山下聖美 〈ある何ものか〉をめぐって(4)

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清水正ドストエフスキー論執筆50周年 清水正先生大勤労感謝祭 第一部・今振り返る、清水正先生の仕事」(日大芸術学部江古田校舎芸術資料館 2018年11月23日)で司会進行を務める山下聖美教授


 

ドストエフスキー曼陀羅」特別号から紹介します。 

 

〈ある何ものか〉をめぐって(4)
 山下聖美

 

 

 

 

ロシアの大地
 
いずれにせよ、清水先生の批評は、遙か彼方へと垂直的な まなざしを向け、そこに広がる〈ある何ものか〉という巨き な謎をめぐって、言葉を紡いできた足跡であるのだろう。そ して、このための手段が、ドストエフスキーのテキストで あったと私は考える。清水先生は「ドストエフスキーは体質 に合う」とおっしゃっていた。それはもしかしたら、ドスト エフスキーという手段が、清水先生の生理や体感、そして何 よりも右手とぴったりとマッチするラケットのようなもので あるということなのかもしれない。まるで右手と一体化した ようなラケットを持ち、清水先生は遙か彼方の何かとボールを打ち合っている。相手の姿は見えない。しかし、〈ある何 ものか〉は確実に存在する。
  〈ある何ものか〉はドストエフスキーに作品を描かせた何 かであり、ロシアの大地に吹き渡る怪しい風だ。この風と同 じものを宮沢賢治の作品の世界にも感じ取ったのが清水先生 であり、「ドストエフスキーにものを書かせている霊的なも のと、宮沢賢治にものを書かせている霊的なものが共通して いる」ということであろう。この霊的な風は何であろうか。 これを探ることは、宮沢賢治研究家としての、そして清水先 生の弟子としての、私の使命であるはずだ。この使命を感じ ながら、ロシアに行く機会が増えた私は、この国の大地に吹 く風をいつも意識している。ロシアの地に根付く、霊的なる もの。それは、古くから民衆の間で持たれていた大地信仰の ようなものであるのか。いずれにしても、この広大なロシア の地を、ロシアたらしめているのは、政治家でもなく、軍事 力でもない、大地に吹き渡る風、〈ある何ものか〉の息吹、 であるのだと感じる。
   
以上、清水先生という人物をめぐって思いを述べてきた が、神秘への情熱を持ち続ける先生の後ろ姿を見ながら私も また研究を続けられていることに、御礼申し上げたい。そし て、清水先生と出会って私の人生があることの〈神秘〉に対しても 、 深く感謝の 念を 感じる。

漫画家青木雄二の『僕が最後に言い残したかったこと』を読む

近況報告

金曜日は大学院生二人に手伝ってもらって研究室の本の整理。四十年以上にわたって研究室を使用しているので、実に久しぶりに再会する本もあり、手に取って読み始めでもしたら、まったく作業がすすまないことになる。箱詰めにして自宅に送り届けると今度いつ再開するかわからないので、すぐに読み返したいほんはカバンにいれて持っていくことにする。そんな一冊に漫画家青木雄二の『僕が最後に言い残したかったこと』(2003年11月 小学館)があった。この日は金曜会の後、帰りの電車の中で読むことにした。第四章「マルクスへ」から読む。わたしは二十歳の昔からマルクスの『資本論』を読もうとしていまだに読めていない。二十代後半の頃、わたしのところに出入りしていた学生(早稲田で革命運動に参加、日芸に転向してきた学生)に「ドストエフスキーマルクス」について書くように指示しながら、自分は読まなかったのである。読もうとしてなかなか読めない本がある。トルストイの作品は三十歳を過ぎてから強制的に読んだが、そうでもしない限り、ドストエフスキーに没頭していたわたしはいつまでもトルストイを読むことはできなかっただろう。

青木雄二は冒頭、マルクスを読み始めてから唯物論について深く考えるようになったと書いている。『資本論』は青木にとっても最初は読みづらい難解な本だったらしいが、辞書を引きながら読み進んでいくうちに理解力も自然と身についていったらしい。青木によればマルクスは日本で復活するということで、なかなか説得力もある。

青木は『資本論』と同時に『罪と罰』も読んでいる。彼はこの二冊をたいへん高く評価している。わたしは五十年以上にわたって『罪と罰』を読み批評して飽きないが、マルクスの『資本論』は謂わば食わず嫌いになるのだろうか。挑戦してみたい気にも少しはなったがはたしてどうなることやら。

この本は今日の午後五時過ぎに読み終えたが、どの章も面白く読めた。

金曜日は山下ゼミの卒論五編の面接試験がある。二篇ほど読んだ。

神経痛でからだが思うように動かせないので、たいてい横になって痛い腹部を布団で抱えながら、動画を観たり、本を読んだりしている。

動画は日本第一党党首桜井誠の「桜井誠・オレンジラジオ」、札幌学派の安濃豊、さくらチャンネルなど要するに右翼保守系のものをよく観ている。退院後三年ほど観続けているので彼らの主張や人間性にも詳しくなった。彼らの共通した主張とお互いの罵詈雑言も興味深い。日蓮各派の激しい罵詈雑言も動画で観てきたが、宮沢賢治の『どんぐりと山猫』に登場するどんぐりどもの激しい自己主張と同じ性格のものを感じる。ユダヤキリスト教の唯一絶対神日蓮法華経の絶対性などは他の教えを認めない。宗教は自らの神の絶対性の相対性を認めない限り、決着のつくまで徹底的に戦わなければならないというわけだ。池田大作が『新・人間革命』などの著作で繰り返し訴えている世界平和の実現のための対話の重要性、人道主義も、自らの神・仏の絶対性の相対化を受け入れない限り根本的な解決とはならないであろう。また、対話を重要視する池田大作日蓮正宗との対立確執をどうすることもできない現実がある。

一神教の神を奉ずるユダヤ教キリスト教イスラム教などと人道主義に基づく対話でどのように手を結ぶというのだろうか。各々の絶対神が自らの絶対を相対化すれば、もはやその神は絶対神から失墜しなければならない。事は簡単に行きそうもない。

山下聖美 〈ある何ものか〉をめぐって(3)

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清水正ドストエフスキー論執筆50周年 清水正先生大勤労感謝祭 第一部・今振り返る、清水正先生の仕事」(日大芸術学部江古田校舎芸術資料館 2018年11月23日)で司会進行を務める山下聖美教授


 

ドストエフスキー曼陀羅」特別号から紹介します。 

 

〈ある何ものか〉をめぐって(3)
 山下聖美

 

〈ある何ものか〉
 
それにしてもなぜ、ドストエフスキーを長年批評し続けて いる清水先生が、先に述べたように、宮沢賢治に「とりつか れた」かのようになっていたのだろうか。このことを清水先 生は「ドストエフスキーにものを書かせている霊的なもの と、宮沢賢治にものを書かせている霊的なものが共通してい る」こと、清水先生自身も、その霊的な〈ある何ものか〉に よってものを書いているというようなことをよくおっしゃっ ていた。
 
清水先生の本を読んでいると、確かに〈ある何ものか〉と いう言葉が頻出する。ドストエフスキーの作品の登場人物た ちも、宮沢賢治の作品の登場人物たちも、人知を超えた〈あ る何ものか〉によって人生を翻弄され、試みられ、見守られ ている。清水先生の批評の特徴は、そのまなざしが、〈ある 何ものか〉という遙かなるものへと向かっていることにあ る。もちろん、緻密な人間描写、現実を見つめるまなざし は、徹底的に鋭い。さすが、生々しい浮き世を生きぬいてき ただけあるなと感心するばかりである。しかし、現実を凝視 するまなざしのその先には、何か巨きなものが広がってい る。先生自身が持つ、ゆったりとした巨きな雰囲気は、まな ざしているものの大きさと重なっているのであろう。
 
ちなみに清水先生は、現実の人を見る際にも、その人の背 後にある〈何か〉を見ているようである。例えば私の場合は「山下家の野望」という言葉でよく表現してくださる。平た く言えば〈ご先祖様〉であろうか。つまり、何か〈霊的〉な るものをも含めた人間存在の姿を、清水先生はキャッチでき るようなのである。こう書くと、またもやスピリチュアルな 方向へと向かっていきそうであるが、清水先生自身はいわゆ る「スピリチュアル」はお気に召さないようで、特定の層か ら熱狂的な指示を得る、スピリチュアルタレントの大御所を 「霊格が低い」と真剣に非難したりして、私たちを大いに笑 わせてくれるのである。
 

清水正の著作はアマゾンまたはヤフオクhttps://auctions.yahoo.co.jp/seller/msxyh0208で購読してください。 https://auctions.yahoo.co.jp/seller/msxyh0208 日芸生は江古田校舎購買部・丸善で入手出来ます。

 

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森哲子さんからの手紙

近況報告

先日、森哲子さんにわたしの著作をお送りしたところ、下記の文章が届きましたので紹介します。林芙美子の文学の偉大さを多くの人たちに知ってもらいたいと思います。

 

清水正先生。

林芙美子ドストエフスキーの著作をお送り頂きましてありがとうございました。

私は、高校2年生の頃から、大江健三郎ドストエフスキーが大好きになり、勉強もせず、寝食も忘れ、若い頃は、本ばかり読んでいました。その後、宇野千代に夢中、宇野千代は、小林秀雄を神様の様に尊敬していました。文学の道を歩いていると宗教の道に、続いていなければならない、ということを何処に、書いていました。若い頃は、失恋をする度に、宇野千代を読み返し、元気をもらっていました。そして、林芙美子、私が身体が震えるほど好きな作家です。艱難辛苦の人生を乗り越えて、逞しく生きる女たち、その哀しみと苦しみ、深くて暗い虚無。《浮雲》の《ゆき子》は酷い女だ。お金を盗んだり、妻のいる男を追いかけ回したり、野垂れ死にして当然。哀れだ。しかし、清水先生は《ゆき子》のことを理解しようとしてくれる。《ゆき子》のことを考えてくれる。清水先生は《ゆき子》のお父さんですか?(笑)

清水正によって《ゆき子》のことが《『浮雲』放浪記》に書かかれたことにより《ゆき子》は救われた。そのことにより、読者も救われる。宇野千代林芙美子の作品は、今話題のAKB48やNGT48の若い女の子たちにも、是非、読んでほしい。もちろん、清水正の《『浮雲』放浪記》と一緒に。

  
   風も吹くなり 
   雲も光るなり
   生きている幸福は
   波間の鷗のごとく
   標渺とただよひ
   生きている幸福は
   あなたも知っている
   私もよく知っている
   花のいのちは短くて
   苦しきことのみ多かれど
   風も吹くなり 
   雲も光るなり

山下聖美  

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清水正ドストエフスキー論執筆50周年 清水正先生大勤労感謝祭 第一部・今振り返る、清水正先生の仕事」(日大芸術学部江古田校舎芸術資料館 2018年11月23日)で司会進行を務める山下聖美教授


 

ドストエフスキー曼陀羅」特別号から紹介します。 

 

〈ある何ものか〉をめぐって(2)
 山下聖美

 

霊的なるもの
 
私は決してスピリチュアル大好き人間ではないが、自分の 人生を振り返ると、常に何かに動かされて守られて生きてき たように思う。自分の意志や力だけでは動いていないという ことを強く感じる。もちろん、意志や欲望は強く持っている 方だと思う。しかし、それらも、何かに持たされているよう な、そんな不思議な気持ちを抱えずにはいられない。明らか に誰かに用意されたかのような出会いがあり、出来事があ り、何か大きなものに動かされていると考えずには、腑に落 ちないことばかりである。
 
であるから、私は自分の計算や知識、技術だけで世の中を 渡っていけると思っている人を浅はかだと思う。研究者で あったら三流だ。本来、研究者は、文系、理系に関係なく、 人知を超えたものの何かを感じるからこそ、一生をかけてそ の謎を追求していく存在ではないのか。
 
突然であるが、私の自慢の祖父は、学生時代、物理学を専 攻していた。孫に算数や数学を教えてくれ、当時、夏になる と盛んにテレビ放送していた心霊ものの番組を怖がる私たち に「科学の視点を持つべきだ。こういう迷信を信じてはいけ ない」とよく一喝していた。そんな祖父ではあるが、一方 で、仏教に深い関心を示し、能の謡にのめり込んでいた。今 から思えば、科学を追求したものだからこそ感じることがで
きた大きな神秘を、仏教や能の世界にも見出し、求めていた のではないだろうか。
 
清水正先生について書いている文章であるのに、ここで突 然、私の祖父の話となったのには理由がある。私が二十四歳 の時に、祖父が亡くなった。祖父を直接看取ったのは私で あった。意識がもうろうとする中、苦しそうに呼吸をしてい た祖父は、最後に目を見開き、恍惚としたような表情で、大 きく息を吸ってそのまま息絶えた。何か大きなものに吸い込 まれていったかのような最期であった。
 
この〈死〉の体験をもとに書いたのが、つげ義春の「西部 田村事件」論である。これが、はじめて清水先生にほめられ たレポートであった。清水先生によると、このレポートで私 は「化けた」らしい。学生は「化ける」から、とはよく清水 先生がおっしゃることであるが、まさに私自身が、そうで あったのだ。
 
祖父が私に伝えた〈死〉の姿は、私の人生や文学にとっ て、とても大きなものとなった。こうして人は、定められた タイミングで、定められた何かをもらい、生きているのであ ろう。自分の意志をも包み込まれていくような、何か大きな 力の連鎖の中にいる自分を、強く感じる。

(やましたきよみ 日大芸術学部文芸学科教授・日本文学研究家)

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ドストエフスキー曼陀羅」特別号から紹介します。。

 

山下聖美 〈ある何ものか〉をめぐって

ドストエフスキー曼陀羅」特別号から紹介します。 

 

〈ある何ものか〉をめぐって(1)
 山下聖美

 

清水正先生との出会い


人は誰しも、自分の居場所を求めて迷ったり、さすらった りするものだ。とくに大学時代は、自らの専攻テーマはある ものの、それをどのように発展させれば良いのか、現実にど のように着地させていけば良いのか悩み、また、この専攻は 自分の正しい選択であったのかどうか、ゆらぐものであると 思う。少なくとも私はそうであった。
 
こんな焦燥を抱えながら、私はとにかく本を読んでいた。 とくに印象に残っているのは、ドストエフスキーやトルスト イである。分厚い本であったから読み終えた達成感はなみな みならぬものであった。とくにトルストイの「アンナ・カ レーニナ」からは雷に打たれたような大きな衝撃を受けた。

一方でドストエフスキーからは、得体の知れないカオスを体 験し、人間とはこんなに複雑で、暗黒で、激しいものなん だ、とあてられたような疲労感を得た。
 
いずれにせよ、大学を卒業する頃には、文学に関わる仕事 を一生続けたいと決心するようになり、大学院進学を志すよ うになっていく。そして、 一九九六年、あこがれの日芸の大学院に入学し、清水正先生 の指導を受けることとなった。今から思えば、二十四歳のこ の時、私の人生の居場所は決まったのだった。
 
当時、清水先生がとりつかれたかのように書いていたのは 宮沢賢治であった。であるから、私も当然のように宮沢賢治 の研究をはじめ、今に至る。

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ドストエフスキー曼陀羅」特別号から紹介します。

 

中村文昭  清水正『ドストエフスキー論全集』の謎と神秘

ドストエフスキー曼陀羅」特別号から紹介します。

 

清水正ドストエフスキー論全集』の謎と神秘
中村文昭

 

一九九七年六月、ロシア・サンクトペテルブルク、ネヴァ川で夕焼けを眺めていた。
 
背後にはホテル・モスクワがあり、収容所のようだった。監獄のような一角で、カウンターの格子越しに疲れきった女性が 無表情で円をルーブルに交換してくれた。
 
ぼくが初めてロシア・ペテルブルクに来たのは言わずもがな、ドストエフスキーの墓を訪ねるためだった。ホテル・モスク ワの前にはネフスキー大通りが、果て見えなくなるまでつづいていた。その幅は、ジャンボジェット機が離着陸できるほどの スケールをもっていた。その朝、ネフスキー大通りをぼくは走り続けていた。なぜならプーシキン・エカテリーナ宮殿へ向か う観光バスの出発時間が迫っていたからだ。走って走って走って、高架橋の下をくぐりぬけると、そこには不良少年たちがた むろして、歌ったりゲームを楽しんだりしていた。そんなことは何ら気にならなかった。
 
観光を終えホテル・モスクワへ戻る道すがら、咽喉の渇きをおぼえてスーパー・マーケットに立ち寄った。ぼくはただ、 ファンタオレンジを飲みたかっただけだった。でも行列は長く時間がかかった。ぼくの目の前に四十代の痩せこけた婦人と娘 が立っていて、見るからに生活苦を感じさせる姿にぼくは胸を痛めた。ぼくが外へ出ると、午後の陽がぼくの目を刺した。ど のくらい歩いたことだろう、外国人であるぼくを見て、一人の品のいい老婆がぼくの前に進み出てきた。そしてぼくに両手を 組んで懇願するように、あるいは憂いを秘めて、ぼくに右手を出した。ぼくは両替したばかりのルーブル一枚を差し出した。すると彼女は天を仰ぎ、両手を捧げ、神よ!と言ったのか分からないが、感謝の気持ちをしめしてくれた。
 
想えば、その前の日、ぼくはホテル・モスクワの食事を取りたくなかったので外へ出た。あてもなくネフスキー大通りをさ 迷って横道に入った。小さなレストランがあった。なにはともあれ、ぼくはボルシチが好きだったので、その地下へつづく階 段を降りていった。外国人はぼくただ一人だった。ボーイが近づき、ほんとうに丁寧に挨拶し、「ボルシチ」という言葉を理 解してくれたのか分からないが「борщ」と言ってくれたのを覚えている。何の飾り気もない素朴な小さいレストランだっ た。でもぼくは腐っても鯛というロシアの文化の深さ豊かさをその時感じた。ボルシチとパンとウォッカをぼくは堪能した。 そして本当に優しい中年のボーイに1ルーブルのチップを渡した。彼は凛凛しくにこっと笑ってそれを受けとった。すると、 店内でピアノが鳴りバイオリンが響いた。こんな小さなレストランでも音楽家が演奏することにぼくは心打たれた。小さなロ シア体験にぼくは心震えた。そして、テーブルから立ちあがった時、卑屈な顔をした中年のバイオリン弾きがぼくに近づいて きて深々と頭を下げ膝を曲げ、そして顔を上げた。ぼくには分からないが、ロシア語で何かを言い、そして手を差しのべた。 握手かと想ったが瞬間、ぼくは想った。〝私の芸術にいくらかの〟ということだと。ぼくは即座に1ルーブルを彼の手に載せ 握手した。すると言葉は分からないが彼は慇懃無礼にこう言ったようだった。〝だんな、あなたは芸術の価値が分かる人だ〟。
 
ぼくはネヴァ川の土手に腰を下ろしていた。後ろにはホテル・モスクワがあり、右手奥にペテルブルクの芸術家文学者たち を讃える有名な墓地があった。ぼくはその墓地を訪ねたあと、このネヴァ川の岸辺でファンタオレンジ一本をもてあそんで ぼーっと空を雲を川を眺めていた。墓地を訪ね、入口近くのドストエフスキーの墓の前に立った。ぼくは花ももたず、その墓 に近づき礼を尽くそうとした。途端はっきり分かったことがあった。「ここにはドストエフスキーはいない」と。その他の墓 をぼくは漠然と歩きまわった。チャイコフスキーの墓だけは、はっきりと分かった。でも、その時もまたここにはチャイコフ スキーはいないなぁと直感した。では、どこにドストエフスキーはいるんだ?
 
そしてぼくは何か満たされない心でネヴァ川を見つめつづけていたのだ。すると、左手の土手のほうから、小さな二人の人 影が見えた。少年二人だ。十歳と六歳くらいだろうか。あきらかに一人は兄で、一人は弟だ。なぜか、弟は兄に泣きながらダ ダをこねているみたいで、兄は弟をなだめ慈しんでいるように見えた。二人はぼくの近くまでやってきた。弟は初めて東洋人 を見たかのようにして、兄の背中に隠れた。すると、感動したね、弟を傷つけるものは一切許さないぞと言わんばかりに、少年の体は凜とぼくの前に立った。ぼくはただ、虚しいだけだったんだ。そしてぼくは立ち上がった。ファンタオレンジ一本差 し出し、弟らしい子供に手渡そうとした。弟はファンタオレンジだけは見た。そしてそれが欲しかったんだろう、と想った。 すると兄は、ぼくの目を見てにこっと笑う。ぼくは少年にこう言いたかったんだ、〝弟に渡していいか?〟と。すると彼は弟 をぼくの前に引き出して胸を張れとでも言いたげに弟を励ましている。弟はぼくなんかには興味はなくてファンタオレンジに 夢中だった。何の躊躇もなく彼はボトルを受けとる。再び、ぼくと幼い兄は目を合わせた。彼は誇り高く胸を張った。そして ロシア少年の明るさに満ちた笑いをぼくになげかけてくれた。それは、ぼくにこう言っているようだった。〝ありがとう。ス パシーバСПАСИБО   きっとそうなるよ   異国の人よ〟    
  「きっとそうなりますとも、カラマーゾフさん、あなたの言葉はよくわかります、カラマーゾフさん!」目をきらりとさ せて、コーリャが叫んだ。少年たちは感動して、やはり何か言いたそうにしたが、感激の目でじっと弁士(注・アリョー シャ)を見つめたまま、我慢していた。
 
  「僕がこんなことを言うのは、僕らがわるい人間になることを恐れるからです」アリョーシャはつづけた。「でも、なぜわ るい人間になる必要があるでしょう、そうじゃありませんか、みなさん?   僕たちは何よりもまず第一に、善良に、それか ら正直になって、さらにお互いにみんなのことを決して忘れないようにしましょう。このことを僕はあらためてくりかえし ておきます。(中略)僕はたとえ三十年後にでも思いだすでしょう。さっきコーリャがカルタショフに、『彼がこの世にいる かどうか』を知りたいとも思わないみたいなことを言いましたね。でも、この世にカルタショフの存在していることや、彼 が今、かつてトロイの創設者を見つけたときのように顔を赤らめたりせず、すばらしい善良な、快活な目で僕を見つめてい ることを、はたして僕が忘れたりできるでしょうか?   みなさん、かわいい諸君、僕たちはみんな、イリューシャのように 寛大で大胆な人間に(中略)(もっとも、コーリャは大人になれば、もっと賢くなるでしょうけど)、そしてカルタショフの ように羞恥心に富んだ、それでいて聡明な愛すべき人間に、なろうではありませんか。それにしても、どうして僕はこの二 人のことばかり言っているのだろう!   みなさん、君たちはみんな今から僕にとって大切な人です。僕は君たちみんなを心 の中にしまっておきます。君たちも僕のことを心の中にしまっておいてください!   ところで、これから一生の間いつも思 いだし、また思いだすつもりでいる、この善良なすばらしい感情で僕たちを結びつけてくれたのは、いったいだれでしょうか、それはあの善良な少年、愛すべき少年、僕らにとって永久に大切な少年、イリューシェチカにほかならないのです!
  決して彼を忘れないようにしましょう、今から永久に僕らの心に、あの子のすばらしい永遠の思い出が生きつづけるので す!」
 「そうです、そうです、永遠の思い出が」少年たちが感動の面持で、甲高い声を張りあげていっせいに叫んだ。  
  「あの子の顔も、服も、貧しい長靴も、柩も、不幸な罪深い父親も、そしてあの子が父親のためにクラス全体を敵にまわ して、たった一人で立ちあがったことも、おぼえていようではありませんか!」
  「そうです、おぼえていますとも!」少年たちがまた叫んだ。「あの子は勇敢でしたね、気立てのいい子でしたね!」    「ああ、僕はあの子が大好きだった!」コーリャが叫んだ。  
  「ああ、子供たち、ああ、愛すべき親友たち、人生を恐れてはいけません!   何かしら正しい良いことをすれば、人生は 実にすばらしいのです!」
  「そうです、そうです」感激して少年たちがくりかえした。「カラマーゾフさん、僕たちはあなたが大好きです!」どうや らカルタショフらしい、一人の声がこらえきれずに叫んだ。
   「僕たちはあなたが大好きです、あなたが好きです」みんなも相槌を打った。多くの少年の目に涙が光っていた。「カラマーゾフ万歳!」コーリャが感激して高らかに叫んだ。 「そして、亡くなった少年に永遠の思い出を!」感情をこめて、アリョーシャがまた言い添えた。「永遠の思い出を!」ふたたび少年たちが和した。  
  「カラマーゾフさん!」コーリャが叫んだ。「僕たちはみんな死者の世界から立ちあがり、よみがえって、またお互いにみ んなと、イリューシェチカとも会えるって、宗教は言ってますけど、あれは本当ですか?」
  「必ずよみがえりますとも。必ず再会して、それまでのことをみんなお互いに楽しく、嬉しく語り合うんです」半ば笑い ながら、半ば感激に包まれて、アリョーシャが答えた。
 「ああ、そうなったら、どんなにすてきだろう!」コーリャの口からこんな叫びがほとばしった。  
  「さ、それじゃ話はこれで終りにして、追善供養に行きましょう。ホットケーキを食べるからといって、気にすることは ないんですよ。だって昔からの古い習慣だし、良い面もあるんだから」アリョーシャは笑いだした。「さ、行きましょう!
今度は手をつないで行きましょうね」
  「いつまでもこうやって、一生、手をつないで行きましょう!  カラマーゾフ万歳!」もう一度コーリャが感激して絶叫し、少年たち全員が、もう一度その叫びに和した。(ドストエフスキーカラマーゾフの兄弟原卓也訳より)
 
ドストエフスキーは泣くだろう…。極東の異国の一青年が、五十年にわたってじぶんの文学について探求し、疑い、抗議 し、そしてまた讃えてきた全てにむかって。ドストエフスキーは言うだろう、批評家清水正さん、ありがとう。きっとそうな りますよ?   清水正ドストエフスキー探求はまだ途上にいる。その未来の果てにあるもの(死と復活の秘儀とは何か?   そ れを彼はドストエフスキーとともに追求しつくすだろう。彼はドストエフスキー文学にまたがり日本の近代文学者そして西洋 の文学者たちを縦横無尽に駆け回ってきた    もちろん鋭い毒舌と愛と厳しい批評の眼をもって。多情にして無一物のドス トエフスキーと、これまた無一物にして多情なる清水正の間にある溝は何か。それは神の問題だろう、いや、懐疑と不信の子 として神の問題が二人の前に立ちはだかっている。
 
清水正ドストエフスキー論全集』、ここで書かれているものの中心たる謎と神秘は、誰が未来において解くことができる んだろうか。ただ一つだけ確かなことがある。この中心の闇をしめる虚無と愛の葛藤空間は、批評家清水正と小説家ドストエ フスキーの永遠の対話を隠している。きっとそうなるのか?   そうならないのか?

(なかむら・ふみあき    詩人、日本大学芸術学部文芸学科講師)