飯塚舞子  世界を駆け抜ける操縦士からのギフト

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ドストエフスキー曼陀羅」特別号から紹介します。

 

世界を駆け抜ける操縦士からのギフト
飯塚舞子

 

清水先生が私に与えて下さった中で最大のものは名前であ る。清水先生が私につけた「さざえ」というあだ名は、もは やあだ名ではなくなった。大学において、ほとんどの人が私 のことを「さざえ」と呼ぶ。ここまでくればこれはもう、私 の立派な名前である。清水先生との思い出を、と言われれ ば私には「さざえ」について以外は考えられない。この名 は、初めて先生に出会ったときに与えられた。私の性格と環 境と、あらゆる面を一瞬で見透かし、「まるで貝の栄螺だな」 というのが由来である。ここまでぴったりで、人々にも浸透 する新たな名前というものは、なかなか手に入るものではな い。そう考えると、私は清水先生と出会って、「さざえ」に なった日、新たな人生が始まったのだと思う。
 
そして、清水先生といえば何よりもドストエフスキーである。先生が自身のドストエフスキー作品の批評を私たちに分 かりやすく解説してくださるとき、私はそのスケールの大き さ、目から鱗の捉え方にただ驚き、興味を惹かれてばかりで ある。それはまるで、広大なドストエフスキー作品の中を先 生が操縦する飛行機に乗りながら、急降下急旋回を繰り返 し、目まぐるしく飛び回っているようである。解説の前と後 とでは、森のように広大な作品の中を当ても無くグルグルと 自身の足で歩き回るのと、全てを知り尽くした操縦士が運転 する飛行機から見下ろすのと同じような差がある。それはも う、全くの別世界である。そして、作中に登場する人物だけ でなく、セリフや小道具、全てに対し、それらを一から作り 出した作者すらも超える全知全能の神の如く、誰も見たこと のないほど奥深くまで知り尽くし、再構築するのである。私は清水先生の再構築は文学作品だけでなく、世界のあらゆる 事柄に対して行われていると感じている。それは世界の真理 から目の前にいるたった一人の人物に至るまで。だからこそ 私も清水正によって再構築された一人なのである。そしてそ の結果生み出されたのが「さざえ」なのだろう。これはドス トエフスキーに始まり、この世の全てを再構築している神に よって与えられた名である。この名は私に、かけがえのない 出会いと新たな人生を連れて来てくれた。感謝以外の言葉が 見つからない。そして、この貝の名を大切に抱きながら今後 も清水正が操縦する飛行機に乗り、世界を駆け抜けたいと 願っている。
 
なので清水先生、いつまでもお元気で……これからも私た ちをドストエフスキーをはじめ、見たことのない世界に連れ て行ってください。
(いいづか・まいこ 日本大学大学院芸術学研究科博士前期課程文芸学専攻在籍)

「ドストエフスキー曼陀羅」展の目録

ドストエフスキー曼陀羅」展の目録

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ドストエフスキー曼陀羅」展 清水正ドストエフスキー論執筆50周年

 協力:ドストエフスキー文学記念博物館

 2018-11-13~11-30 日本大学芸術学部芸術資料館に於いて

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1、パネル「ご挨拶」日本大学芸術学部文芸学科主任 上田薫
2、パネル「ご挨拶」ドストエフスキー文学記念博物館館長 ナタリア・アシンバエヴァ
3、パネル「ドストエフスキー肖像画
4、パネル「Ф.М.ドストエフスキーの人生」
5、パネル「Ф.М.ドストエフスキーの簡略年譜」
6、画「C氏の像」(1978)小山田チカエ[小山田チカエによる清水正肖像画
7、画「ソーニャ」(1978)小山田チカエ[ドストエフスキー文学記念博物館所蔵]
8、ドラマ作品「罪と罰」(2007)[ロシアにて制作されたドラマ作品]
9、写真「サンクトペテルブルクの今」(2018)
   ①エルミタージュ美術館
   ②エルミタージュ美術館
   ③ニコライ聖堂
   ④マリンスキー劇場
   ⑤ネフスキー通り
   ⑥ネフスキー通り
   ⑦ネフスキー通り
   ⑧ネフスキー通り
   ⑨ロシア帝国軍旧参謀本部アーチ(凱旋門
   ⑩カザン聖堂
   ⑪モイカ
   ⑫フォンタンカ川
   ⑬ネヴァ川を望むライオン像
   ⑭ネヴァ川とペトロパヴロフスク要塞
   ⑮サンクトペテルブルク国立文化大学
   ⑯冬のペテルブルク
10、パネル「ドストエフスキーサンクトペテルブルクドストエフスキー文学の聖地」
   ①パネル「19世紀当時のセンナヤ広場と生神女就寝教会」[ドストエフスキー文学記念博物館所蔵]
   ②パネル「センナヤ広場」[ドストエフスキー文学記念博物館所蔵]
   ③写真「センナヤ広場」(2018)
   ④パネル「センナヤ広場の営倉」[ドストエフスキー文学記念博物館所蔵]
   ⑤写真「センナヤ広場(営倉跡地)」(2018)
   ⑥写真「センナヤ広場」(2018)
   ⑦写真「ドストエフスキーが住んだ家の外観」[ドストエフスキー文学記念博物館所蔵]
   ⑧写真「ドストエフスキーが『罪と罰』と『賭博者』を執筆した家」[ドストエフスキー文学記念博物館所蔵]
   ⑨写真「グラジュダンスカヤ通り19番」(2018)
   ⑩写真「ドストエフスキーが『罪と罰』と『賭博者』を執筆した家の中庭」[ドストエフスキー文学記念博物館所蔵]
   ⑪写真「ドストエフスキーが『罪と罰』を書いた家」(2018)
   ⑫写真「『罪と罰』の主人公ロジオン・ラスコーリニコフが住んでいたとされる家の中庭」[ドストエフスキー文学記念博物館所蔵]
   ⑬画「ラスコーリニコフの階段」(1971)A.Shishkov[ドストエフスキー文学記念博物館所蔵]
   ⑭写真「エカテリーナ運河(現・グリボエードフ運河)川岸通り118番」B.C.モルチャノフ[ドストエフスキー文学記念博物館所蔵]
   ⑮写真「コクーシュキン橋周辺」(2018)
   ⑯写真「コクーシュキン橋周辺」(2018)
   ⑰画「夢想者との散歩」(2009)L.Tabolina[ドストエフスキー文学記念博物館所蔵]
   ⑱写真「『罪と罰』の老婆アリョーナが暮らしたとされる家」(2018)
   ⑲写真「エカテリーナ運河(現・グリボエードフ運河)」(2018)
   ⑳写真「『罪と罰』の老婆アリョーナが暮らしたとされる家の階段」(2018)
   写真「『罪と罰』の老婆アリョーナが暮らしたとされる家の中庭」(2018)
   写真「グラジュダンスカヤ通り19番」L.B.ツィプキン[ドストエフスキー文学記念博物館所蔵]
   写真「『罪と罰』の主人公ラスコーリニコフが歩いていたとされる路地」(2018)
   写真「『罪と罰』のソーニャが暮らしたとされる家の中庭」(2018)
   写真「エカテリーナ運河からのぞむセンナヤ広場にある生神女就寝教会」B.C.モルチャノフ[ドストエフスキー文学記念博物館所蔵]
   写真「至聖三者大聖堂」[ドストエフスキー文学記念博物館所蔵]
   写真「クズネチヌィ横丁5番の家の外観」[ドストエフスキー文学記念博物館所蔵]
   写真「『カラマーゾフの兄弟』を執筆した家(現・ドストエフスキー文学記念博物館)」(2018)
   写真「ドストエフスキーが暮らした家」(2018)
   写真「ドストエフスキーの書斎を複製した写真」[ドストエフスキー文学記念博物館所蔵]
   画「ドストエフスキーの遺体の出棺」[ドストエフスキー文学記念博物館所蔵]
   写真「ドストエフスキーの墓」(2018)
11、文献展示「日本大学芸術学部文芸学科所蔵のドストエフスキー全集」
12、画「描かれた作品世界」
   ①「『罪と罰』」(2009)S.Ivanova[ドストエフスキー文学記念博物館所蔵]
   ②「小説の最初のページ」(1998-2002)B.Kostigov[ドストエフスキー文学記念博物館所蔵]
   ③「ラスコーリニコフの家」(1998-2002)B.Kostigov[ドストエフスキー文学記念博物館所蔵]
   ④「ラスコーリニコフが住んだとされる家」(1993)B.Kostigov[ドストエフスキー文学記念博物館所蔵]
   ⑤「ラスコーリニコフが住んだとされる家の階段」B.Kostigov[ドストエフスキー文学記念博物館所蔵]
   ⑥「コクーシュキン橋」(1994)B.Kostigov[ドストエフスキー文学記念博物館所蔵]
   ⑦「Griboedovという運河」(1998-2002)B.Kostigov[ドストエフスキー文学記念博物館所蔵]
   ⑧「酒場」B.Kostigov[ドストエフスキー文学記念博物館所蔵]
   ⑨「ベルに向かって歩く」(1936-1971)D.Shmarinov[ドストエフスキー文学記念博物館所蔵]
   ⑩「殺人」(1970)S.Kosenkov[ドストエフスキー文学記念博物館所蔵]
   ⑪「ペテルブルクの人々」(1993)B.Kostigov[ドストエフスキー文学記念博物館所蔵]
   ⑫「ペテルブルクの人々」(1993)B.Kostigov[ドストエフスキー文学記念博物館所蔵]
   ⑬「センナヤ広場近くの洗濯場」(1975)O.Evseev[ドストエフスキー文学記念博物館所蔵]
   ⑭「センナヤ広場にて」(1998-2002)B.Kostigov[ドストエフスキー文学記念博物館所蔵]
   ⑮「1840年代の大モルスカ通りにある交番」(1996)A.Dyuran[ドストエフスキー文学記念博物館所蔵]
   ⑯「Etzelのように…」(1998-2002)B.Kostigov[ドストエフスキー文学記念博物館所蔵]
   ⑰「現在のドストエフスキー文学記念博物館」(1993)B.Kostigov[ドストエフスキー文学記念博物館所蔵]
   ⑱「大切なお客様」(1891)P.Shmelkov[ドストエフスキー文学記念博物館所蔵]
   ⑲「マースレニツア(冬を送る祭)おめでとう」(1891)P.Shmelkov[ドストエフスキー文学記念博物館所蔵]
   ⑳「孤児院の前」(1891)P.Shmelkov[ドストエフスキー文学記念博物館所蔵]
   「物売り」(1891)「給料日」(1891)ともにP.Shmelkov[ドストエフスキー文学記念博物館所蔵]
   「大通りにて」(1891)「居酒屋にて」(1891)ともにP.Shmelkov[ドストエフスキー文学記念博物館所蔵]
   「ソーニャの家」(1998-2002)B.Kostigov[ドストエフスキー文学記念博物館所蔵]
   「ソーニャのところにいるラスコーリニコフ」(1971)D.Shmarinov[ドストエフスキー文学記念博物館所蔵]
13、ロシア語文献『悪霊』第1部・第2部(ドストエフスキー小説全集 第12巻)(1911〜1918頃)
14、ロシア語文献『カラマーゾフの兄弟』第2部(ドストエフスキー小説全集 第14巻)(1882)
15、ロシア語文献『死の家の記録』第6版(1883)
16、史料「聖書」(19世紀)
17、史料「5カペイカ硬貨」(1858発行)(1866発行)
18、史料「19世紀ロシア庶民の部屋」(19世紀)
   ①イコン
   ②サモワール
   ③ウォッカの瓶
   ④グラス
   ⑤お茶の缶
   ⑥燭台
   ⑦インク壺
   ⑧クッション(2018作成)
19、画『罪と罰』の舞台鳥瞰図(1996-2002)B.Kostigov[ドストエフスキー文学記念博物館所蔵]
20、映像作品「文芸批評論授業『罪と罰』冒頭を読む」
21、パネル「清水正プロフィール」
22、写真「清水正江川卓
23、パネル「清水正と日本におけるドストエフスキー受容」(日本語)
24、パネル「清水正と日本におけるドストエフスキー受容」(ロシア語)
25、文献「清水正が読んだ『地下生活者の手記』」[米川正夫訳『地下生活者の手記』(昭和30年5月 新潮社)]
26、文献「清水正が読んだ『罪と罰』」[米川正夫訳『世界文学全集18 ドストエーフスキー』(昭和34年11月 河出書房新社)]
27、文献「清水正が読んだ『悪霊』」[米川正夫訳『ロシアソビエト文学全集 悪霊』(昭和39年11月・12月 平凡社)]
28、文献「清水正が読んだ『悪霊』」[江川卓訳『悪霊』上巻・下巻(昭和46年11月・12月 新潮社)]
29、文献「手塚治虫が読んだ『罪と罰』」[中村白葉訳『世界文學全集(22) 罪と罰』(昭和3年5月 新潮社)]
30、文献「萩原朔太郎が読んだ『カラマーゾフの兄弟』」[三浦關造訳『カラマーゾフの兄弟』第1巻・第2巻(大正3年10月 金尾文淵堂)]
31、文献「三島由紀夫が読んだ『カラマーゾフの兄弟』」[米川正夫訳『カラマーゾフの兄弟』第1巻・第2巻・第3巻(昭和23年4月・7月 思索社)]
32、文献「内田魯庵が日本で初めて翻訳した『罪と罰』」[内田魯庵訳『罪と罰』(明治25年11月・明治26年2月 内田老鶴圃]
33、文献「丸善より発行された『罪と罰』」[内田貢訳『罪と罰』前編(大正2年7月 丸善)]
34、文献「日本で初めて刊行されたドストエフスキー全集の『罪と罰』」[中村白葉訳『罪と罰』前編・後編(大正7年9月 新潮社)]
35、文献「中村白葉が翻訳した『罪と罰』」[中村白葉訳『罪と罰』三(大正3年12月 新潮社)]
36、文献「中村白葉が翻訳した『罪と罰』」[中村白葉訳『罪と罰』(後)(大正15年1月 新潮社)]
37、文献「生田長江、生田春月が翻訳した『罪と罰』」[生田長江・生田春月訳『先譯 罪と罰』(大正4年2月 植竹書院)]
38、文献「生田長江、生田春月が翻訳した『罪と罰』」[生田長江・生田春月訳『先譯 罪と罰』(大正4年2月 三星社出版部)]
39、文献「生田長江、生田春月が翻訳した『罪と罰』」[生田長江・生田春月訳『先譯 罪と罰』(大正13年12月 成光館出版部)]
40、文献「生田長江、生田春月が翻訳した『罪と罰』」[生田長江・生田春月訳『先譯 罪と罰』(昭和14年2月 金鈴社)]
41、文献「生田長江、生田春月が翻訳した『罪と罰』」[生田長江・生田春月訳『先譯 罪と罰』(大正4年2月 植竹書院)]
42、文献「森田草平が翻訳した『カラマーゾフの兄弟』」[森田草平訳『カラマゾフ兄弟』(大正4年4月 日月社)]
43、文献「森田草平が翻訳した『悪霊』」[森田草平訳『悪霊』(大正4年7月 國民文庫刊行舎)]
44、文献「森田草平が翻訳した『カラマーゾフの兄弟』」[森田草平訳『カラマゾフ兄弟』(大正13年2月 石渡正文堂)]
45、文献「森田草平が翻訳した『カラマーゾフの兄弟』」[森田草平訳『カラマゾフ兄弟』(大正4年4月 三星社出版部)]
46、文献『清水正ドストエフスキー論全集』1巻〜10巻(年〜年 D文学研究会
47、文献『ドストエフスキー曼陀羅』1巻〜8巻・別冊(年〜年 D文学研究会
48、「清水正の『ドストエフスキー論』自筆年譜」

 

偶然か必然か── 伊藤 景(「ドストエフスキー曼陀羅」特別号より)

 

ドストエフスキー曼陀羅」特別号より紹介します。

 

偶然か必然か──
伊藤 景

 

清水先生と出会って、約十年になる。初めての出会いは、 高校三年生。受験時、面接の試験官が清水先生だった。もし かしたら、あの出会いによって、今に至るまでの道は決まっ たのかもしれないなんて思うこともある。
 
そして、清水先生に指導していただくようになって今年で 五年目になる。同様に、世界文学の大家であるドストエフス キーとの付き合いも、もう五年目だ。  学部時代は、ドストエフスキーには興味がなく、なんだか 長いし暗いし、いってることややこしいな、なんて文句たら たらだった。そんな四年間を過ごしたから、まさか自分がこ んなにもドストエフスキー作品を読むことになるとは思って もいなかった。「『罪と罰』にはロクな男が出てこない!」と か「世の中、ムイシュキンみたいな人ばかりだったら、私ももう少し優しい人になれたのに!  嫌な世の中だ!」なん て、文句たらたらなのは変わっていないが、文句の内容が変 わるなんて想定外だ。
 
院に入学すること自体、私の人生に起きた初めてのイレ ギュラーな出来事だった。それも、清水先生との出会いが あったからこその〝今ここ〟だ。大学四年生のときに、清水 先生や山下先生といった総勢七人で過ごしたインドネシアで の日々が、私の研究心を育んだ。「読書のリメイク」のタイ トルで、自分の考えていたことを発表し、幸いにも多くの人 に興味を持ってもらえた出来事は、忘れられない体験であ る。人にいうと驚かれるが、清水先生と今現在に続くような お付き合いができるようになったのは、様々な偶然が重なっ て行けたインドネシアがきっかけであり、学部時代は一年生のときに、ひっそりとマンガ論を受講していただけだった。
 
その後、清水先生に受け入れてもらえ、院に入ってから は、自分の研究とともにドストエフスキーを読み続ける 日々。先生に講義をしてもらうと、今まで面白くないと思っ ていた作品たちが途端に色を変えていく。
 
特に、私が感銘を受けたのは清水先生の『カラマーゾフの 兄弟』におけるイワン・カラマーゾフの分析だ。私はドスト エフスキー作品の登場人物の中で、今の所は、イワンが一番 のお気に入りでもある。苦悩するインテリが好きなのだ。
 
イワンは「神の存在は信じるが、神の創造した不条理に 満ちたこの世界を認めるわけにはいかない」(清水正「動物 で読み解く『罪と罰』の深層」『江古田文学』九十七号、江 古田文学会、二〇一八年)と考えながらも、苦渋の果てに 「事実にとどまる他はない」(清水正『ウラ読みドストエフス キー』清流出版、二〇〇六年)としてこの世界を肯定する。 清水先生はこの言葉をニーチェ永劫回帰における「世界の 全肯定者」(前掲同)としてのあり方と比較している。
 
どちらの考えも世界を肯定するものである。しかし、両者 で決定的に異なるのは、その受け入れ方である。私は、イワ ンの考えに考え抜き、認めたくないけれども認めざるを得な い〝不条理な必然〟に共感した。決定付けられ、それに反抗 することさえも決まっている不条理な世界に対しての怒りに 共感したのだ。
 
必然という言葉に出会ったとき、私は苦しかった。今ま で、自分で選択してきたと思っていたものは、既に決定付け られているのであれば、これからどうやって生きていけばい いのか。これまでの人生において、自ら選択したものなんて 存在しないのだろうか、生きるとはどういうことなのか、と 苦しんだ。
 
しかし、清水先生にイワンの言葉を講義してもらったと き、ようやく私は苦しみから抜け出すことができたのだ。全 てが必然として決定付けられていたとしても、私が納得して いれば、偶然や必然なんて小さな問題にすぎない。私が私と して生きていけばいいだけなのだ。偶然も必然も、生きてい く上では関係ないのだ。私は私としての誇りを持って生きて いけばよいのだと清水先生が教えてくれた。
(いとう・けい   日本大学大学院芸術学研究科博士後期課程芸術専攻在籍)

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講演「『罪と罰』再読」2018-11-23

 

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清水正ドストエフスキー論執筆50周年記念  清水正先生大勤労感謝祭」での挨拶 日大芸術学部芸術資料館に於いて。2018-11-2

清水正の著作はアマゾンまたはヤフオクhttps://auctions.yahoo.co.jp/seller/msxyh0208で購読してください。 https://auctions.yahoo.co.jp/seller/msxyh0208 日芸生は江古田校舎購買部・丸善で入手出来ます。

 

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これを観ると清水正ドストエフスキー論の神髄の一端がうかがえます。日芸文芸学科の専門科目「文芸批評論」の平成二十七年度の授業より録画したものです。是非ごらんください。
https://www.youtube.com/watch?v=MlzGm9Ikmzk

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清水正ドストエフスキー論全集第10巻が刊行された。
清水正・ユーチューブ」でも紹介しています。ぜひご覧ください。
https://www.youtube.com/watch?v=wpI9aKzrDHk

https://www.youtube.com/watch?v=MlzGm9Ikmzk

 

 

忘年会

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2018-12-25 忘年会

25日は午後六時より江古田「同心房」にて忘年会。21日の「日野日出志研究」四号の刊行パーティに出席できなかった日野さん、マンガ評論家の荒岡保志さんも参加してにぎやかな会となった。

下原康子「清水ドストエフスキー」のロマンチック批評

ドストエフスキー曼陀羅」特別号から紹介します。

「清水ドストエフスキー」のロマンチック批評
下原康子

 

今振り返って残念に思うことがある。「ドストエーフスキ イの会」第九回例会(一九七〇年六月)の清水さんの発表 「『罪と罰』と私」が聞けなかったことだ。当時清水さんは二 十一歳だった。わたしが会に参加するようになったのは、同 年の十二月からで、会でじかにお会いしたことはないが清水 さんの名前はよく耳にしていた。憧れのまじった親しさを感 じていたと思う。わたしの目には会の人たちが『罪と罰』の 登場人物に重なって映ったものだ。新谷敬三郎先生はスヴィ ドリガイロフ(のちにはステパン先生)、江川卓さんはポル フィーリー(ご自分で「ぼくはポルフィーリーです。すっか りおしまいになった人間です」と言われたことがある)そし て、清水さんはもちろんラスコーリニコフだった。(「ラス コーリニコフ以上に長く密度の濃い関係を持ち続けている人間は実世界にはいない」と書かれている)。
 
小山田チカエさんのアトリエではじめて清水さんと顔を合 わせた。一九七七年のことだ。スラリとした長身、長髪、熱 を帯びたまなざし、ラスコーリニコフが宿ったかのような風 貌。近寄りがたい存在だった。それから半世紀近くの月日が 過ぎ去った。今のわたしの目にうつる清水さんは登場人物の だれでもないが、それでいてだれかしらに似ている。自ら選 びとったのかあるいはドストエフスキーから受けた啓示によ るものか、それはわからない。どちらにしろ「真の自分」を 探求するために苦行する求道者にみえる。清水さんの苦行と は休みなく書き続けることだ。

 

清水さんの批評は、登場人物一人一人にスポットをあてて ディテールを徹底的に読み込み、裏の裏までその人物を分析 し、その上で清水さん独自の想像を羽ばたかせる、そういう 手法である。「ロマンチック批評」と呼びたい。ドストエフ スキー作品には主役格(変人や病者が多い)のほかにストー リーに関係のない    それでも立派に名前のついた    小物 たちがあちこち出没して困惑させられるのだが、清水さんは そういう小物たちにも目を注ぐ。ドストエフスキー以上の愛 着を示すことさえある。清水さんの批評にはとまどうことも あるが、一方で目からうろこのひらめきを受け取ることも多 い。『ドストエフスキー罪と罰」の世界』からひらめきの いくつかをあげてみよう。
 
ひらめきその一、「『罪と罰』の主人公は〝ひとりの青年〟」 というアイディアはコロンブスの卵である。ラスコーリニ コフに対するステレオタイプの解釈がひとまず一掃できた。 おのずともうひとりの青年『未成年』のアルカージイが脳 裏に浮上してきた。ひらめきその二、「スヴィドリガイロフ は〈笑う幽霊〉である」よくぞ言い切ってくださいました。 すっきりしました。一方でポルフィーリー死者説にはいまだ 共感できない。わたしの場合、刑事コロンボのイメージが影 響しているかもしれない。ひらめきその三、「リザヴェータ 殺しに対するラスコーリニコフの無視とドストエフスキー
失念」この指摘は重要だと思う。ドストエフスキーはとき どき、あえて書かなかったりわざとわかりにくく書いたり と、躓きかねない仕掛けをする。もっともその仕掛けにひっ かかるのは察しが悪い読者だけかもしれないが。いずれにせ よ丁寧に再読して確認してみたくなるポイントである。ひら めきその四、「ルージンにこそ〝人間〟を発見しなければな らない」清水さんならではの主張だと思う。寛容なドストエ フスキーがルージンに対しては冷淡だ。ところが実世界にお いては俗人ルージンはそこいらじゅうに存在する。わたし自 身もルージンの気がないとは言い切れない。「人間はみな卑 劣漢だ。でも、もしかしたらそうではないかもしれない、と いう一瞬がドストエフスキー全作品を通して最も重要な瞬間 である」と清水さんは書いている。ルージンの克服は自分自 身との終わりのないふだんの闘いになるだろう。ひらめきそ の五、「ぶりっこ仮面ラズミーヒン」この発想はスヴィドリ ガイロフ幽霊説よりもある意味不気味で謎めいている。ラス コーリニコフが最初に告白した相手がソーニャではなくラズ ミーヒンだったのはなぜか。この場面を最後にラズミーヒン は読者の前から消える。謎が残る。ラズミーヒンは案外手ご わい。ひらめきその六、「カチェリーナのどん底の生存の絶 頂時は夫の法事である」この指摘は「カーニバル的世界感 覚」をみごとに言い当てていると同時にカチェリーナの性質 を的確に見抜いている。わたし自身ルージン以上にカチェリーナの気があることを自認しているので、カチェリーナに そそがれるドストエフスキーのまなざしのやさしさにほっと する。
 
わたしは一九九〇年ごろから「ドストエフスキーとてんか ん」というテーマに興味を持つようになったが、清水さんは すでに一九七〇年代から初期作品(『分身』『プロハルチン 氏』『おかみさん』)の主人公のなかに現れたてんかん的な精 神病理を指摘されていた。(『ドストエフスキー初期作品の世 界』)。ドストエフスキー遍歴がスタートしたそのときから清 水さんの探求の徹底ぶり、思索の純粋さ、書くことへの情熱 と意志は並大抵のものではなかった。それから半世紀にわ たって書き続けられた「清水ドストエフスキー山脈」の全貌 が、ようやくわたしの目にも望めるようになった。一方で、 ドストエフスキーの永遠の愛弟子である清水さんの遍歴に終 わりはない。何年も先になって清水先生の教え子たちの脳裏 にドストエフスキーが浮かぶであろうことをわたしは疑わな い。ドストエフスキーの年齢を越えた清水さんの「回想のド ストエフスキー」を期待している。

(しもはら・やすこ   司書、ドストエーフスキイ全作品を読む会世話人

清水正の講義「『罪と罰』再読」(12)

www.youtube.com

罪と罰』に関してはまだまだ言いたいことはあるが、とりあえず動画での発信はこれで終える。神経痛が絶え間なく襲ってくるので、立ちながらの講義には限界がある。

今書き続けている「『源氏物語』で読むドストエフスキー」は『地下生活の手記』と『罪と罰』にも触れている。いつ終わるかしれない途方もない世界へと足を踏み込んでしまった感じである。自在に書き進めていきたいと思っている。