池田大作論、いつ再開なるか

近況報告

池田大作『新・人間革命』全30巻31冊読み終える

昨年末の31日、池田大作『新・人間革命』30巻下を読み終える。あとがきは2018年九月八日、「聖教新聞」連載完結の日に書かれている。つまり連載は終わったが、小説『新・人間革命』が完結したわけではない。

いずれにせよ、昨年、池田氏の大作がいちおう幕を下ろしたとは言えるだろう。

一つの時代が終わったという感もある。わたしは偏見なく、虚心にこの作品を読んだ。読み残していた30巻上は今年一月二日に、29巻は三日に読了した。

日大病院に入院していた時に初めてわたしはこの作品に触れ、退院後もずっと読み進めてきた。池田大作論を書こうと思い、関係文献を集め、読み、批評し始めた。が、途中で林芙美子の『浮雲』論、ドストエフスキーの『罪と罰』『地下室の手記』論など書き継いでいるうちに、あっという間に二年が過ぎ去った。わたしは特別なことがない限り原稿を読み返さないので、いつ頃なにをかいたのかさだかな記憶がない。幸い、原稿はポメラで書いているのですぐに確認することはできる。

池田大作論は2016年十二月一日から書き始めている。おそらく百枚以上は書いたが、途中、仏教語の漢語がポメラで打てないことによるイライラがある。それに池田氏の著作は漢字にルビがふってあったり、巻末に語句の解説があったりと、読者に極めて親切なのだが、批評するものにとって最もありがたいのは索引である、残念ながらそれがない。『人間革命』が全12巻、『新・人間革命』が全30巻31冊である。この膨大な著作から引用に必要な個所を見つけ出す手間は並大抵なことではない。健康な時はさしたる負担も感じないが、腹部に絶え間のない神経痛をかかえているので、それが最も面倒なことになってしまった。中断の理由は仏教語がポメラで打てないこと、著作に索引がなかったことばかりとは言えないが、大きな理由の一つであることに間違いはない。いつ再開できるかまったくわからないが、当ブログで最初の方を紹介したいと思う。

 

池田大作論(1)

清水正

 

 わたしは体調を崩し、2015年12月7日、日大病院に入院、2016年2月29日に退院した。入院して一週間後の12月14日、難病指定の「水泡性類天疱瘡」と診断され、すぐに治療が開始された。免疫力の低下もあってか、治療中の2016年1月15日、帯状疱疹が発症、夜中じゅう痛みと痒みに襲われた。幸い帯状疱疹は一週間ほどで収まったが、懸念されていた帯状疱疹後神経痛が残った。この神経痛はレザー治療も処方された痛み止めの薬も効き目がなく、今はひたすら痛みを我慢している。初めのうちは入浴中は痛みがとれていたが、一年近くたった今は入浴中も痛みが続く。とにかく、間断なく痛みが続くので睡眠がとれない。一日に一、二時間くらいしか寝れていないのではなかろうか。痛みと共にある人生を生きている。  入院当初、病室は11階の窓際のベッドで、四人部屋ではあったが部屋からの眺めもよく、痛みもなかったので快適であったが、途中で皮膚科処置室のある八階病室に移ることになった。眺めは良かったが、帯状疱疹後神経痛と同室人の鼾にはほとほと参った。眼科の患者が一週間ほど入院しては退院していくのだが、まず例外なく鼾がひどい。日本人の男性はなぜこんなに鼾をかくのか。それでなくても神経質なわたしは夜、満足に寝ることができなかった。

 わたしの右隣りのベッドにS氏が入院することになった。カーテンで仕切られているので顔は見えず、挨拶もしなかったのだが、彼はすぐに他の患者とも親しく言葉を交わしていた。わたしはベッドで本を読んだり原稿を書きながら、その会話をそれとなく耳にしていた。ある時、彼は「清水さん、清水さん」とカーテン越しに声をかけてきた。「わたしのことですか」と訊くとそうだと言う。それからS氏と挨拶程度の話を交わすことになった。名刺代わりに、わたしが監修した『日藝ライブラリー』No.1と『謎解き「ヘンゼルとグレーテル」』をさしあげた。退院する時、彼は「これ先生に合いますよ」と言って読み終えた一冊の本を置いていった。その本が『新・人間革命』第27巻であった。わたしは池田大作の名前も、彼に『人間革命』という本があることも知っていたが、別に何の関心もなかった。この時、わたしは松原寛の著作を読み続け、松原寛論を書き続けていたが、『新・人間革命』を手にしてパラパラとページをめくり、中程の「激闘」から読み始めた。2015年12月29日午後5時過ぎのことである。

 

 闘争のなかに前進がある。

 闘争のなかに成長がある。

 闘争のなかに希望がある。

 闘争のなかに歓喜がある。

 

 まず眼に入ってきたのが「闘争」の言葉である。わたしはよく学生に向かって「男は闘っていなければ美しくない。女は美しくなければ美しくない」などと、冗談とも真面目ともつかないような言葉を発して煙に巻いているが、本当のところ、自らと闘っていない者は魅力がないと思っている。そんなわたしであるから、ここに引用した言葉にわたしは素直に共感した。最初に共感があれば、本は一気に読める。『新・人間革命』第27巻はその日のうちに読み終えた。

 主人公の山本進一の人に接する真摯な態度には素直に感動した。こんな立派な人が創価学会の会長だったのか、と驚いた。が、このとき、わたしは山本進一と池田大作は別人だと思っていた。いずれにしても、今までマスコミの報道などでバッシングの対象になっていた創価学会に対する偏見を棄てなければならないという思いにかられた。退院後、『人間革命』全12巻と『新・人間革命』の1巻から26巻までを一気に読み終えた。  39冊を読み終えた感想を述べる。池田大作は人格者で学会員から先生と慕われ尊敬されることがよく理解できた。彼の構想力、その構想をすぐに実現する実行力、組織力、人事力、どれもが人並みはずれて優れている。人に対する思いやり、真摯で誠実な対応には頭が下がる。本を読む限り、完璧で、山本進一に人格上の欠点を見いだすことはできない。【平成28年12月1日(木)に記す】

 陰で働く人に対して励ましの声を掛けていることには特に感心した。聖教新聞の場合もインテリの記者よりも、新聞を配送する人や新聞配達人の苦労にまなざしを向けている。組織の底辺を支えている人々の日々の苦労を励まし、幹部の傲慢や官僚主義を決して許さない姿勢は共鳴できる。  池田大作の生き方に強い影響を与えた人にまずは母親と長男をあげることができる。長男は戦地に赴き、戦争がいかに残酷であるかを大作に語る。大作には兄が四人いたが、四人共に戦争にとられている。大作に戦争の悲惨、残酷を語った長男は戦死する。戦死の報告を受けた母親の悲しみの背中を大作は生涯忘れることはなかった。子供を戦争で失った母親の悲しみを二度と味わわせてはならない。大作少年の胸に戦争のない世界を建設しなければならないという使命が刻印された。  世界の平和と人間の幸福を実現するために何をなすべきか。

 池田大作にとって運命の人が現れる。創価学会第二代会長となった戸田城聖その人である。 『人間革命』全巻を通して牧口常三郎戸田城聖戸田城聖池田大作師弟不二の絆が繰り返し書かれている。『戸田城聖 偉大なる「師弟」の道』(2015年7月3日 潮出版社)所収の「戸田城聖とその時代年譜」によれば、戸田城聖牧口常三郎に出会ったのは1920年(大正9)1月である。4月の項に「牧口のはからいで西町尋常小学校の3カ月間、臨時代用教員に採用。政友会代議士の牧口校長追い出し運動に対し他の教員とともに反対。牧口の転任後、三笠尋常小学校に勤める(22年3月末退職)。この頃、開成中学夜間部に通う。後に旧制高等学校入学資格試験に合格(22年2月23日)、中央大学予科に入学する(25年4月)。」とある。

 牧口常三郎戸田城聖の師弟関係の詳細を今ここで検証することはしないでおく。わたしが最も感心のあるのは牧口常三郎日蓮仏法への帰依である。【平成28年12月2日(金)に記す】

横尾和博 大宇宙を彷徨う(4)

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ドストエフスキー曼陀羅」特別号から紹介します。

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大宇宙を彷徨う(4)

横尾和博

 

文学の深化のために
 
清水氏の批評でみてきたように、私たちは自分自身の「登 場人物論」を持たなければならない、それが清水氏のドスト エフスキー論から学ぶところだ。
 
ドストエフスキー作品のなかでも謎の多い小説『悪霊』。 大切なことはなにも書かれていない。なにも書かれていない 闇に向かって私たちは自身の想像力を武器に漕ぎだす。
 
清水氏の論のように『悪霊』は三角形の構図で成立してい る。人間の三角関係は社会を破壊する動力である。負のエナ ジーが『悪霊』をひっぱっているのだ。 『悪霊』を政治の季節に読むのと、現在のように政治や社 会運動が凪の状態で読むのとは印象がだいぶ異なる。またこ れは『悪霊』だけではないが、年齢を経ることにより、作品 の読み方が違ってくるのは誰もが経験することであろう。
 
清水氏の読解のように、『悪霊』を人物に照明をあてて読 むと、哲学や思想とは別の貌が浮かんでくる。それは思想、 宗教、哲学という観念レベルの問題ではなく、権力欲、名誉 欲、征服支配欲などすべての欲望と、嫉妬、羨望、憎悪など あらゆる負の感情の総体としての人間である。ドストエフス キーは、それを「悪霊」と名づけた。
 
従って、「悪霊」とは外在的なものではなく、私たちの心 や体に内在するものなのだ。
 
文学とはアウトサイダー、つまり常識の枠のなかに入らない者、余計者、はぐれ者、異端児たちのものである。鬱屈、 狂気、毒などを抱え込んでいる者たちの世界である。ドスト エフスキーも、『アウトサイダー』の著者であり、ドストエ フスキー好きのコリン・ウィルソンもみなそうである。従っ て文学とはサロンや教室から生まれ出てくるものではなく、 路上や屋根裏部屋や裏町、賭博場など社会の陰から発生する ものだ。しかしなぜか文学研究や批評は、学問として理論の 積み上げで形成されている。
 
私たちは文学テクストの表面を、作者の思惑によっていつ もさまよっている。まるで宇宙のようだ。
 
ゆえに原点に戻り、テクストに書いてあることとあえて書 かれていない大切なことを見極める眼が必要である。だから こそ清水氏のように登場人物を中心としてテクストを揺さぶ り続けることが、王道である。
 
王道をいく者はいつも孤独であり、時代に屹立している。
 
低迷する現代文学だが、その深化のため清水氏の功績はこ れからも光り輝くであろう。

(よこお・かずひろ  文芸評論家)

横尾和博 大宇宙を彷徨う(3)

ドストエフスキー曼陀羅」特別号から紹介します。

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大宇宙を彷徨う(3)

横尾和博

 

謎の小説、『悪霊』
 
さて「悪霊論」から清水氏に触れてみたい。同作は謎の多 い小説である。
 
いま私の手元には『悪霊』をめぐる清水氏の著作三冊が ある。『「悪霊」論』(一九九〇年一月)、『ドストエフスキー 「悪霊」の世界』(一九九〇年九月)、『「悪霊」の謎』(一九九 三年八月)である。この三つの労作を手がかりに清水氏の 「悪霊論」の世界に踏み込んでいこう。
 
テクストに揺さぶりをかけ、人物の暗部に光をあてる方法 で、清水氏はステパン、ピョートル親子、ヴァルヴァーラ夫 人、リーザなど次々に登場人物の精神の暗闇に照明、光線を あてる。
 
たとえば従来からの『悪霊』論では、中心軸は「主人公ニ コライ・スタヴローギン」が定説であり、ニコライを頂点とした人神論のキリーロフとロシアメシアニズムのシャートフ の関係が重視された。「スタヴローギンの告白」にもスポッ トがあたっていた。
 
そしてステパンとピョートルのヴェルホヴェンスキー親子 の役割は、道化的な役回りが指摘されていた。しかし清水氏 はあらゆる登場人物に目を配る。前掲の『ドストエフスキー 「悪霊」の世界』の「あとがき」ではこう述べられている。
 
ニコライをめぐる女性たち、正妻マリヤ、マリヤ・シャー トヴァ、ダーリヤ、リーザ、また新知事夫人ユリヤなどは 一人一人個別的に論じたい人物たちである。それに加えて 『悪霊』の中の名脇役たち、レビャートキン、リプーチン、 リャムシン、あて馬的三枚目を演じきったマヴリーキー、夫 人に尻をしかれっぱなしのレンプケ知事など、照明のあて ようによっては興味深い人物たちがごろごろしている。ま たある意味では『悪霊』の全人物中、最も重要な人物はニ コライでもピョートルでもステパン先生でもヴァルヴァー ラ夫人でもなく、この物語の作者として設定されたアント ン君であると言えよう。
 
清水氏の「悪霊論」の心髄である。このような読解があっ たのかと、私たちは驚いた。その新鮮な輝きはいまも失われ ていない。
  『悪霊』というテクストが、清水氏の読解をとおすことで、 「悪鬼たち」はさらに私たちに押し寄せ、飲みこまれてしま いそうである。
 
まずピョートルについての清水氏の評をみていこう。
 
ピョートル・ヴェルホヴェンスキーは、ステパン先生の 「息子」で、ロシア全土に革命結社をつくり、来たるべきと きに備え着々と準備している。そしてその基礎組織である 「五人組」を当地に結成しようと奔走。またカリスマ的な役 割をニコライにさせようと画策する。政治的陰謀家で、どこ の政治組織、革命運動にも存在するような人物である。従来 の解釈ではそうだった。しかし清水氏がひとたび光をあてる と、彼には当局のスパイ説、「秘密工作員」説が俄然浮上し てくる。革命の芽を早期に摘み取るために、当局が送り込ん だ秘密工作員なのである。そう指摘をされれば確かに「内ゲ バ」で「シャートフ殺害」の実行役であったリプーチンなど の五人組は事件後、誰ひとりとして死んでいない。実行役が 死んでいないということは、口封じをするのではなく、革命 の芽であり、イヴァン王子になりかねないカリスマのスタヴ ローギン、革命思想に利用されるような人神論(唯物論)の キリーロフ、転向したとはいえ危ないシャートフ、この三人 を殺害すれば、ピョートルの真の目的は達成されたというこ となのだ。「革命の萌芽を摘み取ること」、ピョートルが権力 の秘密工作員だとすると、作品のなかの謎のような言葉に合点がいく。
 
清水氏は『「悪霊」論』のなかで、シャートフ殺害の直前 のピョートルとその同志たち五人組との会話を引用する。こ こでは引用しないが、リプーチンやシガリョフとピョートル との会話の謎をぜひ清水氏の著作を読み、テクストにあたっ てほしい(『「悪霊」論』一九六~一九八ページ)。この会話 こそ、ピョートルが当局のスパイであったことの暗示であろ う。     次にステパン先生ことステパン・ヴェルホヴェンスキーで ある。従来の解釈では、息子ピョートルとの「父と子」を、 世代間の対立、理想主義と革命行動主義と位置づけた解釈が 一般的であった。その側面を私も否定しないが、清水氏の解 釈では「父と子」のメインストリームは、親子ではなく疑似 親子であり、ピョートルはステパン先生の妻がポーランド人 の愛人との間に生んだ子どもだと指摘する。すると彼らは血 の繋がらない疑似親子であり、しかもステパン先生はピョー トルを養育せずにほったらかしにしているのである。またス テパン先生の「唯一の教え子」であるニコライと先生は師弟 の関係を逸脱して、ホモセクシュアルな関係であることも指 摘する。するとピョートルの出自が不倫の子で、養父にも捨 てられたことによる歪んだ人間像や、ニコライの虚無主義な どが浮かびあがってくる。「悪霊」の元祖とは、そもそもス テパン先生自身のことではないのか、との疑問も浮かんでくる。
 
次にその元祖悪霊を二十年間「家庭教師」として居候させ たヴァルヴァーラ夫人とは何者なのか、との疑念が湧いてく る。夫人はステパン先生の保護者であると同時に、「奴隷的 服従」を強いる絶対専制君主でもあった。そのヴァルヴァー ラ夫人を清水氏は「太母」と位置づける。母なるものの原型 である。ひとり息子のニコライを溺愛するヴァルヴァーラ夫 人は、同時に息子に対しても庇護者であり、精神的な服従を 強いる。それは彼女の自己愛にほかならない。清水氏の筆は 冴えをみせる。このヴァルヴァーラ夫人とステパン先生、ニ コライの三角形の構図も疑似家族に思える。
 
そしてリザヴェータ・トゥーシナ(リーザ)である。リー ザはヴァルヴァーラ夫人の旧友ドロズドワ夫人の娘で、マヴ リーキーと婚約が内定しているが、ニコライと一夜を共に した。リーザの「罪と罰」について、清水氏はこう述べる。 ピョートルの口車に乗せられて、婚約者のいるリーザがマリ ヤという妻があるスタヴローギンと一夜を共にすること自体 が罪であるが、リーザにはさらに隠された罪があるという のだ。つまりは、天才的詐欺師ピョートルの口車に乗って ピョートルと関係したのだと。『悪霊』の記録者アントンは、 リーザとスタヴローギンの一夜の性関係の不首尾を遠回しに 記述している。しかしまず清水氏はリーザとスタヴローギン の性交渉はあったと指摘する。隠されてはいるが、リーザはピョートルとも性関係があったと指摘する。リーザの罪はそ のことだ。愛のためには迷いもなく踏み越えていくリーザ。 そのふたりの関係は一夜を共にした後、支配と被支配の関係 が、逆転してしまった。「気位の高い、意地っぱりで冷笑的 な性格」と母親が評するリーザ。わがまま娘の踏み越えは、 民衆によって撲殺されることで罰を受ける。
 
最後に『悪霊』の記録者アントンである。アントンはもち ろんドストエフスキーが設定した人物であるが、『悪霊』の 「作者」である。従って『悪霊』はアントンの視点で語られ ている。アントンはステパン先生の「若き友人」である。清 水氏はアントンはステパン先生と肉体関係も含めてホモセク シュアルな間柄であったと指摘する。そしてアントンこそ が、国家によりスクヴァレーシニキに派遣され高等教育を受 けたスパイであるというのだ。アントンが『悪霊』を書き上 げたのは、事件から三ヵ月後ということになっているが、そ の執筆の際にもうひとりのスパイである、ピョートルの当局 への報告書が下敷きになっているのだ。なるほどそう指摘を されればそのとおりであろう。
 
事程左様に清水氏の人物論には興味津々である。まだまだ 『悪霊』には興味深い登場人物たちがたくさんいる。
(よこおかずひろ 文芸評論家) 

横尾和博 大宇宙を彷徨う(2)

 

 

ドストエフスキー曼陀羅」特別号から紹介します。

 

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大宇宙を彷徨う(2)

横尾和博

 

清水氏との思い出
 
私は十代のころ『罪と罰』を読んでドストエフスキーに魂 をわしづかみにされてしまった。以後ドストエフスキーやほ かのロシア文学を読み漁る日々は、雑事をこなす給与生活の なかで別世界に入る楽しみであった。
 
また若い時代は、古本屋めぐりは欠かすことのできない生 活の一部であった。ある日古書店の一角で、『停止した分裂 者の覚書―ドストエフスキー体験』、そして『ドストエフス キー狂想曲』と名づけられた本に出合った。
 
そのときの印象は、ドストエフスキーに魂をつかまれた人が、ほかにもいるんだ、という素朴な感動だった。その表紙 や中身を見ると記憶が鮮明に蘇る。
 
私が清水氏と初めてあったのは、いまから三十年前のこ ろ、一九八〇年代の終わりだった。「ドストエーフスキイの 会」の会員で画家の小山田チカエさんがきっかけを作ってく れたのだ。JR中央線の三鷹駅北口の近くに「アオ」というバーが あった。ある日小山田さんから電話があり、「アオ」に「ド ストエーフスキイの会」の主要メンバーが来るので飲みにき てほしい、との誘いがあった。清水氏も来るとのことであっ た。給与生活者の私は三鷹駅が通勤途中の駅で、気軽に承諾 して宴を楽しみにしていた。約束の日、仕事帰りに「アオ」 に行くと、小山田さんと清水氏以外に誰もいない。結局最後 まで三人で、ドストエフスキーのことを話した。話した、と いっても清水氏とは初対面だし、彼がドストエフスキーにつ いて多くのことを語っていたのだが。そのとき著書もいただ いた。
 
そして清水氏は私に出版を前提にした「書くこと」を勧め てくれた。
 
それが私の鬱屈していた時期に大きな励みとなった。ただ 書き溜めておくのはだめで、作品を世に出すことの重要性に 気づいたのである。以来、清水氏との交流が始まった。
 
そのころの清水氏は、ドストエフスキー論を数多く手がけ、日大芸術学部の先生としても活躍中であった。当時の 『江古田文学』に寄せられた学生の感想のなかにあった、「清 水先生の授業はまるで占い小屋」との記述がいまでも忘れら れない。
 
その学生もいまは五十代の働き盛りになっているだろう。 ドストエフスキーは読んでいるのだろうか。
(よこおかずひろ 文芸評論家) 

 

今年もドストエフスキー論を書き続けます

新年あけましておめでとうございます。

今年もドストエフスキー論を書き続けます。

昨年は林芙美子の『浮雲』論を十年かけてようやく書き終えました。

書き終えて、林芙美子と一杯やりたい気分になりました。

ドストエフスキー論執筆50周年を記念して日芸の芸術資料館で「ドストエフスキー曼陀羅」展を開催していただいたことに心より感謝したく思います。

特別講義に参加された方々にもあつく感謝申し上げます。

今年も痛みと共に書き続けていきたいと思っております。

当ブログでは昨年に引き続き「ドストエフスキー曼陀羅」時別号に寄稿していただいた方々の文章を紹介したり、ドストエフスキーに関する記事、授業報告など発信していく予定です。今年もよろしくお願いします。

横尾和博 大宇宙を彷徨う (1)

ドストエフスキー曼陀羅」特別号から紹介します。

 

大宇宙を彷徨う(1)
横尾和博

 

五十年の軌跡
 
清水正氏が最初にドストエフスキー論を執筆してから五十 年。半世紀、長い歳月だ。清水氏は初期作品『停止した分 裂者の覚書―ドストエフスキー体験』(一九七一年九月)の 「あとがき」でこのように書いている。 「十七の時に『地下生活者の手記』を読んだのがドストエ フスキーに憑かれる一契機となった。以来ドストエフスキー 作品を読み続けることが、〈私〉に与えられた宿命であるか のように、〈私〉は夜昼となくドストエフスキーの創造した 大宇宙を彷徨い続けねばならなかった」。 以来、清水氏は「ドストエフスキーの創造した大宇宙」を 彷徨い、光源を見出し、またあるときは暗黒の銀河空間に明滅する言葉を手探りに、孤独な航海を続けているように私に は思えた。そしてその営為は現在もなお続いて、「清水ドス トエフスキー」は健在である。
 
では「清水ドストエフスキー」とは何か。その本質、根源 はどこにあるのだろうか。
 
清水氏の文芸批評はいままで日本の批評家だれもがなしえ なかった、テクストそのものを揺さぶる方法を確立した。テ クストを構成する分子、原子にいたるまでの初源にさかのぼ り、批評のメスを入れていく読みである。
 
いままでの文学研究は実証研究が重要視されてきた。その 流れはいまも変わらない。
 
文芸批評においても作家論、作品論(テクスト論)、構造 主義、ポスト・モダニズムなど時代の流れで華やかな時期もあったが、現在は新しく確立された文芸批評理論は皆無であ る。文芸批評全体がお寒い時代なのである。
 
そのような時代の流れとは無関係に、清水氏はただひたす らテクストと向かいあい、「テクストを揺さぶり」続けてき た。
 
清水氏は、かつて新聞の書評欄で亀山郁夫氏の『謎とき 「悪霊」』を評し、このように指摘をしている。 「作品の謎をとくためには、まずは謎自体を発見する必要 がある。そのためにはテキストに揺さぶりをかけ、徹底して テキストを解体し、想像力と創造力を発揮して再構築しなけ ればならない」(東京新聞二〇一二年十月十四日付)。 「揺さぶりをかける」とは簡単な言葉だが、意味は深い。 なぜなら地震の耐震実験のようにテクストを台座の上に乗 せ、起震装置で揺するようなわけにはいかないからだ。あた りまえである。ではどう考えるのか。
 
私の理解でいえば、テクストの登場人物の脇役ひとりにい たるまで、人間としての喜怒哀楽、すなわち個人史や全存在 に光をあてることなのだ。それは舞台上の脇役、せりふのな い通行人の一人ひとりまでが、自分の人生や思いを語りだ し、舞台が収拾不可能になるまで演劇を解体してしまう行為 に似ている。登場人物すべてに立体的に照明をあてることで ある。
 
また宇宙物理学でいえば、最近亡くなったホーキング博士のいう虚時間である。相対性理論の発見により、時間は一意 的な絶対時間でないとすれば、私たちにとっての過去と未来 の概念は変化する。そう考えた博士の「われわれは過去を憶 えているのに、なぜ未来を思い出せないのだろうか?」とい う実時間に対する指摘がある(『ホーキング、宇宙を語る』)。 これに呼応するのが清水氏の批評であり、テクストの未来の 記憶までをもひきだすのである。
 
この方法を駆使した文芸論は、ドストエフスキーを基軸に しながら宮沢賢治志賀直哉林芙美子などの批評にもつな がった。
 

井ノ森詩織  ザアカイと私

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ドストエフスキー曼陀羅」特別号から紹介します。

ザアカイと私
井ノ森詩織

 

 

罪と罰』『カラマーゾフの兄弟』『貧しき人々』『白夜』 『白痴』これは私が約一年間で読み漁ったドストエフスキー 作品だ。私がこれらに出会えたのは、他でもない清水正先生 の存在があったからこそである。またドストエフスキーだけ でなくトルストイや、スタンダールなど他にも先生無くして は出会えなかった文学がいくつもある。
 
清水正という宇宙に放り出された作品達は、細胞一つひと つにまで分解され、再構築をされていく。初見のドストエフ スキー作品だけでなく、小学生時代に親しんできた宮沢賢治 作品やグリム童話、学部時代に知った林芙美子も、先生の評 論によって見方がガラリと変化するのだ。自分では知ってい た気になっていた登場人物が、全くの別人となってしまうこ とだってある。そうして私が表面上でしか作品を読みこめていないことや、理解していたつもりになってしまっているこ とが嫌というほど分かる一年だった。
 
大学院で清水先生のもとに付いてから、研究のことだけで なく、先生と先生を取り囲む人々との関係にも驚かされた。 先生は相手の肩書や立場で人を差別することをしない。自分 がどんな立場にいようとも、全ての人に分け隔てなく接して いる。学生や職員の方だけでなく、学校付近の蕎麦屋さん、 警備員の方の家族構成や近況まで把握しているのだ。校舎内 でも校舎の外でも色んな人が、先生を見つけると、ニコニコ しながら挨拶をしていく。そして先生が彼らの名前を呼び、 話しかけると嬉しそうに近況などを話しだすのだ。
 
そんな先生を見ると、私はいつも日曜日の教会学校で聞い たザアカイについての説教を思い出す。街で嫌われ者の徴税人ザアカイはイエス・キリストがやって来ることを聞いて、 広場にやって来る。しかし人々がごったがえしていたため、 背の低いザアカイは木に登りイエスを観察する。するとイエ スはザアカイに声をかけるのだ。 「ザアカイ、急いで降りてきなさい。今日はぜひ、あなた の家に泊まりたい。」
 
とても印象的な場面だが、当時の幼い私は、イエス様を喜 んで迎えたザアカイはどんな気持ちだったのだろう、と不思 議に思っていた。
 
少し話がそれるが、先生は周囲の人にニックネームを付け るのが得意だ。先生曰く、一度自分でニックネームを付けた 人のことは絶対に忘れないのだという。では、私が先生に何 と呼ばれているかというと、名前のまま「詩織」だ。という のも、そもそも私の前に別の詩織がいたので、それと同様に 名前呼びになったのだが、今回はそれについては省いてお く。
 
私のことを名前で呼ぶ人は限られている。中高時代は本名 とは異なるニックネームを持っていたし、上京してからはほ とんど名字で呼ばれるようになった。それに対し無意識のう ちに寂しさを覚えていたのかもしれない。 「詩織、ほら行くぞ。」
 
そう先生に名前を呼ばれるといつもくすぐったいような、 うれしいような、かなしいような気持ちになる。そして今の私なら、ザアカイの気持ちがほんの少しわかるような気がす るのだ。
(いのもり・しおり   日本大学大学院芸術学研究科博士前期)