帯状疱疹後神経痛と共に読むドストエフスキー(連載4) 師匠と弟子

近況報告

先日ヤフオクで落札したドストエフスキー全集が届いた。1895年に刊行されたロシア語版全集。不揃いのため安く出品されていたが、ドストエフスキーの死後刊行された貴重な全集である。誰が今まで保持していたのか、どういう事情で手放すことになったのかはまったくわからない。競争者がいて落札価格はだいぶ跳ね上がったが、来年生誕200年を迎えるドストエフスキーを記念するにあたって入手できたことを喜んでいる。

 

帯状疱疹後神経痛と共に読むドストエフスキー(連載4)

師匠と弟子

清水正

  『罪と罰』の「ラザロの復活」の場面に関して執拗に検証したが、改めてなぜイエスはラザロを復活させたのかを考えてみたい。ラザロは死んですでに四日経っており、死臭を放っている。このラザロがイエスの言葉によって蘇生する。ドストエフスキーは『罪と罰』で「前後未曾有の一大奇跡」と書いている。イエスは死者をも蘇らせる力を多くの人々の前で発揮したのだから、確かにただの人ではない。まさにイエスは自分がただの人ではなく、神に遣わされた独り子であることを証すためにラザロを復活させると自ら口にしていた。要するにイエスは神の子であることを証明するためにラザロ復活をなしたのであり、ラザロのことを考えてのことではない。

 死んで四日も経っていたラザロが自ら蘇生を願ったわけではない。マルタ、マリヤもまたラザロの蘇生をイエスに願ったわけではない。にもかかわらず、なぜイエスは敢えてラザロを黄泉の国から復活させたのか。それはあくまでもイエスが神の子であることを証すためになされた。ヨハネ福音書に書かれた「ラザロの復活」には、蘇生したラザロについてはいっさい照明が与えられていない。ラザロはイエスやマルタ、マリアに向かってどのような言葉を発したのか。蘇生したことに感謝したのか、それとも戸惑っていたのか。読者は何も知ることができない。

 それに一番の問題は、イエスによって復活したラザロとはいえ、また再び死ななければならないということである。わたしはいつも思う。復活したラザロはこの地上の世界において特別な存在となったわけではない。復活したラザロもまた人間であるかぎりは死すべき運命から逃れられなかったということである。イエスの神の子であることを信じて〈永遠の命〉を獲得した信仰者もまた例外なく死すべき存在であるということ、この自然の摂理を前にしてはイエスの奇跡さえ児戯の行為に思えてしまうのではなかろうか。復活したラザロが今なおこの地上世界を生きているというのであれば、イエスが起こした奇跡は奇跡という名に値するかも知れない。が、復活したラザロが今なお生きているなどという話は聞いたことがない。ということは、ラザロは復活してから何年か後には死んだということになろう。復活したラザロに対してすら死は勝利をおさめたということになる。

 復活したラザロが再び死ぬまでいったいどのような生活を送ったのであろうか。復活後のラザロは当然死生観が変わったことだろうし、家族、親族、周囲の者たちの彼に対する接し方も変わったことであろう。復活後のラザロの私生活を題材にして小説を書けば、思いもよらぬ発見があるかもしれない。

 いずれにせよわたしは、今日の超マジシャンたちが繰り広げる驚異的な魔術並の奇跡をイエスが起こしても特別の驚愕も感動もない。なぜイエスは自分が神から遣わされた独り子であることを、奇跡を起こしてまで証明しなければならないのか、まずそのことが疑問である。「ラザロの復活」を起こすイエスは、愛と赦しを体現する人間イエスではなく、天なる神、彼を地上世界に派遣した神の存在を何よりも強調する権威者として振る舞っている。

 それにしてもイエスはラザロを復活させたことで、ラザロを救うことができたのであろうか。自らの生き死にを或る他者の思いのままに支配されること自体が不愉快に思える者にしてみれば、一方的に復活させられることは決して幸福なことではない。イエスによるラザロの復活という奇跡を、ドストエフスキーが『罪と罰』で描いたように両手を挙げて賛美するわけにはいかない。

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帯状疱疹後神経痛と共に読むドストエフスキー(連載3) 師匠と弟子

近況報告

 

退院後の2016年に書いた原稿を読み直している。ひとつは「苦悶と求道の哲人・松原寛を巡る断想」で、これは百枚ぐらいの分量。来年早々刊行予定の『ドストエフスキー曼陀羅──松原寛&ドストエフスキー』 に収録の予定。四年ほど前に書いたものだが、実は書いたことすら失念していた。別にボケているわけではないが、今現在書いている原稿に没頭していると何年か前に書いたものを忘れてしまうのである。いずれにせよ、原稿を読み返すことになると、引用文献に当たらなければならない。つい先日も柳宗悦の『信と美』を探し回ったが見つからず、幸いアマゾンで安く出品されていたので早速申し込んだ。ところが申し込んでしばらくして、この本を発見した。わたしがいつも横になっている正面に書棚があってそこに本が積み重ねてあるのだが、その上にすまし顔で乗っていた。さて、これですめば、わざわざここに書くこともなかったのだが、実は今日の午後十二時過ぎから二時間ほど、小室直樹の『日本人のための宗教原論』を探し続けた。が、一向に姿を現さない。その代わり、ずっと探していた本がひょっこり現れたりした。とにかく探している本が、わたしをからかっているかのように隠れ続けている。部屋は埃まみれになるし、食事もとらなければならないのであきらめることにした。本棚にきちんと整理して置いておけば、本探しに苦労することはないだろうが、今わたしが寝起きしているマンションの一室には本を詰めた段ボールが50箱以上積み上げられ、本棚には二重に本が入れられている。床には本が至る所に積み上げられているので、当然のこととして本探しはいつも手間暇かかることになる。仕方がないので、今回も小室本をヤフオクで入札することにした。入札しながら、「また入札した後に本が見つかったりするんだよな」などと思いながら、タブレットで入力を済ませた直後、まさに一秒もたたないうちに『日本人のための宗教原論』の背表紙が目に入ってきた。予想通り、いったいどうしてこんなことが続くのか、不思議といえば不思議である。気を取り直して『デカメロン』を読んだ。この作品はドストエフスキー文学並みに面白い。

 

帯状疱疹後神経痛と共に読むドストエフスキー(連載3)

師匠と弟子

清水正

 わたしは当時、岩波文庫版『福音書』を読んでいて、イエスの弟子たちに対する苛立ちがよくわかった。わたしは福音書に書かれたイエスと違って奇跡など何一つ起こさなかったが、彼の苛立ちは確かにわたしのものでもあった。イエスは弟子たちを自分で選んでいる。選ばれた弟子たちは、なぜ自分を選んだのかイエスに聞かないし、イエスもまた説明しない。わたしは今までの人生で、私について来なさい、などと誰にも言われたことがないので、イエスに声をかけられた弟子たちの気持ちはわからない。

 それにしても面白いのは、イエスが弟子にした者でイエスを理解している者が一人もいなかったことである。こういったイエスと弟子たちの関係性をわたしはかつて実存の異時性と名付けた。物理的には同一時空間に生きていながら、彼らはイエスと同じステージに立つことができないでいる。もちろんイエスは自分と弟子たちの間にあるこの溝をよく心得てはいる。が、それでもやはり、弟子たちがあまりにもとんちんかんな受け答えしかできないときに、苛立ちを押さえることができないのである。

 マルコ福音書から、とりあえずイエスが起こした奇跡をすべて削除すれば、人間イエスの裸像は鮮明に浮き彫りになる。イエスが起こした奇跡を抜きにして人間イエスを語ることはできないと見なす者もあるだろうが、わたしはいかなる奇跡も起こさない、無力で惨めな人間イエスに関心がある。

 わたしは、「今、ここにわたしが存在していること自体」が奇跡だと思っているので、病人を治したり、一切れのパンを何千人分のパンに変えたりすることを特記すべき奇跡とは思わない。今、スマホで魔術の動画を立ち上げれば、〈奇跡〉は限りなく目にすることができる。自然科学的な知識に則ればまさに奇跡としか思えない不思議が次々と行われている。現代人がこれら数々の〈奇跡〉に驚いても、その驚きの内実は〈奇跡〉そのものに対してというよりも、マジシャンの天才的な才能に対してである。観客の誰もが〈奇跡〉に合理的説明ができることを承知している。もしそうでなければパニックが起きる。マジシャンも観客も、〈奇跡〉の説明可能を前提にしてショーを楽しんでいる。

 イエスはなぜ彼を少しも理解できない者たちを弟子にしたのであろう。否、そもそもなぜイエスは弟子を求めたのであろう。いったいイエスは何をしようとしていたのであろうか。

 

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「雑誌研究」の夏期課題の提出レポート 2

近況報告

「雑誌研究」の夏期課題の提出レポートを何篇か紹介します。

宮沢賢治の童話「どんぐりと山猫」の主人公の名前が「かねた一郎」とひらがな・漢字表記になっている理由について書きなさい。わたしの考えは指定テキスト「宮沢賢治・童話のエロス」の中で触れていますが、それを踏まえながら独自の考えをまとめてください。

  大原梢太(デザイン学科3年)

  まず僕はこの「どんぐりと山猫」を読んで、一郎の少年像を大きく誤解していたことが分かりました。最初に読んでいる時、僕は一郎という少年はとても邪気の無い純粋な性格だと思い込んでいて、挙げ句の果てに引っ込み思案で自信が無い子であるといった妄想さえも膨らませていました。ですが先生の著書の「宮沢賢治 童話のエロス 謎とき『どんぐりと山猫』」を読んで、一郎に抱いていたそれまでの印象が一変しました。物語の中で何となく有耶無耶にしていた違和感を覚えていた箇所、例えば場所の記載が無いにも関わらず迷ったり不安になることなく道を突き進んでいく一郎の姿は、確かに物凄い自信家という性格を窺うことができます。自分の読みの浅さを痛感するのと同時に、宮沢賢治の童話の奥深さも知ることができました。ただの童話であるという色眼鏡のようなものを一度完全に外して、今一度この物語を読み込んでみようと思いました。そしてそのような前提の上で、もう一回この「かねた一郎」という名前を見てみると、様々な印象や捉え方が浮かんできました。それを今から述べていきます。

  まず「一郎」だけが漢字で表記されている理由としては、宮沢賢治がこの物語を深く読み取る際のヒントを読者に投げかけているからだと僕は考えました。一郎という名前は、この漢字の表記も含めて日本ではとても一般的な名前であり、物語の登場人物の名前としては悪く言うとありきたりすぎて、普通に読み進めていく上ではそこまで深い意味が込められているとは到底思わないでしょう。実際僕も名前の由来や隠された意味なども考えることなく、「一郎」という名前をそのまま受け入れていました。ですが今回は、なぜこの名前なのか一度立ち止まってよく考えてみました。 「一郎」という文字から連想されることと言えば、やはり「長男」という存在でしょう。これは一番最初に生まれた子であり、将来的には家業を継がせたり、出世を望まれるような立ち位置となります。また、両親からの愛を一番最初に注がれる子供という捉え方もできます。そしてもしも後に次男や次女が生まれた場合には、「兄」という存在にも変わります。弟や妹よりも力を持っていて、長男としての自信もそこに加わることによって家庭内で威張ったりすることもできるかもしれません。このように「いちろう」という名前が「一」と「郎」による漢字表記であるのは、一郎が自信たっぷりの子供であることを裏付けをするためではないかと僕は考えました。そしてこの「一郎」という単語を分解してみると「一」と「郎」になります。これも「最初の数」と「男の子であること」を意味する漢字で成り立っていて 、「いちろう」という名前の漢字表記が、「市郎」や「一朗」では絶対に駄目で「一郎」である必要性を感じさせています。また、「一番の男になる」ともこの漢字表記から読み取ることができ、一人の男性として成熟していってほしいというような願望もこの名前には込められています。なぜこの「一郎」だけがきちんとした漢字表記なのかは、ひらがなの「いちろう」表記にしてしまうと明確な「一番の男」という力強いイメージを読者に投げかけることが難しくなってしまうからではないかと思いました。一郎は後に、どんぐり達の誰が一番偉いのか、力を持っているのかという裁判においても非常に自信満々な態度を取っています。それもまたこの「一郎」という漢字の雰囲気から読み取ることができます。彼は自分が長男であり、一番の男であるということを冠した名前を持っていることを自覚しているのです。それは下手をすれば奢りとも取れるような姿勢です。

  また、僕はこの「かねた」がひらがな表記であることについての、先生が著書で記されていた「様々な役割を兼ねたものだから」という批評にはとても共感しました。それを踏まえた上で僕個人としては、この「かねた」の部分には「子供と大人」の境界を兼ねているという意味も含まれているように感じました。この「子供と大人」の内容については、性的な成熟といった意味もあるのですが、僕の中では子供と大人の狭間にある「思春期のような葛藤」のイメージを連想しました。それは著書で触れられていたようにどんぐり達の裁判の前、山猫と奇怪な男との内面的な勝負に逃げてしまったところに現れています。ここでは、今後年齢を重ねていく中で自立しないといけない、 「一郎」という名前だから一人の男として成長しないといけないけれど、まだ子供として大人に甘えていたいような一郎の想いを感じました。そしてそれは威勢だけが一丁前になっていて、まだ中身が伴っていない思春期の青年の姿を思い起こさせます 。長男として家庭内では一番だけど社会に出るとちっぽけだったり、一人目に生まれた息子であると同時に一番の男になることを望まれているといった二つの存在を一郎は兼ねているのではないでしょうか。子供と大人の境目にあるその複雑な心境、大人と子供の二つの存在を兼ねているということもこの「かねた」という表記に込められているのではないかと僕は考えました。「一郎」という名前は長男を連想させ、将来は立派な大人になることを望まれる存在へなっていきます。ですが一郎は山猫と奇怪な男との闘いを避けて、父性を獲得して一人前の成熟した男になることから逃げています。長男としての自信があるけれど自立することができない、大人になりきれない子供という印象をこの名前から読み取りました。

 

 

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帯状疱疹後神経痛と共に読むドストエフスキー(連載2) 師匠と弟子

近況報告

毎日のように動画を観ているが、ここ五、六年観続けているのが桜井誠氏(日本第一党党首)と安濃豊氏(アジア解放戦争史観を主張)の配信している動画。両氏ともに自らの思想にブレがない。桜井氏は今回の都知事選にも立候補したが、氏をいっさい放映しないテレビメディアに対して妥協のない闘いを宣言した。この動画は 「雑誌研究」受講者にも観てもらい感想を寄せてもらったが、誰も桜井氏の存在を知らなかった。若い世代がテレビを観ないといっても、無限に配信されている動画から観るべきものを選択するのはきわめて困難ということも痛感した。国のトップの明確な国家ビジョンがまったく見えてこない。政財界のトップも同じである。冗談でなく、今、もっとも自分のビジョンを明確に示し、決断力を発揮しているのはユーチューバーのヒカル氏である。彼はまだ29歳と若い。彼が大いなるビジョンのもとに政財界でも成長してもらいたいと思う。 八月に入って予約しておいたロコンドの靴、白と黒の二種が届いた。わたしはヒカル氏の男気に惚れているので、彼の企画にはささやかながら応援させてもらっている。

 

帯状疱疹後神経痛と共に読むドストエフスキー(連載2)

師匠と弟子

清水正

 わたしは母校に残ったが、指導教授との折り合いが悪くなり、窓際に追い込まれ、いっさいの仕事をしてはならないと申し渡された。そこでわたしは学生の何人かとドストエフスキーの読書会を開くことにした。

 わたしのような人間を職場において干すということは土台無理である。そもそもわたしは大学に残ったその時に、学科事務室の奥に陣取り、衝立で囲んで閉じこもった。最低限の学科事務はこなしたが、そんな雑務を仕事と思ったことはない。わたしは当時副手だったが、副手は「教授、助教授の命を受けて研究に勤しめ」ということであった。わたしはそれに忠実であったにすぎない。雑務から解放されて好きなことができるのだから、こんな好都合なことはない。それにしても、せこい〈いじめ〉であったことにはちがいない。

 読書会は毎週土曜日の午後と決めてはいたが、すぐに場所は江古田や池袋の居酒屋へと移った。当時、毎日のように通ったのが池袋にあった玉淀という居酒屋であった。大阪の大学を卒業して日芸文芸学科に入った浜田章が師範代、京都大学を二度受験して失敗した田代貴敬(灘玄海)が清水正全集刊行委員長、早稲田大学から編入学してきた南保雅樹は幹部、坂口安吾が好きでデカダンを気取っていた小島良孝が一番弟子。ほかにも弟子はつくったが、この四人が当時、わたしの側にいた弟子である。彼らはわたしが直接、弟子にした者たちであって、彼らの意向などいっさい聞いたことはない。あくまでもわたしが一方的に弟子にしたのであって、彼らはわたしについてきたが、腹の中でなにを思っていたかはまた別問題である。 

 居酒屋で酒を飲んでいるうちに、雑誌を作ることになった。ドストエフスキーに関するもので、テーマは自由にしたが、南保には「マルクスドストエフスキー」というテーマを与えた。枚数は彼に限って百枚。締め切りは夏休み終了後。約束を守ったのは浜田、田代、小島。南保は書けなかったと言ってきた。一週間の余裕を与えた。もしできなかった場合は二度とわたしの前に顔を出さないようにと申し渡した。一週間後、南保は七十枚の原稿を持参した。こうして「ドストエフスキー狂騒曲」創刊号は刊行された。印刷製本費用は同人各自がアルバイトで稼ぎ出した。

 さて、一人だけ、読書会には参加していたが雑誌には参加しなかった者がいた。彼は何度、アパートに電話しても出なかった。彼はわたしの前から姿を消した。雑誌が何号か出た頃、彼から一通のはがきが届いた。彼はわたしたちの動向をずっと陰からのぞいていたらしい。

 一週間に五日も六日も一緒に酒を飲み、文学の話などしていると、どういうわけかいちいち会う場所など確認しなくても、偶然会うことが多くなる。田代と神田の古本屋を歩いていると、反対側の道路を小島が歩いていたりする。単なる偶然とは言えないようなことが重なる。

 

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「雑誌研究」の夏期課題の提出レポート 1

近況報告

「雑誌研究」の夏期課題の提出レポートを何篇か紹介します。

宮沢賢治の童話「どんぐりと山猫」の主人公の名前が「かねた一郎」とひらがな・漢字表記になっている理由について書きなさい。わたしの考えは指定テキスト「宮沢賢治・童話のエロス」の中で触れていますが、それを踏まえながら独自の考えをまとめてください。

 

山本美佳 (演劇学科3年)

 

  なぜ「かねた一郎」なのだろうと読んでいて、山猫たちは事前に一郎を知っていたから手紙を出せたわけですが「いちろう」と呼ばれているのも承知で、おそらく長男でしょうから山猫たちも「一郎」と予想できたけれど「かねた」はどの漢字が分からなくて書けなかったかもしれないと考えました。もしそうだとすると一方的に木や森と戯れ、夕暮れに一人で帰路につく一郎を見ている森の仲間という世界が大きく広がります。いちろう、と親や先生や級友に呼ばれているのを聞いたのか、それとも落とし物を拾ったときに名前を知ったのか、いずれにせよいつも近くにいたのです。

暗くなりつつある道を一人で歩く一郎という構図から、それをこっそりと見守っているのか、何かしらの理由で姿を見せることができないのか、それでも会ったことはないがお互いを知っている関係かもしれないと、名前の表記から想像しました。

「いとをかし」は素晴らしい、おもしろいという意味がありますが「をかし」なはがきに力を込めて「墨すみもがさがさして指につくくらい」の字で書かれた自分だけに送られた自分あての手紙に少年の嬉しさがうかがえます。

  そして、「かねた」が兼ねたではないかという考察は先生と一致していました。

何かを兼ねている、何を兼ねているのか考えてみると、前期のレポートにも同じようなことを書きましたが、ね床にもぐってからも眠らない一郎は、遠足に行く前日の子供なら「寝たいのに眠れない」ことがよくあるように思えまが、一郎は自分の意志で「眠らない子」なのです。一郎ははがきを見つけてからずっと明日のことや山ねこのことを考えているけれど家にはおそらく生活があり、食事の手伝いやお風呂を沸かしたりと邪魔がはいるような生活の中で一郎が自分自身のアイデンティティを保てるのは様々なしがらみから抜け出してね床にもぐった時だけだと推測できます。

 さらに他者と自己の間で社会性を学び世界と融合することを覚えますが、それに失敗しているこどもはしばしば自分の世界に閉じこもり自分だけが理解できる妄想や自然とのふれあいで世界とつながってゆくものです。薄暗い夕方、明かりもなく孤独感の増す夕暮れの中で山に囲まれた家へ一郎が背中をまるめてつまらなさそうに帰ってきたところにおかしなはがき、そしてそれは自分の名前がかかれた自分へ向けられたもので字がまるでへたなのをみるとどうやら畏まった大人でも級友の字でもないようだと察し、手に取ってみると墨もがさがさして指につくことからさっきまで手紙の筆者がここにいたという気配も感じられ、選ばれたことへの嬉しさがこみ上げます。このリアクションで承認欲求が満たされ、アイデンティティクライシスには自信の承認が必須なので「金田家の長男」という生まれ持った縛りから「一郎少年」になれたのです。

そしてそれが「かねた」という一族の中の「一郎」という個人がこれから裁判にかかわっていく、という表現だと感じました。

一郎は孤独な少年で、空想の中で生きてます。もし、社会性を持っていれば手紙が届くことも届いたものを飛んだり跳ねたりして喜ぶこともないのです。山猫たちが一郎を知っていたのもよく森で一人遊びをしていたのを知っていたからではないのでしょうか。彼にとってのアイデンティティは自分の中の世界を充実させることで「かねた家」の繁栄や学校に所属してることではなくあくまでも超個人的なことを大切にしている子です。

  また、宮沢賢治の作品には自分を主人公だと思っている主人公が多いように思えます。例えば注文の多い料理店では狩りを楽しんで動物を殺していた自分たちが今度は自分たちが殺されるとは思っておらず。黄色のとまとの兄弟はまさか自分たちのすばらしい金のトマトが投げつけられるとは思っていないです。人間は都合の良いように考えるものだという賢治の「驕り高ぶるなよ」というメッセージが見え隠れしていることから、一郎も裁判する側とされる側が兼ねられている存在でその意味を込めて「かねた」なのかもしれないと読みました。

  自力で読み取る場合、論じられているエロスの部分は正直よくわからないのですが、人間の本質的なところや愚かなところを突き詰めるとエロスであり神の領域へと侵入するような作品に自然となっていくように思えます。高校の時に戯曲創作の授業があったのですが、色々と作るのが難しいので関係性をふわっと書いていたら「人間をちゃんと描くときはエロスや動物的で本能的なところを書け」と怒られました。ほかのすぐれた作品や、先生の本を読むと必ずそのような表現が出てくるので一見かわいらしい童話でも注意が必要だということがよくわかりました。 

 

 

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ドストエフスキー『罪と罰』における死と復活のドラマ(2015/11/17)【清水正チャンネル】 - YouTube

帯状疱疹後神経痛と共に読むドストエフスキー(連載1)師匠と弟子

近況報告

8月30日締め切りの「雑誌研究」の課題レポートを読んでいる。中には多くのひとに紹介したい面白いレポートもあるので、承認が得られれば本ブログでも載せていきたいと思う。前期授業は一回の面談授業もなく終わったが、レポートの質は例年とかわりない。本を読んだり書く作業は今の自粛生活の方が好都合ということであろうか。受講生の顔を見ず、声も聞かずのオンライン授業はさびしい限りだが、今、わたしたちは否応もなく新しい時代を迎えているのだろう。この時代に積極的に肯定的に向き合うこと、そうすることで少しでも元気になるほかはない。

先日、約束した通り、今日から退院後に執筆した原稿を連載することにする。

 

帯状疱疹後神経痛と共に読むドストエフスキー(連載1)

師匠と弟子

 清水正

 林芙美子の『浮雲』論を書き進めいていくうちに、『罪と罰』の「ラザロの復活」の場面に行き着いた。入院したその日(2015年12月7日)から2016年1月15日まで、徹底して「ラザロの復活」場面を検証することにした。一段落したのですぐに松原寛論にとりかかり、これは退院(2016年2月29日)までに一応書き上げた。

 「水泡性類天疱瘡」(2015年12月14日に診断)の治療中に「帯状疱疹」(2016年1月15日)に襲われ、恐れていた帯状疱疹後神経痛になってしまった。以降、痛みの質は違うが毎日続いている。最初は左脇部から腹部にかけて電流が走るような痛み、それから肉を強く握られているような痛みが五、六秒置きに続き、五ヶ月たった今はしょっちゅう痛みが襲っている。入院中も退院後も、この痛みと共にあって原稿を書き続けている。まるで十字架を背負ってゴルゴタの丘を歩んでいるような気分である。

 「ラザロの復活」をさらに検証するためにも、まずはマルコ福音書を批評しようかと思った。ドストエフスキーの作品を批評する仕方でマルコ福音書を読んでみようと思ったのである。

 なぜイエスは死んで四日も経ったラザロを復活させたのか。わたしは「ラザロの復活」の場面を読むたびに素朴な疑問を抱かずにはいられない。一つはなぜイエスは奇跡を起こすのか、である。ドストエフスキーは『白痴』の主人公ムイシュキンを〈真実美しい人間〉として造形した。つまりムイシュキンは十九世紀ロシアに降臨したキリストと見なすことができる。ムイシュキンは作中において何一つ奇跡を起こしていない。十七歳のイッポリートは、医師から余命二週間と告知される。ムイシュキンはこのイッポリートの病を癒すことはできない。ナスターシャ・フィリッポヴナの悲しみと苦悩を直観的に知ることはできても、彼女がロゴージンの刃に倒れる、その悲劇を阻止することもできない。いわば、ムイシュキンは純粋無垢な心を持った余計者、道化としてペテルブルクにやって来ただけで、畢竟、誰一人救うことはできなかった。

 四福音書のうち、わたしはまず「マルコ福音書」を丁寧に読み進んでいこうと思う。マルコでわたしの注意を最初に引いたのは

 

  ガリラヤ湖のほとりを通られると、シモンとシモンの兄弟アンデレが湖で網を打っているのをご覧になった。彼らは漁師であった。

  イエスは彼らに言われた。「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしてあげよう。」

  すると、すぐに、彼らは網を捨て置いて従った。

  また少し行かれると、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネをご覧になった。彼らも舟の中で網を繕っていた。

  すぐに、イエスがお呼びになった。すると彼らは父ゼベダイを雇い人たちといっしょに舟に残して、イエスについて行った。(59~60)(引用は特に断らない限り『聖書』1987年3月1日2版10刷 翻訳 新改訳聖書刊行会 発行 日本聖書刊行会)である。

 

  わたしが初めてこの場面を読んで面白いと思ったのは、イエスに声をかけられたシモン、アンデレ、ヤコブヨハネの四人がなんのためらいもなく、イエスの言葉に従っていることであった。いったい、彼らはイエスを知っていたのか、それともこの日が初対面であったのか。彼らはイエスに向かって何も質問しなかったのか。マルコの記事は簡潔であり、いっさい余計なことは書いていない。読者はここに書かれた事実のみを受け止めるしかない。

 イエスの言葉には、有無を言わせぬ人智を超えた力が備わっており、イエスに命じられた者はそれに従うほかはなかったということであろうか。

 夏目漱石の門下で最もドストエフスキーに心酔していた森田草平は、人間には生まれつき師匠になるタイプと弟子になるタイプがいるということをどこかで書いていた。わたしは今まで生きてきて、だれかについて勉強しようとか教えを乞おうとか思ったことは一度もない。二十の頃、ロシア文学者の小沼文彦が主宰していた日本ドストエフスキー協会資料センターに出入りしていたが、別に小沼氏に師事するという気持ちはまったくなかった。そこでドストエフスキーに関してさまざまな話が展開されたが、主に話していたのはわたしであって、ことドストエフスキーに関して小沼氏から影響を受けたことはない。ただし、小沼氏がロシアで抑留されていた時の話や、先輩ロシア文学者たちの人間くさい生々しい話は抜群に面白く、今でも鮮明に記憶している。

 

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『清水正・ドストエフスキー論全集』の第11巻の刊行案内

近況報告

ブログの更新は実に一か月半ぶりである。とにかく日のたつのが早いので恐ろしいような感じである。一日の大半を横になって動画を観たり、本を読んだり、ポメラで原稿執筆したりしている。25日は二か月ぶりに日大病院皮膚科に診察のために東京へ出かけた。我孫子から新御茶ノ水まで往復して、マスクをしていないひとは二人だけであった。日本人の性格がよく出ていると思わずにはいられなかった。コロラウイルスよりはるかにテレビウイルスの方が怖いとも思った。

来年2021年はドストエフスキー生誕200年日本大学芸術学部創設100年ということで、わたしも清水正ドストエフスキー論全集』の第11巻の刊行を予定している。これはもう三年も前から企画していたが、神経痛のために校正などが手間取って遅れに遅れてしまった。それでドストエフスキー生誕200記念ということで来年刊行としたのである。と言っても、未だに校正を終えていない。相変わらず引用文献を探すのにひと苦労したりしている。さらにもう一つ、ドストエフスキー曼陀羅──松原寛&ドストエフスキー──』を企画している。『ドストエフスキー曼陀羅』はわたしが担当する文芸学科専門科目「雑誌研究」の機関誌として現在9号まで刊行している。印刷製本費は大学から支払われていた。ところが今年度はコロラ騒動で対面授業は未だ開始されず、予算削減の措置がとられて学内誌の予算は従来通りには支給されないことになった。そこで今回の『ドストエフスキー曼陀羅』はわたしの主宰するD文学研究会から刊行することにした。できれば定価もつけて市販することにしたい。

 ということで、わたしは毎日両著の校正と原稿執筆に追われている。

 今わたしが執筆しているのは『罪と罰』論で、書けば書くほど面白い展開となっている。言うまでもなく、いつ終わるかわからない。『ドストエフスキー曼陀羅──松原寛&ドストエフスキー』にも400枚近くの『罪と罰』論を載せるが、今書いているのはその続編である。

 さらに今わたしがしているのは退院後から書き始めた原稿の見直し作業である。2016年の6月から書き始めた「帯状疱疹後神経痛と共に読むドストエフスキー 師匠と弟子」も今日で100枚分は読み終えたので、このブログで明日から連載することにしたいと思っている。

 

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