心を尽くしているようです。

 

此経啓助「理念(テクスト)と現実(コンテクスト) 」 連載1

「雑誌研究」の受講者は下記の動画を観て感想をメールで送ってください。

https://www.youtube.com/watch?v=hVdcNz7gjEk&t=22s(第1回目)

清水正の著作の購読申込、課題レポートなどは下記のメールにご連絡ください。
shimizumasashi20@gmail.com

清水正編著『ドストエフスキー曼陀羅──松原寛とドストエフスキー──』D文学研究会星雲社発売)は来年二月には刊行する予定だが、各執筆者の掲載原稿の一部を何回かにわたって本ブログで紹介することにした。興味と関心を持った方はぜひ購読してください。

理念(テクスト)と現実(コンテクスト)

――松原寛著『親鸞の哲学』を読む――

此経啓助(元日大芸術学部文芸学科教授)

 一

 松原寛先生の『親鸞の哲学』を読んで、先生の親鸞への想いについて考えてみました。先生と呼ぶのは、先生が私の出身校・日本大学芸術学部の創設者だからです。先生は西田幾多郎に師事した哲学者で、<生命>を存在の普遍的原理にすることで、哲学・宗教・芸術を一体不可分のものとして認識する立場を築かれました。『親鸞の哲学』は一九三五(昭和一0)年五月二0日、先生四四歳の時に、出版社モナスから単行本で発行されました。この小文で用いたテクストは、一九七二年一一月一0日に「日本大学芸術学部五十周年記念」として発行された『松原寛』(非売品)の「付録」として再録されたものです。文章の異動などについてはとくにチェックをしていません。また、明治・大正時代の年号は、時代を反映するように、和暦を用いました。

  同『松原寛』収録の論文「宗教論」で、筆者・岡邦俊は『親鸞の哲学』について、こう述べています。

 「先生の宗教巡礼の旅は、キリスト教に出発し、日蓮法華経、天台、真言の哲学的仏教、やがては禅門にも入った。ついに最後には『親鸞の哲学』に、究極的宗教の安住地を体験されたようである」

 先生にとっての親鸞は、青春時代の旅たちから親しい伴走者であったと思います。というのは、先生の青春時代真っ盛りの二0代(大正時代前半)が親鸞ブームと重なっており、また『出家とその弟子』(大正五年)でブームの立役者となった倉田百三が先生とわずか一歳違い(年長)で、先生と同様にキリスト教西田幾多郎から影響を受けたことなどを考えると、親鸞は知らず知らずのうちに無視できない存在になっていたでしょう。先生の著書『現代人の芸術』(大正一0年)にこんな文章があります。

 「倉田百三君の『出家とその弟子』は何という深刻なる作でしょう。右せんか左せんか、甲にせんか乙にせんかに悩む親鸞の姿、又は遊女になつて居るかへでの姿、一々として吾々人間そのものではありませんか。本当に純なる人間の姿を現わし、多種多面なる人間の姿をあの一巻の中に現わして居るではありませんか」

 作品に描かれた、私たちと同じように苦悩する人間親鸞は、一高(東京第一高等学校)中退や失恋などの挫折に見舞われた倉田の青春が反映されているといわれています。倉田と似た苦悩をしていた先生にとっても、決して他人事ではなかったでしょう。ちなみに、先生が一高在学中に書かれた処女論文のタイトルは「若き哲人の苦悶」です。

 この苦悩する人間親鸞という人物像は、『歎異抄』から生まれたといわれています。『歎異抄』はよく知られているように、親鸞の若い弟子であった唯円が晩年の師の話をまとめたものです。この唯円によって描かれた親鸞像は、明治時代になるまで宗門伝承の親鸞聖人像の陰に隠されていました。しかし、明治時代に入って、『歎異抄』が脚光を浴び、中でも暁烏敏の『歎異抄講話』(明治四四年)は一般大衆に広く読まれました。そして、倉田がそれをモチーフとして『出家とその弟子』に戯曲化し、親鸞ブームが生まれました。

 松原先生はブームの中の苦悩する人間親鸞に関心を抱いたでしょうが、それ以上に宗教者・親鸞が『歎異抄』の中で語った哲学的な言葉に強い印象を持ったようです。京都大学時代、先生は恋愛の破綻を通して見た人間の「悪魔性」から「善人なをもて往生す、いかにいはんや悪人をや」(『歎異抄』)の親鸞の教えに有難さを覚えた、と『現代人の宗教』(大正一一年)で述懐されています。

日野日出志氏と『蔵六の奇病』について語っている動画

「マンガ論」受講者は下記の動画を観てください。

日野日出志氏と『蔵六の奇病』について語っています。 

https://www.youtube.com/watch?v=ecyFmmIKUqI(第2回目)

https://www.youtube.com/watch?v=GCAdUG9zjXY(第1回目)

清水正への講演依頼、清水正の著作の購読申込、課題レポートなどは下記のメールにご連絡ください。
shimizumasashi20@gmail.com

清水正編著『ドストエフスキー曼陀羅──松原寛とドストエフスキー──』D文学研究会星雲社発売)は来年二月には刊行する予定だが、各執筆者の掲載原稿の一部を何回かにわたって本ブログで紹介することにした。興味と関心を持った方はぜひ購読してください。

岩崎純一氏の連載は5回で終了します。次回は此経啓助氏の論文を紹介します。

 

池田大作の『人間革命』を語る──ドストエフスキー文学との関連において──」

動画「清水正チャンネル」で観ることができます。3回に分けてありますので是非最後までご覧ください。

https://www.youtube.com/watch?v=bKlpsJTBPhc 

https://www.youtube.com/watch?v=I-qg45NxyKQ

https://www.youtube.com/watch?v=B1grbVxCc0o

ドストエフスキー曼陀羅─松原寛&ドストエフスキー

(D文学研究会星雲社発売)

本書はドストエフスキー生誕200周年・日芸創設100周年を記念して刊行されます。

目次
苦悶と求道の哲人・松原寛をめぐる断想……清水正
トルストイの「懺悔」、松原寛のキリスト像柳宗悦の奇蹟観などに触れながら―

 入院中に松原寛論を執筆/  松原寛とドストエフスキー/  トルストイの「懺悔」をめぐって/  柳宗悦トルストイ観/  松原寛のキリスト像/  キリストと松原寛の決定的な違い/  柳宗悦の奇蹟をめぐって/  小室直樹の『日本人のための宗教原論』をめぐって/  「かのように」の哲学/  十字架上で奇蹟を起こさなかったイエス・キリスト/ 「死せるキリスト」をめぐって/  

ニーチェと松原寛……岩崎純一
 ――東西の哲人の共通点と相違点――

 序/  一、ニーチェ、松原寛との邂逅/  二、哲人たちの哲学の根底/  三、様式美としての哲人の生涯/  

理念(テクスト)と現実(コンテクスト)……此経啓助
 ――松原寛著『親鸞の哲学』を読む――

松原寛と日芸精神……伊藤景
 松原寛との出会い/  『芸術の門』と「苦悶」/ 

松原寛「随想録」から……戸田浩司/ 
  
松原寛とその周辺の年譜(町田直規編)/


ドストエフスキー文学の形而下学……清水正

マルメラードフの告白に秘められた形而下学――〈哀れみ〉とカチェリーナの〈踏み越え〉――/ ■性愛描写・省略の効果/ ■描かれざる場面・スヴィドリガイロフの場合/ ■〈奇跡〉の立会人から〈実際に奇跡を起こす人〉となったスヴィドリガイロフ/ ■〈実際に奇跡を起こす神〉スヴィドリガイロフとソーニャの〈神〉/ ■スヴィドリガイロフとソーニャの〈性愛場面〉をめぐって/ ■『貧しき人々』における描かれざる〈性愛場面〉/ ■『地下生活者の手記』における〈描かれざる性愛場面〉/ ■四十年ぶりに『地下室の手記』を批評する――〈描かれざる性愛場面〉をめぐって/ ■地下男と娼婦リーザの性愛関係/ ■地下男とリーザの〈描かれざるセックス〉後の場面/ ■《洋品店》でのセックス/■地下男の形而下的側面/ ■「べつに……」(Так…)の女リーザとソーニャ/ ■厄介極まる地下男/ ■地下男のリーザ征服の巧妙な手口――闇の中で〈似たもの同士〉がしゃべりあう――/ ■狂信者でも聖女でもない、人間としてのリーザ――地下男の〈たぶらかし〉――/ ■リーザが心の扉を開いた時――リーザの絶望と地下男の怖じ気――/ ■地下男とリーザの新たな関係――「リーザ、訪ねてきておくれ」/ ■〈さよなら〉(прощай)と〈またね〉(до свидания)/■魂の繋がりを求めるリーザ――〈いまわしい真実〉の露呈――/ ■地下男を訪れたリーザ――地下男とリーザの〈描かれざる第二回目のセックス場面〉――/ ■ロジオンの〈打ち明け〉と〈跪拝〉――殺意と〈嵐〉(буря)――/ ■リーザと地下男の〈嵐〉(情欲の発作)/ ■〈眉唾〉(невероятно)/ ■「さようなら」(прощайте)をめぐって/ ■三つの神/ ■地下男の〈冷酷な仕打ち〉/ ■〈すべて=всё〉(リーザ)を〈十字路〉まで追っていく地下男/ ■地下男とロジオンの類縁性と差異――〈踏み越え〉たロジオンは新たな〈キリスト〉となり得るか――/ ■〈すべて=всё〉を見失った地下男――大いなる〈Так〉の女リーザ――/ ■姿を見せない二人の女/ ■アンチ・ヒーローの全特徴/ ■《生きた生活》から乖離してしまった地下男との異質性/ ■〈淫蕩〉にふける地下男/ ■地下男の後継者ロジオンの〈淫蕩〉/ ■地下男、ロジオン、ドストエフスキーとキリストとの関係/ ■深く分裂したロジオン(〈瀆神者〉か〈狂信者〉か)/ ■ロジオンの革命家としての挫折/ ■『罪と罰』の〈踏み越え〉と現代の〈踏み越え〉――〈斧の振り下ろし〉と〈原爆投下〉(核ミサイル発射)――/ ■議会制民主主義と屋根裏部屋の〈単独者〉/ ■ロジオンの不徹底な〈非凡人思想〉――卑小な非凡人の〈アレ〉/ ■近・現代の〈独裁者〉の〈斧〉とロジオンの〈斧〉/ ■〈思弁〉と〈信仰〉――〈ラザロの復活〉をイエスに問う/ ■人類滅亡の夢と〈理性と意志〉の両義性――ロジオンの描かれざる〈新生活〉と新たな使命――/ ■〈思弁家〉から〈観照家〉へ――第五福音書としての『罪と罰』――/ ■スヴィドリガイロフの〈性愛〉をめぐって/ ■スヴィドリガイロフとソーニャの描かれざる〈性愛場面〉――〈同じ森の獣〉たちの対話――/ ■スヴィドリガイロフの〈奇跡〉/ ■ロジオンを支配する〈突然〉と描かれざる淫売婦ソーニャの実態/ ■ソーニャとキリスト/ ■ケンジ童話における数字の神秘的象徴性(三、六、九、五)とソーニャの部屋(九号室)/ ■〈ラザロの復活〉と聞き耳を立てていた〈立会人〉スヴィドリガイロフ/ ■ソーニャの部屋におけるロジオンの〈死と復活〉の秘儀/ ■ソーニャの住まいを巡る断想/ ■ロジオンがソーニャの部屋を訪ねた時の〈奇妙さ〉――〈何か戸のようなもの〉をめぐって――/ ■ソーニャの〈不安の秘密〉と〈時間の歪曲〉/ ■ソーニャとスヴィドリガイロフの〈秘密の時〉/ ■〈歪なもの〉が置かれた玄関とソーニャの不具的な部屋/ ■自ら罪を犯した〈キリスト〉としてのロジオン――ゲッセマネの〈キリスト〉に関連付けて――/ ■描かれざる日常のディティール ――ソーニャの部屋の間取りから〈トイレ事情〉〈水事情〉をさぐる――/ ■ソーニャの部屋と〈ラザロの復活〉朗読場面――ロジオンの眼差しで捕らえられたソーニャの部屋――/ ■〈この人も、この人も〉を巡って――人称代名詞に要注意――/ ■〈この人=スヴィドリガイロフ〉とソーニャの関係/ ■ソーニャの視る〈幻〉(видение)とスヴィドリガイロフが見る〈幽霊〉(привидение)/

清水正著『ウラ読みドストエフスキー』を読む……坂下将人

ドストエフスキー曼陀羅 目次(伊藤景編)/

 

f:id:shimizumasashi:20201017163459j:plain

D文学研究会刊行著書広告

   清水正への講演依頼、清水正の著作の購読申込、課題レポートなどは下記のメールにご連絡ください。
shimizumasashi20@gmail.com

  清水正の著作はアマゾンまたはヤフオクで購読してください。

https://auctions.yahoo.co.jp/seller/msxyh0208

f:id:shimizumasashi:20181228105220j:plain

清水正ドストエフスキー論全集

 

    ドストエフスキー文学に関心のあるひとはぜひご覧ください。

清水正先生大勤労感謝祭」の記念講演会の録画です。

https://www.youtube.com/watch?v=_a6TPEBWvmw&t=1s

 

www.youtube.com

 

 「池田大作の『人間革命』を語る──ドストエフスキー文学との関連において──」

動画「清水正チャンネル」で観ることができます。3回に分けてありますので是非最後までご覧ください。

https://www.youtube.com/watch?v=bKlpsJTBPhc 

https://www.youtube.com/watch?v=I-qg45NxyKQ

https://www.youtube.com/watch?v=B1grbVxCc0o

f:id:shimizumasashi:20181228105251j:plain

 清水正の著作はアマゾンまたはヤフオクで購読してください。https://auctions.yahoo.co.jp/seller/msxyh0208

 

(人気ブログランキングに参加しています。よろしければクリックお願いします)

これを観ると清水正ドストエフスキー論の神髄の一端がうかがえます。日芸文芸学科の専門科目「文芸批評論」の平成二十七年度の授業より録画したものです。是非ごらんください。

ドストエフスキー『罪と罰』における死と復活のドラマ(2015/11/17)【清水正チャンネル】 - YouTube

 

 https://www.youtube.com/watch?v=KuHtXhOqA5g&t=901s

https://www.youtube.com/watch?v=b7TWOEW1yV4