「中田敦彦のYou Tube大学」を発見。「銀河鉄道の夜」の名解説。

中田敦彦You Tube大学」を発見。「銀河鉄道の夜」の名解説。

https://www.youtube.com/watch?v=vi784xrdH5w

本日、「中田敦彦You Tube大学」を発見した。宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」の解説前編後編を観たが、なかなか面白かった。前期「雑誌研究」では賢治の「オツベルと象」「どんぐりと山猫」などを講義したが、夏休み明けではすぐに「銀河鉄道の夜」を取り上げる予定である。受講生はぜひこの中田氏の解説を観ておいてほしい。

文学の交差点(連載41)■テキストの多様性を踏まえた上で〈解釈〉の坩堝を遊泳する

 

池田大作の『人間革命』を語る──ドストエフスキー文学との関連において──」

動画「清水正チャンネル」で観ることができます。

https://www.youtube.com/watch?v=bKlpsJTBPhc

 

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清水正の著作はアマゾンまたはヤフオクhttps://auctions.yahoo.co.jp/seller/msxyh0208で購読してください。 https://auctions.yahoo.co.jp/seller/msxyh0208 日芸生は江古田校舎購買部・丸善で入手出来ます。

 

清水正への講演依頼、清水正の著作の購読申込、課題レポートなどは下記のメールにご連絡ください。
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これを観ると清水正ドストエフスキー論の神髄の一端がうかがえます。日芸文芸学科の専門科目「文芸批評論」の平成二十七年度の授業より録画したものです。是非ごらんください。

ドストエフスキー『罪と罰』における死と復活のドラマ(2015/11/17)【清水正チャンネル】 - YouTube

文学の交差点(連載41)

清水正

■テキストの多様性を踏まえた上で〈解釈〉の坩堝を遊泳する 

    わたしは今回、『源氏物語』における〈描かれざる場面〉(「輝く日の宮」)に注目し、ドストエフスキーの文学作品、特に『罪と罰』における〈描かれざる場面〉に改めて照明を当てようと思った。すでに『罪と罰』に関しては膨大な批評を展開しているので重複するのを承知の上で考察を進めている。今まで指摘したことを簡単にまとめれば、『罪と罰』において〈描かれざる場面〉は非常に多い。 題名の〈преступление и наказание)の〈преступление〉(内田魯庵は英訳〈crime〉を〈罪〉と日本語訳した)は本来〈犯罪〉(踏み越え)を意味する。ドストエフスキーは主人公ロジオンの〈踏み越え〉(高利貸しアリョーナ及びリザヴェータ殺し)に関しては、実に丁寧にリアルに描いた。が、ソーニャの〈踏み越え〉に関しては、まさに分かる人にしか分からないような巧妙な暗示的象徴的な描法を駆使している。このドストエフスキーの描法が理解できなければ、読者はマルメラードフの告白の表層をそのままなぞるほかはない。イワン閣下は慈悲深い〈生神様〉として受け入れられ、イワン閣下の名と父称をひっくり返しただけの商人アファナーシイもまたプリヘーリヤが書いたように〈いい人〉として理解されてしまう。

 ソーニャの〈踏み越え〉は直接的にリアルに描かれることはなかったので、百年以上にわたってその実態は闇のなかに据え置かれたままであった。しかしソーニャの〈踏み越え〉の実態が分かれば、マルメラードフの告白の中に潜められたロジオンの母親プリヘーリヤの〈踏み越え〉(プリヘーリヤとアファナーシイの肉体関係)の実態も浮かびあがってくることになる。すでに〈踏み越え〉(愛も尊敬もないマルメラードフのプロポーズを受けたこと)ていたカチェリーナがソーニャに〈踏み越え〉を強要していたように、すでに〈踏み越え〉ていたプリヘーリヤが娘ドゥーニャに〈踏み越え〉(愛も尊敬もないルージンとの結婚)を要請したということになる。

 母からの長い手紙を読んだロジオンが、はたしてブリヘーリヤの〈踏み越え〉の秘密を覚ることができたかどうか。表層テキストを読む限り、こういった微妙な点に関してはロジオンは知らん振りを決め込んでいる。作者が秘密にしていることを人物がばらすことはない。これは別にドストエフスキーに限ったことではない。 

文学の交差点(連載40)■描かないことで描く手法

 

池田大作の『人間革命』を語る──ドストエフスキー文学との関連において──」

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ドストエフスキー『罪と罰』における死と復活のドラマ(2015/11/17)【清水正チャンネル】 - YouTube

文学の交差点(連載40)

清水正

■描かないことで描く手法

 小説を読むという行為は、もちろん読む対象であるテキストが存在しなければならないが、テキストが存在していても読む者がいなければ存在しないも同然である。さらにテキストは読者の数だけの感想や解釈によって作品化される。またわたしのように何度も何十回も同じ小説(たとえば『罪と罰』)を読む読者にとっては、その〈解釈〉も多様であり、常に変容していく。

 二十歳の頃、わたしは『罪と罰』を読んでソーニャの淫売稼業の実態になぞまったく関心がなかった。ソーニャはあくまでも信仰者、ロジオンに圧倒的な影響力を備えた純潔無垢な聖女として存在していた。ロジオンは実際に二人の女性を斧で叩き殺した残虐非情な殺人者であるにも関わらず、人類の全苦悩の前にひれ伏す純粋な求道者的青年と見なしていた。二十歳のわたしはロジオンを冷静に客観的に見て、彼の卑劣漢の側面を徹底的に暴くような視点は持ち合わせていなかった。当時のわたしはロジオンに親近性を感じていた、というより「ロジオンはわたしだ」ぐらいの一体感を持っていた。ところが、それから半世紀、今のわたしはロジオンにそれほど親近性を抱かなくなった。というよりか、ロジオンとの異質性をますます強く感じるようになった。

文学の交差点(連載39)○描かれないこと

 

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文学の交差点(連載39)

清水正

○描かれないこと──実生活の細部

罪と罰』を何十年にわたって読み続けていても、分からないことが多い。余りにも形而上学的次元で読んでしまうので、ロジオンの犯罪哲学や非凡人思想、思弁と信仰の問題などについて考えてしまう。ところが、ロジオンやソーニャの実生活の細部についてはほとんどなにも知らないことに気づいて唖然とする。

 ドストエフスキーは『罪と罰』においてロジオンの十三日間に関してかなり詳しく現在進行形でカメラを作動させている。読者はロジオンの住んでいる場所、行動および心理状態に関して逐一報告される。どのようにして老婆アリョーナとリザヴェータを斧で殺害したか。盗んだ金品をどこに隠したか。主要人物であるアリョーナ婆さん、マルメラードフ、ラズミーヒン、ソーニャ、スヴィドリガイロフ、ポルフィーリイ予審判事、ザメートフ、女中ナターシャ、イリヤ・ペトローヴィチ警察副所長、ニコジム・フォミッチ警察所長、ルージン、レベジャートニコフなどと、どこでどのような会話を交わしたか。読者はこれらを読んでたいていのことは描かれていると思いこんでしまう。

 わたしが最もショックを感じたのは、娼婦ソーニャはいったいどのような下着を身につけていたのだろうか、と考えた時であった。ドストエフスキーはロジオンやソーニャの身につけている服装に関してかなり丁寧に記しているといってもいい。が、下着に関してはいっさい触れていない。ソーニャの淫売稼業の実態に関してと同様に、当時の女性が身につけていた(あるいは、身につけていなかった)下着に関しては想像するしかない。

 ロジオンの食事に関しては多少記されているが、洗面、トイレに関しては全く記されていない。ロジオンは起きて顔を洗ったり歯を磨いたりしたのか。トイレはどうだったのか。描かれた限りで読めば、ロジオンは一回も顔を洗っていないし、トイレにも行っていない。十三日間、ロジオンは大小便の一回もしていないことになる。ふつうに考えればこんなことはあり得ないので、あえて作者はそういったことを記さなかったということになろう。が、人間を総体的に理解しようとすれば、一見些末に思われるかもしれない洗面、トイレを軽視することはできないだろう。

 わたしはドストエフスキーを憑かれるように読んでいた二十歳前後の頃、食事はほとんどできなかったし、神経性の慢性下痢症状に悩まされていた。朝昼晩しっかりご飯を食べ、七、八時間ぐっすり眠り、心身ともに健康状態でドストエフスキーを読むなどということはまったく考えられなかった。だからロジオンが食事に関して特別の関心を示していないことはよく理解できる。が、便秘なのか下痢なのか、作者が触れていないので分かりようがない。

 そもそもロジオンはプラスコーヴィヤの屋根裏部屋に下宿していたわけだが、このアパートの何処に、どのようなトイレがあったのかが分からない。わたしは四十年前、初めて『罪と罰』の舞台となったペテルブルクを訪ねたが、駅近くの公衆トイレに入って驚いた。大便するところに扉はなく、尻をふく紙など置いてなかった。空港のトイレに紙は置いてあったが、それは藁半紙のように堅くてとうていデリケートな尻の持ち主に使えるものではなかった。

 いずれにしても、読者は淫売婦ソーニャが身につけていた下着も分からない、買春の値段も分からない、避妊や病気対策も分からない、妊娠した場合の処置(堕胎)も分からない。ついでに言えば、しょっちゅう孕んでいたというリザヴェータに堕胎や流産の経験があったのかなかったのか、いったい何人の子供がいて、その子供たちはどこでどのように育てられていたのか、まったく分からない。作者はロジオンの妹ドゥーニャがスヴィドリガイロフ家の家庭教師として雇われていたことを記しているが、肝心の子供たちに関してはいっさい報告しない。作者が、子供たちの肖像が読者に分かるように描いているのはカチェリーナの連れ子三人だけである。カペルナウモフ夫妻の子供も人数が記されているだけで、その具体的な肖像は描かれていない。

立花孝志氏の動画が今一番面白い。現代版『罪と罰』連日発信。

立花孝志氏の動画が今一番面白い。現代版『罪と罰』連日発信。

https://www.youtube.com/watch?v=XG8O8TQcozw&t=966s

大学は夏休み。毎日マンションの一室に閉じこもりの生活。現在ドストエフスキーの『罪と罰』について批評を飽きもせず展開しているが、執筆時以外はたいてい神経痛のため横になって動画を観ている。戦勝・亜細亜解放史観の安濃豊氏、日本第一党党首で東京都知事選に出馬宣言した桜井誠氏、チャンネル桜、その他人気ユーチューバーのヒカル、ラファエルなど観ているが、今一番面白いのはN国党党首の立花孝志氏である。現在チャンネル登録者41万、毎日1万以上の数をあげている。まさに驚異的な現象で、メンタリストのダイゴの分析も鋭く面白い。まさに変革の時代を迎えている感じがする。わたしは十数年前からテレビは見ないし、新聞も読んでいない。観るのはもっぱら動画であり、ネットニュースである。

わたしは立花氏のNHK電通批判を現代版『罪と罰』として毎日楽しく観ている。立花氏の情熱的な行動力、権力に立ち向かうその真摯な姿勢、親しみやすい人柄はもとより、熱い語り口は観る者を引き付ける魔力を備えている。おそらく中高年者はもとより中高生にも人気があって、今後政治に関心を持つ若者がますます増えてくるだろう。立花氏の多くの人が関心を寄せずにはおれない戦略的な活動によって政治は今、新たな舞台を獲得しつつある。へたな小説をよむよりはるかに面白い。

 興味のある方は下記をクリックしてください。

 https://www.youtube.com/watch?v=XG8O8TQcozw&t=966s

文学の交差点(連載38)○ロジオンの性愛

 

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文学の交差点(連載38)

清水正

○ロジオンの性愛

 ここでロジオンの性愛について考えてみよう。ロジオンが故郷ザライスク時代に恋愛経験があったのかどうか。ふつうに考えれば、二十歳になるまでに好きになった女性の二人や三人あってもおかしくはないが、作者はいっさい触れない。美少年ロジオンに恋心を抱いていた娘がいてもなんら不思議はないのだが、作者は『罪と罰』においてロジオンの〈恋愛〉に特別の照明を当てる気持ちはなかったのだろう。

 ロジオンの女関係が作中で初めて触れられるのは、下宿の娘ナターリヤとの婚約に関してである。ナターリヤは不具者(ウロート=урод)として設定されているが、ロシアにおいて〈урод〉は単なる不具者、片輪者、醜女ではなく内に聖性を賦与された者として受け止められていた。ソーニャも痩せて蒼白い華奢な少女であり、ロジオンはこういったウロート的な女性に惹かれる傾向を持っていた。

 さて、ロジオンとナターリヤにおける性愛の実態はどうであったのだろうか。二人は〈婚約〉していたのであるから、性愛的関係があったと見てもよいが、作者はここでもいっさい触れない。ナターリヤは物語が始まる一年前に当時流行していた腸チフスにかかって死んでしまう。婚約者ナターリヤを失った後、ロジオンは自らの性欲をどのように処理していたのだろうか。『罪と罰』にはドゥクリーダといった酒場の女が登場するが、ロジオンはこういった女たちや娼婦との関係はまったくなかったのだろうか。ロジオンがペテルブルクに単身上京してきてから首都での生活も三年になる。それでなくても誘惑の多い都会で、婚約者を失った若者が一年ものあいだ潔癖な生活を送っていけたのだろうか。

罪と罰』を形而下的次元にカメラを据えて改めて読み直して見れば、主人公ロジオンに限ってみても分からないことばかりである。ロジオンが女性相手に性欲を処理していなかったとすれば、とうぜん彼は自慰行為をしていたことになる。屋根裏部屋の空想家は崇高な思想にのみ頭を使っていたのではなく、女性に対するはげしい妄想にも駆られていたであろう。

    読者は『罪と罰』の描かれざる性愛場面に想像力を働かせることで、人物を観念と肉体を備えた総合的な人間としてとらえることができるようになる。 今までのドストエフスキーの読者は、人物たちを余りにも観念的、宗教的な次元でのみとらえようとしてきたのではなかろうか。屋根裏部屋のソファーで自慰行為にふけっているロジオンが、同時に「本当に、おれにアレができるのだろうか?」と考えているのだ。わたしは今回性愛文学の古典とも言える『源氏物語』を絡めることで、ドストエフスキー文学の主要人物の観念と肉体、その両方を視野に入れて徹底的に読み直そうと思っている。

文学の交差点(連載37)○省略された性愛場面

 

池田大作の『人間革命』を語る──ドストエフスキー文学との関連において──」

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これを観ると清水正ドストエフスキー論の神髄の一端がうかがえます。日芸文芸学科の専門科目「文芸批評論」の平成二十七年度の授業より録画したものです。是非ごらんください。

ドストエフスキー『罪と罰』における死と復活のドラマ(2015/11/17)【清水正チャンネル】 - YouTube

文学の交差点(連載37)

清水正

○省略された性愛場面

 先に指摘したように『罪と罰』には性愛描写がない。当時、性愛描写はどの程度許されていたのか。これは実際にどのような作家が、どのような〈性愛描写〉を検閲によって発表禁止になったのかを検証する必要があろう。が、こういった実証的研究はそれにふさわしい研究者にまかせて、わたしは『罪と罰』における描かれざる性愛描写を確認しておきたいと思う。

 ソーニャとイワン閣下の性的関係、ソーニャの淫売行為の数々、それに加えて問題となるのがソーニャとロジオンの性愛関係である。この点に関しては別のところで詳しく言及したのでここでは簡単に記す。ロジオンは第八日目、ソーニャに「ラザロの復活」を読んでもらった翌日の〈第九日目〉に再びソーニャ宅を訪れアリョーナ、リザヴェータ殺しの犯人を一種独特の仕方で〈打ち明ける〉(открыть)。 〈открыть〉は多くの訳者が〈告白する〉と訳しているが、ロジオンは〈犯罪〉(преступление)を打ち明けただけで、この行為に〈罪〉(грех)を感じておらず、従って未だ〈懺悔〉の意識はない。〈告白〉には神に対する〈懺悔〉の意識が含まれているので、厳密に言えばここでの〈открыть〉は〈報告〉の次元にとどまっている。

 その後、ソーニャはロジオンに向かって、十字路に立ってお辞儀をし、汚した大地に接吻しなさい、そうすれば神が再び命を授けて下さると言う。ロジオンは「ぼくが監獄にはいったら、面会に来てくれるかい?」と訊く。ソーニャは「ええ、行ってよ、行ってよ!」と答える。このソーニャのセリフの後、改行して「ふたりは嵐のあと、無人の浜辺にふたりだけ打ち上げられたように、悲しげにうちしおれて、並んで腰かけていた」と続く。

 ソーニャとロジオンの最初の肉体関係は〈嵐〉(буря)の一語で象徴的に報告される。この〈嵐〉の象徴的意味が読みとれなければ、ソーニャとロジオンの霊肉合体の〈濡れ場〉は永遠に見えてこないであろう。ドストエフスキーは登場人物たちの性愛場面に関しては読者の〈読み〉に任せていると言ってもいい。